第一章 最強聖女と従者の秘密

プロローグ 始まりの記憶

「はぁはっ……くそっ」


 少年は燃え盛る村の中を必死に走って家へと向かっていた。数時間前までは何も無い、平穏な日常だった。この日は妹の五歳の誕生日で、少年は妹のために近くの山へと向かってこの時期にだけ咲く綺麗な花を取りに行っていた。しかし村に戻って来てみれば、そこにいつもの日常は無かった。

 魔物が跋扈し、村には人の悲鳴が響き渡る。耳を塞ぎたくなるような悲鳴を聞きながら、少年はひた走る。

 しかし、少年の前に一匹の魔物が現れる。それは《強欲》の罪から生み出される狼タイプの魔物だった。


「ひっ……」


 少年の体よりも大きなその魔物が牙を剥いて吠える。そのあまりの迫力に少年は腰を抜かしてしまった。そんな少年に狼の魔物は牙を剥いて襲いかかる。しかしその直前、


「うぉおおおおおおおおおっっ!」

「ガゥッ!」


 少年に食らいつこうとした狼が吹き飛ばされる。そこに立っていたのは大きな体躯と怖い顔で普段から子供達から恐れられている鍛冶師のザガンだった。


「大丈夫かレインっ!」

「ザ、ザガンおじさ——」

「早く立て! この村はもうダメだ! 早く逃げ——ぐぅっ!」


 少年——レインを立たせて逃がそうとするザガンだが、その左腕にさきほどザガンが吹き飛ばした狼の魔物が食らいつく。左腕に食らいついた魔物を右腕に持った大斧で切り飛ばす。レインの元に来るまでにもずっと戦っていたのか、その額には大粒の汗が滲み、体の至る所から血が流れている。


「はぁっ、はぁっ……くぅ」

「おじさん! 大丈夫?」

「俺のことは心配するな! いいから早くお前だけでも逃げろ!」

「で、でも父さんも母さんもそれにマリィだって……」


 ザガンに逃げろと言われてもレインの頭の中にあったのは家族のことだけだった。レインの家は村の奥の方にあるのだから。


「この状況で家に戻るのは無理だっ! あいつらもきっと逃げてる、だからお前も早く——おいレインっ!」

「おじさんごめん!」

「ま、待て! そっちには——くそ、邪魔だ! 退け!」


 ザガンの言葉を聞いてもレインは家に帰ることを諦められなかった。レインはザガンの横をくぐり抜けて家へと走る。そんなレインのことを止めようとするザガンだったが、その行く手を阻むように魔物が立ち塞がる。そうしているうちにレインとザガンの距離はどんどん開いていく。


「なんで、どうして……」


 優しかった近所のおばさん、レインがいたずらをして怒られたおじいさん……昨日まで元気に生きていたはずの人が物言わぬ骸になっている。恐怖や悲しみで涙がこぼれるレイン。周囲の光景から必死に目を逸らして家へと走る。


「はぁ、はぁ……ついた。父さん、母さん、マリィ! だいじょう——え?」


 幸いと言うべきか、レインの家は燃えていなかった。レインは大慌てで家の扉を開く。しかしその先に見えたのはレインの予想していなかった光景だった。


「レイ……逃げ……」

「おに……ちゃ……」

「……あぁ? なんだぁ、もう一人いやがったのかぁ」

「え……あ……」


 家の中は荒れ果て、見知らぬ男がレインの母と妹の首を掴んで持ちあげている。苦し気に喘ぐ二人の足元には、胸から血を流して倒れ伏す父の姿があった。

 レインの本能が告げる。逃げなければマズいと。しかし体は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまって動けない。


「レインッ……」

「あぁもううるせぇよ」

「がっ……」


 男が力を込めると母の体がビクンッと一瞬跳ね、そしてそのまま動かなくなる。ニタリと顔を歪めた男は、ゴミを捨てるように母の体を投げ捨てる。そして、レインの母はそのまま動かなくなってしまった。


「ひっ……」

「くはははははははっっ!! 怖いか? 怖いよなぁ? もっと泣けよ! 泣いてくれよぉ!」

「おにいちゃ、助け——」

「マリィッ!」


 レインに向かって手を伸ばすマリィ。レインも懸命にマリィに向かって手を伸ばすが……現実は非情だった。


「あ……」

「ぎゃははははははははっ!!」


 マリィの胸を貫く男の腕。レインの伸ばした手は届かず、マリィは瞳から光を失い伸ばしていた手は力を失ったようにだらんと垂れ下がる。


「あ、ぁ……」

「いいなぁ。その絶望に満ちた表情……怖いか? 憎いか?」


 レインの顔をニヤニヤとした表情で見下ろす男。レインの大事な家族を奪った存在。ドクン、と心臓が跳ねる。絶望に満ちていた心に別の感情が湧き上がる。それは、怒りの感情だ。


「くはは、そうだ。怒れ……もっと、もっと! 体を焦がすような《憤怒》に身をゆだねろぉ!!」


 レインの体も心も怒りに支配されそうになったその瞬間だった。ぐんっとレインは腕を引かれて家の外へと連れ出される。


「あぁ? なんだ?」

「はぁはぁ……大丈夫かレイン!」

「ザガン……おじさん?」

「このバカが! 早く逃げろ!」

「母さんが……マリィが……」

「考えるのは後だ! 今は生き残ることだけを考えろ!」

「なんだよてめぇ。いい所だったのに邪魔すんじゃねーよっ!」

「ぐぅっ! い、いいかレイン。東に向かって走れ。隣の村まで行ければ——ぐはぁっ!!」

「何言ってんだよ。逃がすわけねーだろ」

「おじさん!」


 男の腕がザガンの胸を貫く。口から塊のような血を吐き出しながらもザガンは男の腕を掴む。


「てめぇ!」

「走れレインッッ!!」

「う……うわぁああああああああっ!」


 ザガンの言葉に背中を押され、レインは走り出す。燃え盛る村の中をレインは必死に走る。途中、何度も魔物に襲われた。傷を負いながらも必死に振り切り、レインは村を抜けた。


「はぁ……はぁ……ここ……どこ……」


 右も左もなく走り続けたレインには今いる場所がどこかもわからなかった。時期が冬だったということもあり、疲れと寒さでレインはもう動くこともできなくなっていた。

 雪と泥にまみれて倒れるレイン。もう立ち上がることはできそうになかった。


(ここで……死ぬのかな……)


 心が死を受けいれそうになったその瞬間、レインの耳元にザッザッと雪を踏む足音が聞こえる。


「これは……手おくれだったか。生き残りがいればいいけど……ん?」

「……けて……ください」

「……生きてたのか」


 レインは残った力の全てを振り絞って目の前の人物の足を掴む。意識を失いかけているレインは目の前にいるのがどんな人物なのかもわからない。それでも縋るしかなかった。


「村の皆を……助けてください……」

「っ! お前……」

「お願い……します。どうか……どうか……」

「……死のふちにあって他の人を助けたいとのぞむ……ふふ、いいだろう。この私が……聖女ユースティアが、お前に救いを与えてやる」


 これがユースティアとレインの出会いだった。

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