(11)

「この前はごめん。びっくりさせるつもりはなかったけど……」

「もういいよ。それは……わかってるし……」


 いつだったかと同じように、わたしの部屋でローテーブルを囲んで座る。


 自然と、ハルちゃんとヨシくん、それからわたし、というような感じに別れて座った。


 そうなるとわたしはハルちゃんとヨシくんと向き合う形になる。


 今は、それが妙に気まずい。三者面談と同じような座り方だなと頭の中で茶化してみたものの、体にみなぎる緊張はほぐれなかった。


「もう、気まずいのはやめたい」


「はっきりさせよう」とハルちゃんが言ったので、わたしは意を決してそう告げる。


 けれども勝算は想像すらできなくて、どこに転がるのかわたしにはまったく予想がつかなかった。


 イヤだ、と拒絶されるかもしれない。その恐れからわたしの心臓はこれまでにないくらいバクバクと音を立てている。


「気まずく……思ってるのは、わたしだけかもしれない……けど」


 勢いよく言葉は飛び出て行ったが、最後には情けなく尻すぼみになる。


 それでもわたしは一生懸命勇気を振り絞って言葉を続けた。基本的に小心者で卑怯なわたしにしては珍しい、奮起だった。


「三人でいるのが嫌いじゃないっていうか……好き、だから。……前みたいに戻りたい。その、ムシがいいかもしれないけれど」


 このわたしを含めた三人を気まずい関係にさせたのは、わたしの態度が原因だともわかっている。


 さみしくてキスをして、それがハルちゃんにバレて、またキスをして。


 行き当たりばったりで、その場の感情に流された態度を取ってきたわたしが悪いのだ。


「……別に、ムシがいいなんて思ってないし」


 とうとう、ヨシくんが口を開いた。カーペットの上であぐらをかいて、バツが悪そうな顔をして、こちらを見ている。


「共犯、つーか、まあ、オレとしてはそんな風に思ってたし」


 ヨシくんの意外な言葉にわたしは不思議そうな顔をして彼を見た。


 続いてハルちゃんが口を開いた。ハルちゃんはやっぱりいつも通り、軽々とした様子で言葉を続ける。


「そもそもトーコが気まずく思う必要ってないんじゃないかな」

「え?」

「だって、ヨシくんからキスしたんでしょ?」

「ま、まあ……」


 ためらいのない直接的なハルちゃんの言葉に、わたしの方は腰が引けてしまう。


 ヨシくんとの何度とも知れないキスを思い出す。


 ハルちゃんがいないのがさみしくて、始まったキス。……だったのに、今はなんだか違うものに思えてしまうのは、わたしの気のせいなのだろうか。


「でも、わたしはイヤだって言わなかったし」

「舌入れられるのはイヤだったんでしょ?」

「し、舌」


 まったく手を緩めないハルちゃんの言葉に、わたしはますます身を縮こまらせたくなった。


 今まで秘していたことを一度に暴かれている。それは、とてつもない羞恥を伴った。


 ちらりとヨシくんを見れば、ヨシくんも恥ずかしいのかやや視線をうつむかせている。非常に、バツの悪そうな顔をしていた。


「あれは……びっくりして」

「ほら、ヨシくんが悪いじゃん。――ねえ?」

「……あー、もうわかってるって!」


 からかうようなハルちゃんの視線に耐えかねたのか、急にヨシくんが大きな声を出した。


 わたしはそれに不意を突かれて、びくりと肩を揺らす。それを見たヨシくんは「あ、ごめん」とだけ言った話を続ける。


「オレが悪かったよ。いきなり……その、舌入れようとして……」

「まあそこは俺も責められないかな。トーコの体まさぐったわけだし」

「し、舌……まさぐる……」


 わたしの脳は熱を発してキャパオーバー、というような状況だった。煙のひとつでも実際に出ていたかもしれない。


 あまりにもふたりの言葉があけすけすぎて、わたしはどうすればいいのかわからなかった。


 そもそも、なぜこんなことになっているのかすら、わからなくなってきていた。


 始まりは、ハルちゃんが忙しくなって、三人の時間がなくなったこと。


 そこからヨシくんとキスをして、舌を入れられそうになって逃げて、ハルちゃんとキスをして、おしりを触られてびっくりして……。


 なんだか追い込み漁にかかって逃げ惑う獲物のようだ。


「俺はさ、トーコがだれかのものになるなんて、イヤだし、トーコが俺の知らないところでなんか大変なことになってるのもイヤ」

「……急だね?」

「『キスなんていつも仲よくしてるならできるでしょ』って言ったのはウソだよ。普通はちょっと仲いいからっておいそれとできるもんじゃないからね? トーコ、わかってないでしょ」


