第二章 〜石の国〜

 雲ひとつない空に見える太陽は、その熱で大地を容赦なく熱していた。踏みしめる足元は柔く、草木は無く、滑りさえもする砂の大地。

 そんな砂漠にひとつ、目を引く影があった。

 鍔の広い三角帽子を被ったマントの人影、目はゴーグルで覆われ口元にはスカーフが巻かれており、その表情は読めない。

 着実な足運びで砂の大地を歩くその姿は、いくつもの土地を踏破してきた旅人の様だった。

 その人影が、倒れた。

「……砂熱っつ!!」

 アルスはすぐさま起き上がるとゴーグルを外し、辺りを見回す。

「ねぇロッソ〜、水とか出せないの〜?ボクもう喉がカラカラだよ」

 帽子のロッソを叩きながら縋るように言う。

 アルスが帽子を叩くと、三角帽の腹の部分に酷く歯並びの悪い口が出現する。

「ってぇな!マジでそれやめろ!んでもって水は出せねぇよ!オレはそんな便利もんじゃねぇんだよ!」

 荒々しい口調で唾を飛ばしながら叫ぶロッソ。それを聞いたアルスは酷く消沈し、ため息をつく。

「……でももう半日もこの炎天下を歩いてるよ、街の場所とかサーチできたりしないの?」

 定まらない方角へと歩きながら言うアルスにロッソもため息をつき答える。

「できねぇこともねぇが、どうにも此処は大気が良くねぇ。ここに着いた時言ったろ?」

 その言葉に顔をげんなりさせながらアルスが被せる。

「次の『転移』まで5日でしょ?それだけここに魔力が無いってことなんだよね?」

 アルスは上着を扇ぐようにばたつかせるともう一度ゴーグルを付ける。

「って事は飛んで上から街を探すのも無理かぁ……」

 風と共に舞ってくる砂埃をゴーグルとスカーフで防ぐ。頭の方で酷く噎せる声がしたが、アルスは気に留めなかった。

 依然として視界は悪く、時折風が止んだ時にのみ辺りを見回すことが出来るが、かれこれ数時間景色は変わらないままだった。

 アルスは『何処かから』小さめのトランクを取り出し、その中から水筒を手に取る。

「…………ロッソ、どうしよ」

 手に取られた水筒は既にその重さを失っており、頼りなく揺れるだけだった。

「……死んだな、お前」

 ほくそ笑むようにロッソが言うと、アルスは大きな声で叫び始める。

「うわー!誰かーー!ボクに水を下さーーい!」

 砂漠の不特定の場所に投げかけられた言葉は反響することも無く消えていく。何度も叫ぶうちにアルスは涙目になっていた。

「……!ま、まだ手はあるよ!えぇと、トランクの中に……」

 小さめのトランクから手当たり次第に物を取り出していく。炊事道具から簡易寝袋まで、そしてその中にアルスの目当てのものが現れる。

「…………!これは!」

 手に取ったそれは瓶に入った明らかに怪しげな紫色の液体。

 視覚共有からか、ロッソが「うへぇ」と唸る。

「ろ、ロッソ……これイけると思う……?」

 ビンの栓を開け、今にも飲もうとするアルスにロッソが静止をかける。

「いや、落ち着け!どうみたってそれヤバいやつだろ!」

 それを聞いてビンの栓を閉めるも、何かが飲みたいアルスはまた栓を開け、止められる。

 そんなやり取りをしている間に、アルスの目がくるくると回り始める。足運びが怪しくなり、フラフラとその場で千鳥足を踏む。

「み……水…………」

 遂には砂に滑り、背中から倒れてしまう。


 そんなアルスらに救世主が現れた。


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 アルスが目を覚ますと、砂漠の灼熱は感じられず、何故か喉も潤っていた。

