(10)

「ハルとなんかあった?」


 直截なヨシくんの問いに、わたしは「うっ」と言葉を詰まらせる。


「なにかあったもなにも……」と言いそうになるが、結局わたしは口をつぐむ。


 けれども気丈に振る舞うこともできなくて、顔をうつむけにして黙り込んでしまう。


 悪手だ。これではヨシくんの言葉を肯定しているも同然じゃないか。


 ヨシくんにいつもと違うキスをされて、それからハルちゃんともキスをして……相変わらずわたしの心情は混迷を極めていた。


 どんな顔をして会えばいいのか、わからなかった。


 けれどもヨシくんはいつもと同じような顔をして、初めてキスした次の日のように声をかけてくれた。


 でもそれからいくらか日が経ったけれど、キスはしていない。


 ヨシくんなりに思うところがあるのだろう。


 それを、さみしいとは思わなかった。なぜなら今のわたしはそれどころじゃないから。


 一方のハルちゃんは学校ではわたしに話しかけてこなくなった。わたしがハルちゃんのところに行かないからかもしれない。


 それでもハルちゃんの周囲は相変わらずにぎやかで、女の子が多い。


 マコちゃんはわたしがハルちゃんに近づかないのは、取り巻きの女の子がいるからだと考えているらしかった。


 それは半分は当たっていたけれども、半分は大ハズレだ。


 それについて、ハナからマコちゃんにどうこう言うつもりはないので、黙ってはいるけれど。


 そしてヨシくんは普通にハルちゃんに話しかける。


 取り巻きの女の子がちょっとイヤそうな顔をしてもなんのその。


 その心の強さはちょっと見習いたいような、別に遠慮しておきたいような……複雑な気分にさせられる。


 たぶんヨシくんはどうでもいい人間になんと言われようとも「どうでもいい」ってはねのけられる強さを持っている人なんだろう。


 逆に、わたしはそうじゃない。他人の評価が気になってしまうし、特にハルちゃんがどう思っているかについては言わずもがな。


 ハルちゃんに話しかけるヨシくんを、わたしはちょっと恨めしげに見てしまう。


 そういう風に見つめているわたしを見て、マコちゃんはまたからかってくるのだが、それが彼女なりにわたしのことを心配しているということはわかっていた。


 わかっていたけれども、わたしはどうしてもハルちゃんに話しかけられなかった。


 チャットアプリでのトークも、あの日から止まったままだ。


 いつもだったらその日あったことをダラダラとトークするのが常だというのに、チャットアプリのトーク画面は、まるで突然凍りついてしまったかのように止まったまま。


 わたしはどうすればいいのかわからなかった。


 ハルちゃんが怖いのだろうか?