 笑顔で畳みかけてくるハルちゃんは、なんだかちょっとだけ怖い。


 わたしはハルちゃんの言葉を受けて、今さらながらに「そうなのか」と納得する。


 たしかにマコちゃんとキスをしろと言われたら、戸惑う。マコちゃんが嫌いだからしたくない、というわけじゃないけれど、なんとなくキスはできないなと思った。


「……でもハルちゃんとヨシくんにはできるよ」

「そうみたいだね。……そこがねー、問題なんだよね」


 ハルちゃんがなにを言いたいのかわからず、わたしは不思議そうな目を向けてしまう。


 そこで会話が途切れたのを幸いとばかりに、ヨシくんがハルちゃんに話しかける。いや、ちょっとだけ「食ってかかった」ようにも見えた。


「さっき『トーコがだれかのものになるなんてイヤ』って言ったけど、それってオレが嫌いってこと? トーコにキスしたのは許せない?」

「まあ嫉妬したけど嫌いではないよ。ヨシくんは」

「ならいいけど」


「いいんだ」。心の中でわたしはつぶやく。


 なんだかよくわからない事態になっている。状況はますます混迷を極めていて、大してかしこくもないわたしは、そろそろ脱落しそうだった。


「ならどうするんだ? どっちか選んでもらうのか?」

「ヨシくんがそれでいいなら俺はそれでもやぶさかじゃないけれど」

「……オレはイヤ。オレはハルもトーコも好きだし」

「じゃあもう答えは決まってるわけだ」

「……なんの話してるの?」


 ハルちゃんとヨシくんの会話はちんぷんかんぷんだった。


 思わず、ふたりのあいだにまるで割って入るかのような言葉を発してしまう。


 なんだか、ここで止めないとマズイことになると、わたしの本能が警戒ランプを点滅させていた。


「トーコは、俺たち三人でいるのが好き?」

「うん」

「ずっと三人でいたいと思ってる?」

「それは……」


 答えは是、だったが、しかし、ハルちゃんはいずれ遠いところへ行ってしまう人だ。


 ヨシくんだって、本当はわたしとは全然毛色の違うタイプ。


 こうして三人でいる今は、思えば――わたしにとって――奇跡みたいなものなんだと思う。


 目を泳がせるわたしに対して、ハルちゃんとヨシくんは真剣な眼差しでこちらを見ていた。


 それがどうにも、むずがゆい。


 本当だったらこんな風に大好きなふたりの視線を一人占めすることなんて、わたしの人生にはなかったかもしれないのだ。


 けれども今、それは現実のものとしてある。それを考えると指先がざわざわとむずがゆくなった。


「正直に答えて」


 ハルちゃんの言に、わたしは観念する。


「いっしょにいたいよ。……でも」

「でも?」

「この先もいっしょにいられるかなんてわからない。だよね?」


 確認するようにふたりを見た。


 けれどもふたりは虚を突かれたような顔をしていた。


 その顔を見て、わたしのほうがちょっとびっくりしてしまう。


「……トーコも色々考えてるんだね」

「なにそれ」

「そういう悲観的なのってお前のガラじゃねえだろ」

「ひどいんだけど」


 正直に心境を打ち明けたと言うのに、この仕打ち。


 わたしは拗ねた気持ちになって、少しだけふたりをにらむように見た。


 けれどもふたりにはさっぱり伝わっていないらしい。


 再びハルちゃんとヨシくんはふたりだけの世界に行ってしまった。なにやら、わたしには理解できない言葉を交わしている。


 なんなんだ、いったい。


 わたしがそうやってへそを曲げていると、秘密の相談が終わったらしいふたりがそろってこちらを見た。


「お前はさ、できればオレたち三人でいっしょにいたいって思ってるんだよな?」