 見えたのは木造の天井で、背にある感覚はベッドと柔らかい枕だった。

「お、目が覚めたかボウズ」

 少し嗄れた声。起き上がり声の方向に顔を向けると、そこには30半ばほどの筋肉質な男がいた。

「ん、どうした?まだ気分が悪いか?」

 言葉が通じる事でロッソの存在を確認すると、アルスの意識がはっきりとしてくる。

「いえ、お陰様で。助けてくれてありがとうございます」

 そこは部屋と言うよりも小屋で、簡単な炊事道具や携帯食料、備品などが用意されており、旅人用の休憩小屋だということがわかった。

 枕元には丁寧に帽子が置かれており、アルスはそれを被った。

「ボウズはあれか?歩いてる時に水が無くなっちまったクチだな?」

 男はアルスの持っていた水筒を放る。辛うじてそれを受け取ると、中にはしっかりと水が入れられていた。

「流石にその大きさじゃすぐなるからな、こいつもやるよ」

 と、もうひとつ、革製の水筒を投げる。容量自体は大きく変わるわけでは無いが、紐で括ることが出来るため取り回しの良いものだった。

 礼を言い、それを受け取ったアルスがベッドから立とうとすると、男がそれを止める。

「今日はもう外に行くのは辞めとけ、もう日も暮れちまってる。昼とは装備が全く違って来るからな」

 そう言いながら男は炊事道具を使い、なにやら料理を作り始める。

 暫くしてアルスに運ばれてきたのは、卵とソーセージを焼いたものと、綺麗な焦げが付いた米だった。

「うし、ほら食え、んでもってゆっくり話しでもしようぜ」

 スープの入ったカップを渡しながら男は笑顔で言った。

「俺はラルドだ。ここらを渡り歩きながら簡単な行商をやってる。お前は?」

 振る舞われた料理を食べながらアルスは答える。

「ボクは旅人のアルスです。えっと、この帽子はロッソって言って、信じられないと思うんですけど喋るんです。なんか今は大人しいけど」

 帽子の鍔を触りながら話す。しかしロッソは反応しない。

「へー、帽子が喋んのか!そりゃ面白い作りだな!」

 ラルドは豪快に笑うと、スープを飲み干し食器を水場へ持っていく。その後ろで、アルスはロッソを叩き続けていた。

「おーい、ロッソ?どうしたんだい?」

 すると何度も叩かれてかロッソの口が現れ、疲れたように喋り出す。

「ん〜、ちょっとな。気張って魔力を集めてたんだよ」

 ひとつため息を着くとロッソの口はまた消える。その様子に不満を覚えたアルスも同じようなため息をつく。

「そういや聞き忘れたなボウズ、お前はどこに向かってんだ?」

 いつの間にか布団を敷き終えたラルドは横になりながら聞いてくる。

「そうですね、ここから一番近い街に行きたいです」

 アルスもスープを飲み終え、ベッドへ座る。その様子を見てラルドは立ち上がると、室内灯を消し代わりに小さなランタンを付ける。

 室内はランタンの揺らめく明かりのみとなり、アルスらはお互いに布団に就く。

「ここからならハーウッドって街が一番近いな、ここから歩いて数時間だ」

 ラルドはそういうと落ち着きなく自分の荷物を漁り始める。その中からひとつ、何かを取り出すとアルスの前に差し出した。

 小さな水晶玉のような物。中には紙に似た何かが浮いており、その四つの角のうちのひとつは白に近い緑色だった。

「こいつは『変色石』を加工した方位磁針みたいな物だ。ここらじゃ方位磁針よりもこっちの方が使える」

 それを受け取るとラルドは説明を続ける。

「ここらの街には必ずひとつでかい石があるんだ。どれも色が違う。『変色石』はそのでかい石に近づくと色が変わる。この性質を使って街を行き来するんだ。まぁこれも何かの縁だからな、ひとつやるよ」