 自問するが、答えは出ない。


 別に、怖くなったわけじゃない。ただ、ちょっと、気まずいだけ。


 自答してみたはずの言葉は、どうにも言い訳じみている。


 ハルちゃんとのキスはどんな意味があったんだろう? それが、わたしにはわからなくて、だから、どう身を振ればいいのかもわからないでいる。


 ハルちゃんもさみしかったのかな、と思う。


 わたしがヨシくんと仲よくしすぎたから、仲間外れにされたような気になったんだろう。


 だから、わたしにキスをした。ヨシくんと同じように。


 けれどもそこから先がよくわからなかった。


 なんでハルちゃんはわたしのおしりをあんな風に触ったんだろうか。


 翻って、なんでヨシくんはいつもと違うキスをしようとしたんだろうか。


 答えが出ないまま日が経って、ある日突然ヨシくんから「いっしょに帰ろう」というトークを着弾したわけだ。


 そして今、わたしの隣にはヨシくんがいて、ヨシくんはわたしに答えづらい質問をぶつけてくる。


 困った事態だ。


「ケンカしたわけじゃないよ」


 それだけはどうしても伝えたくて、言い訳がましくヨシくんに言う。


 しかし当たり前だが、ヨシくんはそれで納得しなかった。


 明らかに、わたしがウソを言っていないが本当のことも言っていないと見抜いている。


 ……わたしってそんなにわかりやすい表情しているのかな。


 ちょっと、心配になる。


「それはわかってるって」

「じゃあ、いいじゃん」

「よくないし」

「わたしとハルちゃんの問題だから……」


 卑怯な手だが、そう言われては返す言葉がないのか、ヨシくんは黙り込んだ。でも、顔は不満げだ。


 わたしはそんなヨシくんの顔を見ていて、ふと思い浮かんだ言葉を口にする。


「……ねえ、ヨシくんはさ……」

「ん?」

「なんでわたしとキスするの」


 ヨシくんはしばらくぽかんとした顔をしたあと、なぜか気まずそうな顔をして「今さら?」と問い返してくる。


 たしかに今さらだ。わたしたちはすでに両の手では数えきれないくらい、キスをした。


 それを今さら「どうしてそうするのか」なんて問うのは、野暮ってやつなのかもしれない。


 理由は単純に、「さみしいから」。そんなの、わかりきってる。


 わかりきっていたけれども、わたしはヨシくんに改めて問い直さずにはおられなかった。


「なんで?」

「なんでって……」


 けれどもどういうことだろう。ヨシくんはなぜか言葉を濁してしまう。


 ヨシくんのことだから、またいつものように「さみしそうな顔してるから」とか、ひょうひょうと言ってのけると思っていたのに。


 ヨシくんの予想とは違う態度に、なぜだかわたしの心はざわついた。


 なにかが変わって行ってしまう、そんな不安感。


 けれども意気地なしのわたしはヨシくんをそれ以上追及することはできなかった。


 なにか、想像できない決定的な破滅、みたいな言葉を口にされたら、しばらくは立ち直れないような気がしたから。


 具体的な想像はなにひとつできないけれど、ただ裏切られたときの心情、みたいなものはありありと想像できてしまう。


「あのさ」


 気がつけば駅前に着いていた。もうお別れの時間だ。


 どこまでも卑怯なわたしは、逃げ道が前にあることでやっとヨシくんに本当のことを言える勇気をもらう。


「ハルちゃんにキスされた」


 ヨシくんは声も出さずに呆気にとられているようだった。


 わたしもそれ以上なにも言わなかったし、なにを言えばいいのかもわからなかった。


「ハルちゃんにキスされた」。シンプルなその言葉。けれどもそれは、わたしたち三人のありようみたいなものを、変えてしまうかもしれない言葉。


 発したことで遅まきながらにそれを理解したけれど、もちろん一度放った言葉を戻す方法は、この世には存在しない。


 わたしはそのまま「じゃあ」とだけ言った。「またね」とは言えなかった。よくわからないけれど、言えなかった。


 ヨシくんは「うん」とだけ曖昧に頷いて、それでわたしたちは別れた。


 電車の中でわたしは後悔しっぱなしで、どうするのがベストだったのかずっと考え続けたけれど、電車を降りても家に帰っても、いっこうに答えは出なかった。


 ……これじゃ、ますます顔を合わせづらい。


 そう考えると学校へ行くのが憂鬱だった。


 けれども今は中間考査の期間まっただ中。そんなときにズル休みなんてできるハズもなく、わたしは勤勉に学校へ通うしかないのだった。


『放課後になったら図書室にきて!』


 そんなときにやってきた、ヨシくんからのトーク。


 わたしは断る文句が思い浮かばず、気が重いまま放課を告げるチャイムを聞く。


 のろのろと帰り支度をして、マコちゃんたちの誘いを断る。そうしているあいだに、教室から肝心のヨシくんの姿は消えていた。ハルちゃんもいない。


 図書室に、とわざわざ呼び出すということは、ヨシくんは教室じゃ聞かれたくない類いの話をしたいのだろう。


 それは間違いなく、わたしたちのキスのことに違いない。半ばそう確信していたわたしは、やはり重い足取りで図書室に向かった。


 古い紙の、独特のにおいがする図書室は、当たり前だが静まり返っていた。


 中間考査の期間中ともあって、いつもはまばらにイスに座っている生徒の姿は見られない。


 みな、考査が終わった解放感に満たされて、今は家路に就いているに違いなかった。


 そう思うとなんだか不特定多数に対して恨めしい気持ちになる。


 ヨシくんとの、もはや対決とも感じている対話がこの先に待っているのだろうと思っていたわたしは、憂鬱な気分で彼の姿を探した。


 そして肝心のヨシくんの後ろ姿を目でとらえた瞬間、わたしは無意識のうちに踵を返していた。


「おいおい」


 けれどもすぐに目ざといヨシくんによって腕をつかまれる。わたしはたたらを踏んでヨシくんを振り返る。


 ヨシくんの肩の向こうからはハルちゃんがこちらを心配げに見ていた。


 ――ハルちゃんがいるなんて、聞いてない!


 そう叫びたかったけれども、ここは図書室。そんなことはできないわけで、わたしはただ黙り込んだまま背の高いヨシくんをねめつけるように見上げた。


 しかしそんなわたしの視線はヨシくんにとっては、ちょっと爪でひっかかれるくらいの威力しかないのだろう。


「まあまあ」と言って、いつも通りの顔でわたしをなだめにかかる。


「……なんでこんなことしたの」


 なんでこんな騙し打ちみたいな。


 わたしが恨めしげにヨシくんに問うと、ヨシくんは一度視線をそらしてから戻し、気まずげに笑った。


「……ハルとトーコには仲よくしてて欲しいから……」


 ヨシくんの言葉を、大きなお世話だと言って、切って捨ててしまうのは簡単だった。


 けれどもわたしにはそれはできなかった。わたしだって、ハルちゃんとヨシくんが仲たがいしていたら、きっとそう思わずにはいられないだろうから。


 けれども素直になれないわたしは、ヨシくんに「余計なことしやがって」とばかりに鋭い視線を送ってしまう。


 それは一種の照れ隠しでもあった。消えない気まずさを打ち消そうとするための行為だった。


「オレはさ、ふたりには仲よくしてて欲しいって言うか……三人がいいって言うか……」


 ヨシくんが急にしどろもどろになって言う。


 わたしの視線のせいだと気づいたので、ヨシくんから目をそらす。自然と、その先はハルちゃんに向かってしまう。


 ハルちゃんは至極真剣な目でわたしとヨシくんを見ていた。


「一度、話し合いたいんだけど……」

「……わかった」


「なにを?」とすっとぼけた返事は、できなかった。


 ハルちゃんから「話し合いたい」なんて、そんな言葉が出てくるとすれば、例のキスのことに違いなかった。


 それはわたしもわかっていたから、カマトトぶる気になれなくて、でも気まずくて、視線をそらしてそう答える。


 ヨシくんはそんなわたしとハルちゃんのやり取りを、不安げな顔で見ていた。


 ハルちゃんが一度、「うん」と言う。なにかを決めたかのような、声音だった。


「はっきりさせよう」


 ハルちゃんの言葉に、わたしは不安にならずにはおれなかった。

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