「……そうだけど」

「じゃあ、そうしようって話になったんだけど」

「話って? さっきの?」

「そうそう。だからトーコ、これから『友達じゃない』キスをしよう?」

「はい?」


 意味がわからなくて、素っ頓狂な声を上げる。


 けれどもそんなわたしに構わず、ふたりは話を続けた。


「このままだとお前、ちょっと心を許した相手とかにも簡単にキスされそうだし」

「トーコは変な男に引っかかりそうだよね」

「まあそうなったあとじゃ手遅れだろ? ならオレたちが恋人になればいいってなって」

「待って、待って。意味わかんないよ」

「まあ要するにトーコと俺とヨシくんとで恋人になろうって話だよ」

「いい考えだろ?」

「ど、どこらへんが……?」


 わからない。まったくわからない。


「待ってよ。ふたりはそれでいいの? なんか、よくわかんないけどさ……カノジョがわたしでいいわけ?」

「いいから言ってるんだけど。ねえ? ヨシくん」

「お前といると楽しいからいいかなって」

「雑!」


 ここで「愛してる」とか言わないところはヨシくんらしいと言えば、らしいのかもしれない。


 いや、むしろ「愛してる」と安直に言われない方が、わたしには響いている。確実に。


 恋愛対象として好きですと直球に言われるよりも、友情の延長線上で好きなのだと言われる方が、しっくりきてしまう。


「だいたい、三人でって……」

「オレららしいと思わない?」

「……よくわかんない」

「じゃあこれでいいってことで。これが最適解だからさ、トーコは安心して?」

「いや、わけわかんないし……」

「トーコは三人いっしょにいたいんでしょ? 三人で恋人同士になればいっしょにいられるし、他に恋人を作って離れて行くこともない。だから、これが最適解なんだよ」


 どうしよう、とわたしは自らに言う。


 この「どうしよう」とは問いではなかった。煩悶であった。しかしそこには明らかな「喜び」みたいなものがあった。


 三人で恋人になって、ずっといっしょにいられる。


 そんな保障はどこにもないということは、ハルちゃんがわからないハズはないだろう。


 けれどもハルちゃんはそういう提案をしてきた。つまり、自信があるんだ。三人いっしょにいられるという、自信が。


 わたしは――その自信に乗っかってみたくなった。


 みたくなって、しまった。


「……キスするの?」

「お、乗り気になった?」

「……うん、まあ。不安だけど」

「トーコもすぐにわかるよ。俺たちといれば不安になんてならないって」

「すごい自信だなー」

「他人事だけどヨシくん、ヨシくんもそういう努力しないといけないんだからね?」

「はいはい。わかってますって。……で、キスするのか?」


 ハルちゃんが微笑わらった。いつも通りの美しい笑みだ。


「するよ。友達じゃないキスね。恋人同士のキス」


 その関係は、形は、いびつかもしれない。頭ではよくわかっている。


 けれどもそのいびつな形が、わたしたちにはぴったりだった。ハルちゃんの言う通り、これが最適解ってやつなんだろう。


 一分の隙もないほどぴったりとはまって、それで――わたしの「さみしい」という気持ちはどこかへ消えて、あとに残されたのは、満たされた気持ちだけだった。

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○で×な△関係(まるでだめなさんかくかんけい) やなぎ怜 @8nagi_0

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