 ラルドはそう話すと満足したのか、ベッドに戻ると直ぐに寝息を立て始める。

 彼を起こさないように外へ出る。いつもの日課だ。手早くも手を抜かない。リボルバーの整備とルーティンを終えると自然と眠気も襲ってくる。

 小屋へと戻り、ベッドの中で変色石の方位磁針を眺める。その揺れる石を目で追いながらアルスも眠ることにした。


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 翌朝、アルスを起こしたのはラルドの声だった。

「朝だぞー!俺は次の仕事があるからもう出るからな、メシは作っといたからちゃんと食えよ」

 アルスが目を擦りながら起きる頃にはラルドは扉に手をかけていた。

「……ありがとうございます」

 横目でその言葉を聞くとラルドは嬉しそうに笑い、小屋を後にする。

 ベッドの縁に座り、ロッソを起こす。珍しくロッソはアルスよりも先に起きていたらしく、着替えの際に驚くこともなかった。

 ラルドが作っていった朝食は簡単なもので、軽く焼いたトーストにバターを乗せたもの、そして一杯のコーヒーだった。

 それを頬張りながら、ロッソと話し始める。

「ロッソ、今日はこれからハーウッドって街に向かおうかなって思うんだ」

 トーストはあっという間にアルスの胃に入り、そのバターの香りのみを残していた。

「一番近い街だな、いいんじゃねぇか?」

 ロッソは相変わらず難しそうに口を尖らせていた。魔力の集まりがそう良くないのでは、とアルスは思ったが、自分に出来ることも無いため、ロッソ自身に任せることにした。

 小屋の簡単な清掃を終えたあと、アルスはゴーグルとスカーフを身に付け、ラルドから受けとった革製の水筒を腰に巻く。

 窓からさす光は既に昼近くであることを示し、夜間までの到着を目指すアルスの足を急がせた。

 外は相変わらずの灼熱だが、昨日よりは風が少ないことが救いだった。

 変色石の方位磁針を頼りに、アルス達は砂漠を歩き始める。

 変色石はその四隅から変色を始める特性があるようで、アルス達が向かうハーウッドの方向を分かりやすく示していた。

 その示す先に数時間進むと、日が落ち始め、変色石の色味も徐々にはっきりとした緑色に変わり始めた。

「あ、見てロッソ!街が見えたよ!」

 アルスの指さす先。そこには確かに街が見えていた。

「いや、様子がおかしいぞ……」

 ロッソの言う通り、近づくにつれ、街の様相ははっきりとしてきた。

 立ち込める黒煙、壊れた門。家々には所々火がついており、倒壊している家屋もあった。

「どうなってんだ……これ」

 壊れた門をくぐり、街に入るとそこには既に人の気配はなく、壊れた街が取り残されたようだった。

 アルスは街を歩きながら人を探したが、返事はなく、死体すらも見つからなかった。

 街の中心まで行くと、燃え続ける家屋の中に不自然に無事な広場があった。

 その部分だけ燃えた痕跡がなく、広場の中心には一つの井戸と空に向かって牙のように伸びた大きな緑色の石があった。

「……これって、変色石の色と一緒だよね」

 アルスが手に持った変色石の方位磁針を確認する。中の変色石は確かに石と同じ色を示していた。恐らくこれが各街に一つあると言う石なのだろう。

 その石を眺めていると、街の外から声がした。

「おーい!誰か街に入ったのか!?ここは危ないから、こっちへ来てくれ!!」

 男の声。アルスは人が居ることに安堵しつつも、状況が呑み込めておらず、急いで声の主の方へと走った。

 その声は街の南からの門から発せられており、アルスが目視すると、そこには信じられない光景が広がっていた。

 街の外にいくつものテントが見られ、街の住人と思われる人々はそこで暮らしていた。

「あんた、大丈夫だったか?」

 南門を出ると、声の主は謝罪と共に頭を下げる。彼らの話によると、今は年に2回の『捧緑祭』というものが行われているらしい。

 街の代表者の男に連れられて、ひとつのテントへと移動する。

 街の外に立てられたテントは簡易的なものではなく、数日以上は滞在できる作りとなっており、男は家財も全て移動させていた。

「『捧緑祭』ってなんですか?」

 席に着くなりアルスはその質問をなげかけた。

 すると男はにっこりと笑い、説明を始める。

「あぁ、捧緑祭ってのはこの街の中心にある石に、大量の炭を捧げて、湧く水の浄化をしてもらおうっていう祭りなんだ。だから街ごと一度炭にしちまうのさ」

 男は妻にお茶を持ってこさせると、アルスに渡す。

 ジャスミンの良い香りが鼻に入り、先程までの緊迫感を和らげてくれる。

 一口それを飲むと、さらに男は続ける。

「まぁ、知らない人から見ると街ごと賊にやられたかと思われちまうのが難点だな」

 そう言って大きく笑った。

「えっと、家が燃えて暮らしに困ったりはしないんですか?このテントも丈夫そうですけど長く使えるものじゃないでしょうし」

 その言葉に男は全く動じずに笑ってみせる。

「問題ねぇよ、祭りの開始と同時に街の若い衆が三日掛けて森に伐採に行くんだ。んでもってまた三日でこの街を元通りにする」

 そう言いながら男は席を立つと、ある物を持ってくる。

 アルスの目にも入っていたそれは、やはり彼らの得意とするものなのだろう。

「こいつらが俺の相棒だ。この街は大工を輩出してる。近くの街の建築物はだいたいこの街の出身者が作ってんだ」

 カンナや大きな工具箱を机に置き、得意げに話す。

 その後は日が暮れたこともあり、彼のテントで一晩を過ごすこととなった。祭りの最中ということもあり、夜の間は残った街の住人で食事が振る舞い合われる。ある者は家庭の味を、ある物は凝った料理を出し、皆で舌鼓を打つ。

 酒を飲みながら街の新たな構図を書き出す者や新たな建築に挑もうとする者など、男衆は大層盛り上がりを見せていた。

「すごいところだね、ここは」

 コップに入った飲み物を飲みながら、アルスは一人夜空を見上げていた。

 ロッソは簡単な相槌を打つと話し始める。

「ここらは魔力はないがあの石だけは別だ。『オレの知る魔法ではない何か』を見たのは初めてだからな、少しウズウズしてくるぜ」

 珍しく何かに興味を示すロッソにアルスも笑顔になる。

「もう、そういう意味じゃないんだけどなぁ」

 そう言ってアルスはコップを空にした。

 祭りは今日が最終日らしく、明日の朝には若い衆が戻って来るという。アルスらはそれに合わせて次の町へと行くことにした。


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 朝になると軽い鐘の音と共に拍手が聞こえ、アルスは目を覚ます。

 起きると男の妻が暖かいお茶をだし、外へ行くように促した。

「よくやったぞー!」

 男たちの賞賛の声の先には、大量の丸太を引き摺ってこちらへと向かってくる若い男たちの姿があった。

 彼らもテント群を見るなり雄叫びを上げ、資材を運ぶ足取りも幾分か早くなる。

 到着した男達と、出迎える者の熱い抱擁を見ながらアルスはお茶を飲み干し、出立の準備を始めた。

 街の者たちは口を揃えて、アルスの出立を惜しんだが、彼らの時間を邪魔するまいとアルスは丁寧に礼をしその街を後にする。


 太陽は相も変わらず砂の大地とアルスらを照らし、体力を確実に奪っていた。

 アルスらが次に向かう先は変色石が赤に染まる場所だ。大工の街ハーウッドで得た方角の情報をもとにひたすら進む。

 幸いなことに変色石は直ぐに反応を示し、その色を着実に赤に染めていた。

「この様子なら正午くらいには着きそうだね」

 額の汗を軽く拭いながらアルスは話す。

 ロッソは相変わらず魔力の収集に精を出しているようで、返事こそしてくれるものの、彼から話すことは無かった。

 辺りを見渡してみても、あるのは枯れた木や、僅かな多肉植物、そこに居るのかが分からないくらいの小動物程しか目に映らない。

 そんな風景に飽き飽きしていると、手に持った変色石の方位磁針は海月のように浮かびながら、アルスの目的地が近づいていることを示していた。

 「……あ!見えた!」

 アルスが指さす先、そこにはハーウッドと同様に木製の門があり、街を柵で囲っていた。

 ラルドから貰った水筒を呷ると、アルスは門へと走っていった。

 看板の情報によるとこの街はルーベンという名がついており、街の建物は揃ってレンガでできていた。

 街に入ると住人らが不思議そうにアルスを見てきたが、三角帽をつけているとこういった目はよく向けられるので気にしなかった。

 アルスは適当な住人に宿を聞くために声をかける。

「あの、こちらの街には宿はどこにありますか」

 すると住人は丁寧に道順を案内する。

 どうやら一件のみの宿は、旅人が少ないためか経営難であり、アルスの来訪にはとても感謝するだろうとの事だった。

 教わった道順に歩いていくと、アルスの様子が変わる。

「…………ロッソ」

 アルスのそれを感じ取ったのか、ロッソも密かに話し始めた。

「あぁ、嫌なニオイがするな……ここ」

 宿屋へ行くためには街の中心を通るのが最も効率的なのだが、どうやらそのニオイの原因は中心にあると思われた。

「中心ってことは、石がこのニオイを発してるのかな……?だとしたらなかなかに嫌な街だけど」

 その言葉にすぐさまロッソが反応する。

「んなわけない筈だけどなぁ、だってこれ『血』のニオイだぜ?」 ロッソが口を尖らせ、何かをブツブツと考え始めた。

 アルスはとにかくその正体を確認するため、街の中心へと急ぐことにした。

「これって……」

街の中心には確かに石があった。ハーウッドと同様空に向かって伸びた牙状の石。変色石の方位磁針の色と同じく真っ赤な色をしている。

 しかし、それは常識では考えられない状態になっていた。

「……こいつぁ、大層なシュミしてやがるな」

 そこにあったのは石だけではなく、死体も置かれていた。

 石の周りに円を書くように置かれた台座のような物。そしてそこには人体のパーツをバラバラにされた物が丁寧に置かれていた。

 鮮血は石の根元の砂を真っ赤に染めあげ、今も尚その血を滴らせている。

 石の周囲には数名の白い服を着た男がおり、何かを呟きながら石を仰いでいた。

 彼ら以外にも人は大勢おり、皆手を合わせ感謝の言葉を述べていた。

「……だいぶ不味いとこに来ちまったんじゃねぇか?」

 ロッソそう言いつつもどこか笑むような言い方をした。

「…………とりあえず何をしているのか聞いてみようかな」

 明らかに気分が落ちているアルスは腰のホルスターに手をかけつつ、近くの人へと話しかける。

「これって、一体何なんですか」

 手を合わせていた住人はニッコリと微笑むと答える。

「今は『捧血祭』の真っ只中なんだよ、今日のお昼に「生贄」が石に捧げられたんだ。これで向こう一年も安泰さ」

 彼はそう言うとまた手を合わせ、何度も何度も感謝の言葉を言い続けていた。

 アルスは一度大きなため息を着くと、来た道を引き返した。

「……流石にこの街には居たくねぇな」

 ロッソもアルスの考えに同意したようで、門を潜りルーベンの街を出る。

「……ロッソ、どうしようか」

 すっかり元気を失ったアルスは外に出るなりゴーグルとスカーフを身につける。

 砂漠は砂嵐が吹き始めており、日も暮れるというのにその視界を悪くしていた。

 行く宛てもなく歩いていると、手に持った変色石の方位磁針が青い色を示し始める。

「あ、当たりみたい。ロッソ、このまま青い石のある町に行こうと思うんだけどいい?」

 返事のないであろうロッソに一言告げ、石の色の示す方向へ足を進める。そこに、ロッソが突然口を開いた。

「アルス、当たったのは街の場所だけじゃないぜ」

 ロッソはアルスにとある場所を見るように言う。

 そこには今まで一度も見なかったオアシスがあった。水は周辺は綺麗な緑に覆われ、綺麗な花も咲いている。水質も遠方からでもわかるほど良く、澄んでいた。

「オアシスって本当にあったんだね……。木も生えてるし、あそこで今日の夜は過ごせるかな」

 オアシスへとたどり着き、一本の木に座ろうとすると、その木の裏から若い男の声がした。

「やぁ、こんばんは。疲れてる所すまないけど、ここはもうおれの特等席なんだよね〜」

 木の裏には横になった細身の男が寝転んでいた。服装はここらで見たような物ではなく、その人物も旅人である事がわかる。

 男はアルス覗き込んだ顔に笑顔で返すとさらに続ける。

「あ、あと関係ないけど、早めにここから離れた方がいいよ〜」

 流石にその意図が読めないことや、彼が何者かについて情報が無さすぎるため、アルスは話をかける。

「えと、あなたは一体……?」

 アルスの的を得ない問いにも男は笑顔を崩さない。

「あ〜、おれはミーシャ。ミーさんでいいよ。ここから東に進むとハーウッドって街があるから日が暮れきらないうちに行きな」

 執拗にここから離れるよう言う彼にさすがにロッソが口を開いた。

「おい、オアシスを独り占めしたいならもう少し言い方捻った方がいいぜ」

 ロッソが口を出現させ喋ると、笑顔だった男がわざとらしく目を見開いて驚く。

「わーお、その帽子喋るんだね!びっくりしちゃった」

 ミーシャはそう言いながら起き上がる。腰は依然として降ろしたままだが、それだけでも彼が長身であることが分かる。

 クリーム色の髪を片手でいじりながらミーシャはさらに続ける。

「驚きついでにいい事教えてあげるよ、ここから北の青い石があるドーグって街はもう無いからね。それと、もうすぐここにはおれを追いかけてる面倒くさい連中が来るんだ。結構危ない人達だから、ここから逃げて欲しいわけ、おっけー?」

 そう言いながら追い払うように手を振る。

「……街はどうして無いんですか」

 何かを感じとったかのようにアルスは問い詰める。その問いに対してミーシャは悪びれもなく答えた。

「だって、おれが潰したんだもん」

 ミーシャはため息をつくと、話し始めた。

「あの街はさ、ムカつくんだ。人と人を殺し合わせる祭典をやるんだよ、そんな事するなら全部無くなった方がいいかなって。あ、もちろんその考えを持つ芽もね」

 当然かのようにその言葉を発した。

 それと同時に彼の服からポップな音楽が流れ始める。

「あーあ、時間切れだ。おれはちゃんと『ここから離れて』って言ったからね。……死んでも知らないから」

 ミーシャが立ち上がる。それと同時に周囲の空間が三箇所『裂けた』。

 ハサミで切り取ったかのように風景が切れると、その黒い間からアシンメトリーの仮面をつけた、黒ずくめの男が一人ずつ現れる。

 三人の仮面の手には両刃の剣が握られており、こちらを確認するとその一人が話し始めた。

「……こいつは幸運だな、標的が二人同時に見つかるとは」

 仮面をつけているからか、その声は曇りがかったように不明瞭で、それでいて何処か嘲るようだった。

「……よっと!」

 突然、ミーシャが話していた男の顔に蹴りを入れる。長い足から繰り出されたそれは的確に頬の部分を捉え、仮面の男を吹き飛ばす。

「なっ……!!」

 それを見た残りの二人が、ミーシャとアルスに襲いかかった。

 アルスに向かってきた仮面の一人は剣を上段から振り下ろす。その速度は決して遅くはなかったが、アルスの早抜きの方が僅かに早く、脇腹への一発で地に伏せる。

「……ふぅ」

 ミーシャの方を見ると、彼は剣をひらりと躱しながら宙に文字を書くような素振りをしていた。

 その文字は宙に留まり、白から黒へと染まるように色を変える。

「はい、終わり」

 書き終えたであろうその文字は三つ分の黒い玉になり、仮面の男ら三人に向かって飛ぶ。黒い球は飛びながらその形をナイフ状に変えると、その全てが倒れた仮面らの喉元に突き刺さった。

「変わった魔法だな……」

 ロッソが呟く。ミーシャはそれが聞こえたのかアルスに向かってにこりと笑うと、まだ裂けたままの空間に近づく。

「それ、少ししたら仮面を残して消えるから大丈夫だよ。じゃ、またねアルスくん」

 ミーシャは裂けた空間に向かって文字を書く。中に浮かんだそれは裂けた部分に張り付くように動くと、数色に色を変え霧散する。

 裂けた空間は黒から多色が混ざったような虹色になり、ミーシャはその中に消えた。

 彼が消えると、裂けていた三つの穴は下からジッパーのようなものが出現し、独りでに閉じはじめ、閉じ切るとまるで何事も無かったかのように消える。

「……文字列を具現化させる魔法か?いや、元素も使っていたな……」

 ロッソは興味深そうにブツブツと考えを呟き始めていた。それと対照的にアルスは呆けており、ハッとすると、ロッソに話しかける。

「ねぇ、ロッソ。あの人ってボクの知り合いだったっけ?」

 それを聞くとロッソは少し考えると答えた。

「いーや、少なくともお前の知り合いじゃないな」

 それを聞き、アルスは胸の前で腕を組み、また考え込む。

「……なら瞳さんの知り合いの方なのかな」

 日も暮れ、少しずつ夜が近づく。それに伴って灼熱だった砂漠が急激に冷やされ始めた。

 ロッソに促され、何処かから出したトランクから簡易テントを取り出し設置する。そしてその中に入ると、アルスは話し始める。

「この国は人が主体って言うよりは石が生活の基盤になってるみたいだね」

 アルスはホルスターから銃を取りだし、解体を始める。

 一つ一つのパーツ分けをし、丁寧にメンテナンスをしていく。

 ロッソはアルスの話に簡単に相槌を打つ。アルスがこのルーティンをしている間、ロッソは基本的に自分から話さず、意見せずを貫いていた。

「なんだろう……基盤じゃないね…………支配なのかな。精神的な」

 情報を整理していくと、ハーウッドでは『石のために』人々は住居を、街を燃やし尽くし、祭典と称して肯定していた。

 ルーベンでは祭典と言われつつも『石のために』人ひとりの命を捧げていた。

 さらにミーシャの話が真実なら、ドーグという街では人々が殺し合うことが公認されていた。推測の範疇に過ぎないが、『石のために』人の血を、闘争を捧げていたと考えられる。

「……どうして彼らはこの慣習に疑問を持たなかったんだろう」

 銃を組み直し、銃弾を持ってテントの外に出る。

 外は既に風と共に昼間の灼熱も消えていた。代わりに訪れていたのは、満天の星空と極寒だった。

 小さく肩を震わせながら銃弾の入っていないリボルバーをホルスターに戻す。

 目を閉じ一つ呼吸をすると、クイックドロウから六回、引き金を引く。六回目を終えて直ぐに、左手に装弾用の弾を持ち、素早く装填する。

「…………さっむ」

 そのルーティンを終え、アルスはテントへと戻る。

 テントに戻るやいなや、ロッソが口を開いた。

「……お疲れさん。明日はどうすんだ?」

 ロッソと共にこの地に『転移』した時に彼が言った期限は五日。

そして明日は四日目となる。ロッソの魔力集めが終わるまではこの国で両親を探すことが出来る。

 しかし、行商人のラルドやハーウッドでの聞き込みは外れており、この国での両親の痕跡は得られなかった。

「……まだこの国を旅するならそれでもいいぜ」

 その何処か含みのある言い方にアルスは気づく。

「……どういうこと?まだ時間が掛かるんだよね?」

 その言葉を待っていたかのようにロッソが笑う。

「ハッ、オレ様に掛かれば『転移』までの時間の短縮なんて造作もねぇよ!」

 自慢げに話すロッソにアルスはため息で返した。

 彼がここ数日黙ることが多かったのはそれが原因だったのだ。『転移』が早まれば痕跡の無い国に必要以上に留まることにならないため、大変助かるのだが、不満もあった。

「……ロッソが話してくれない分ボクは退屈だったけどね」

 それを聞くとロッソは居心地悪そうに言葉を濁す。

 テントの中のランタンは必要分のみが入れられており、就寝の時間を告げようとその炎を弱め始めている。

「ま、まぁ『転移』するなら明日からできるんだ!最後に何処かの街に行ってもいいんじゃねぇか?」

 頬をふくらませるアルスにロッソは少し弱気だった。それが可笑しかったのかアルスは吹き出してしまう。

「ふふっ、珍しく焦ってるね、ロッソ。その提案は確かにいいかもね、ミーシャさんの話も確認したいし、ドーグに行ってみたいかな」

 行動が決まったところでランタンが消える。

 アルスは簡単にロッソに就寝の挨拶をすると、寝袋に入り目を瞑る。


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 翌朝、日光の熱がテント内を蒸し始めた頃、アルスは目を開けた。

 オアシスで顔を洗い、喉を潤すと自らのキャンプの片付けを始める。テントを畳み、トランクに詰める。

 このトランクは、旅立つアルスを見送った御影 瞳から貰ったものである。どこからでも取り出すことができ、何処にでも収納できる。更にはどれだけでも入るというまさしく「不思議アイテム」だ。

 片付けを終え、トランクを仕舞う。陽は既に昇切り、その熱を増していた。

「さて……少し急ごうかな」

 アルスは昨日の襲撃を思い出す。撃退こそしたものの、『仮面』がここにもう一度兵を送る可能性は十分有り得ることだ。

 変色石の方位磁針を手に、薄青く染まった方向へと歩き始めた。

 連日砂の上を歩いていたこともあり、四日目となるとその足取りは効率的だった。

 砂の丘を登り、辺りを見渡す。変色石は既にそのほとんどが青く染っており、街までの距離がそう離れていないことを示していた。

「……あれ、かな」

 アルスの目の先にはひとつの街が見えていた。先の二つの街同様に、柵で囲われた中規模の街。その目を引いたのは、その街にひとつの塔が建っていたのだ。

 一先ず位置を確認し、丘を下りる。

「遠くから見た感じだと、街自体は大丈夫そうだな」

 ロッソが口を開く。確かに外観自体は問題はなさそうだった。しかしミーシャは「無くなった」と表現していたため、アルスの足は自然と急ぎ足になっていた。

「街の人が無事ならいいんだけどね……」

 街に到着すると、アルスの考えが杞憂であったと直ぐにわかった。

 街の外からでも人の声が飛び交い、その姿が見えたのだ。

 彼らは皆、忙しく走り回り、ある者は材木を持ち、ある者は長い金槌を持って走っていた。

「よぉ、ボウズ!久しぶりじゃねぇか」

 街に入ると直ぐに、嗄れた声が掛けられる。

「あ、ラルドさん。お久しぶりです、この間は本当にありがとうございました」

 丁寧にお辞儀すると、ラルドは大きく笑い、アルスの背中をバシバシ叩く。

「えっと、彼らは何かの祭典をしてるんですか?」

 それを聞くと、笑っていたラルドの表情が真剣なものになる。

「いや、祭典はしてたがその最中にクーデターみたいなもんが起きちまったらしい。この街の頭とその取り巻きが全員殺されたんだとよ」

 そう言いながらラルドは着いてこいと言わんばかりに街の中心へと歩き出す。

 それについて行くと、忙しく走る街の人々の行先が中心であるとこに気づく。

「んでもって、このザマだ」

 ラルドが指さす先、そこには倒壊した塔があった。幸い、中には入れるらしく、塔の内部に進んで行く。

 塔の中心は周りを客席のようなものが囲っており、その床には大量の血の跡が染み付いていた。

 しかし、中心には牙のように上に伸びた石が見当たらなかった。

 代わりに見つかったのは、折られた青い石。先端であった場所は牙の様を失っており。中腹から折られたことが分かる。

「旅の挑戦者がやったらしい。そいつは石を破壊したあと、街の頭の所に行って殺し、さらには街の中心人物の大半が殺されたんだ」

 ミーシャの言葉は大方真実だった。結果として街はその機能を失ってしまっている。

「この街じゃもう祭典は出来ねぇな、まぁ俺も見てて気分いいもんじゃなかったからなんとも言えねぇけどな」

 ラルドは何処か晴れない顔で語る。

 アルスが聞いていても、ヒトとヒト殺し合う様を祭典とするのは些か趣味が悪い。しかし、闘争を捧げるという意味では納得できる部分が心に引っかかった。

「なぁ、オッサン。祭典が出来ねぇとなんかあんのか?」

 アルスが気になっていたことをロッソが言う。ラルドはロッソが喋る事は知っていたが、どうにも信じていなかったようで目を見開き口を開ける。

 しかし、直ぐに我に返るとなにか思い出すように唸る。

「…………何かあるわけじゃねぇけど、水が枯れるってのはどの街でも言い伝えられてるな。でも、そんなこと今まで無かったからな」

 過去に無くなってしまった街の存在についても聞いてみたが、ラルドは心当たりが無い様だった。

「じゃあ一体……誰が?」

 その時、客席上部の瓦礫を片付けていた者がアルスらに叫ぶ。

「下の方!!危ないです!!」

 アルスとラルドは瞬時にに声の方向を向き、「それ」を躱す。

転がるように落ちてきたのは豪華な机だった。

 客席の最上部はガラス張りの部屋が露出しており、そこから持ち出された物だろう。

 転がったからか、襲撃があったからか、その机は酷く傷つき、引き出しの多くが破損していた。

「…………!」

 アルスがそれに気づく。

 引き出しのひとつ。そこから見えた壊れた古い木箱には、アルスとミーシャを襲った『仮面』と全く同じものが入っていた。

「……ラルドさんはこの仮面見たことありますか?」

 壊れた木箱から仮面を取り出す。

 それを見るとラルドは首を傾げる。

「……いや、ねぇな」

 するとそこに一人の青年が走ってくる。

「はぁ、はぁ、……す、すみません!お怪我ありませんでしたか?」

 どうやら机を運んでいたのは彼だったようだ。青年は机を建て直すと、木箱とその中身を持っているアルスを見た。

「あっ!それ触らないで欲しかったです!この国を作った方の物なので!」

 そう言ってアルスの手から仮面を取る。

 その言葉を聞いたアルスは信じられないものを見たかのように目を剥いていた。

「……なるほどな」

 ため息混じりにロッソが笑う。

「へー、この国を作った人の物がまだ残ってんのか、すげぇな」

 手を顎に当て、物珍しそうに仮面を見るラルド。

 その隣でアルスは冷や汗をかいていた。

「ロッソ、行こう」

 それだけ言うと、急な出立に戸惑うラルドを簡単な挨拶で躱し、早足で街を出る。

 街の門をくぐった後も、アルスの顔は強ばったままだった。

「ロッソ、ここは『近い』の?」

 その言葉にロッソは否定で返す。

「有り得るなら……ここの座標を持ってるって可能性だな」

 ロッソが言い終えた時、最悪の事態は起こる。

 アルスの周囲、空間が五箇所『裂ける』。そこからは仮面達が当然のように現れた。

「……アルス、だな。もう一人は……逃げられたか」

 仮面は剣を構え、アルスに狙いを定める。

 アルスもそれに応じるようにホルスターの銃に手をかける。

 ロッソは笑っていたがそれは決して愉快という訳では無いようだった。

 仮面たちが一斉に襲いかかる。

 アルスは銃を抜き、正面の一人の足を撃ち抜く。

 それと同時にロッソに触れる。

「ロッソ!強めのやつ!」

 アルスの言葉にロッソは軽快に返すと、残りの仮面達の動きが突然止まる。

 正確には限りなく動きが遅くなっており、アルスの周囲を舞っていた砂埃すら、その砂粒を一つひとつ見えるほどだった。

 その隙にその場から走り出し、またロッソに触れる。

 アルスのマントは翼のように広がるとそのまま滑空を始める。

「ふぃ〜危なかったな!魔力貯めといてよかったぜ」

 飛びながらケラケラと笑うロッソをアルスは睨むように見る。

「……まぁ予想はしてたけどここまであからさまだったとはね」

 アルスが度々ロッソに問う「近いか」というのは、今居る国から『仮面』らの場所までの距離のことで、ロッソは仮面を媒介にして、彼らの居場所が近いのか、遠いのか測ることが出来るという。

 しばらく宛もなく滑空し、適当な砂丘で地面に足をつける。

「ミーシャさんは一体どこまで知っていたんだろうね」

 少し浮かない表情でアルスは話す。ロッソも答えあぐねており、二人の間にしばしの沈黙が訪れる。

 ミーシャの持っていた情報の量が測れない以上、彼のやった事は正しいと言えるのか、そこだけがアルスの心に靄をかけた。

「ロッソ、一先ずここにはもう居られないから行こ?」

 そんな心の迷いを振り払うように首を振り、ロッソに触れた。

「……おう、またあのニヤケ男に会ったら問い詰めてやろうぜ」

 アルスは少しずつ光に包まれながら再確認した。

 自身の旅は両親探しの旅であると同時に、「追われ続ける旅」である事を。

 アルスの視界は既に光で埋まっており、先程まで感じていた灼熱も、砂埃も感じられなくなっていた。

 静かに目を瞑り、次の世界へと降り立つのを待つ。



第二章 石の国 fin


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魔法使いと呪いの帽子 けい @key_novel06

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