第一章 〜檻の国〜

 『転移』はいつも浮遊感が付き物だ。

 光に包まれたかと思うと、体が浮きあがるような感覚に襲われて、目を開いても閉じていても眩しいままだ。

 一度我慢して目を開けてみたけれど何も見えなかったし、ただただ眩しかったから諦めて目を瞑ったのを覚えている。

 一体ボクはどこを辿っているのだろうか。普段から疑問に思っているけれど、国や集落、はたまた街を散策しているうちに、別の所へと行かなくてはならない時間が来てしまう。

 今回もそんな浮遊感に気分を悪くしながら新しい土地の新しい場所へとたどり着いたんだ。


─────────────────


 その人物は意図せずして槍を構えた鎧達に囲まれていた。

「……ロッソ、『転移』の場所、もう少しどうにかならない?」

 アルスは抵抗の意志を消すように手を上げると、不機嫌そうな目で帽子のロッソを睨んだ。

「だ、誰だ貴様は!どこから現れた!」

 鎧の一人が声を上げる。それを号令とするように周りの鎧達は手に持つ槍を構え直した。

 アルスはそれを聴きながら辺りを見回す。

 どうやら石造りの回廊に『転移』したようで、丁寧に絨毯も敷いてある。作り自体は悪くないが、ある物が目立っていた。

(……格子か)

 本来窓や扉のある場所には、全て鉄格子が付けられており、この石造りの建物の役割を一目で表していた。

「……んぁ?なんかうるせぇな」

 アルスの帽子に突然『口』が浮かび上がる。酷く歯並びの悪いそれは大きな欠伸をすると笑い出す。

「なんだぁ?また面白いことになってるなぁ!」

 唾を飛ばしながら笑う帽子に囲いの鎧達は驚愕し後ずさる。中には悲鳴をあげ腰を抜かす者もいた。

「な……なんなんだ!お前は!」

 恐怖の混ざった声色で叫ぶ囲い。その様子が可笑しいのか帽子のロッソはまた高く笑う。

「オレか?オレはロッソってんだ。んで、この下の冴えないのがアルスだ」

 からかうように言うロッソにアルスは苛立ちを覚えながらも、状況を整理するために話しかける。

「あの、ボクらは人探しの旅をしてる者なんですけど……」

 その声はどよめきによってかき消される。鎧たちの恐怖心や敵対心の渦巻く中、ひとつの足音が近づいていた。

「どうした、何があったんだい?」

 石畳を鳴らしながら一人の男が近づいてくる。装いは凡そ貴族といった所だろう。肩にマントをかけたその男は急ぐ様子もなく、アルス達の元へと近づいた。

 囲いの鎧達は一度彼に敬礼すると、慌てながらも状況を説明した。警備中に廊下が光に包まれ、アルスが現れたという。

 『転移』ではアルスはそのように世界に現れるらしい。まさかアルス自身の知覚が『転移』よりも遅れるとは思いもしなかったが、予想できないことではなかったので、特に驚きはなかった。

 一通り鎧の説明を聞くと、男は変わらずに手を上げ続けるアルスへと近づく。

「抵抗の意思がないなら手を下ろしたまえ。………うん…キミは何処から来たんだい?」

 警戒の色こそ見せてはいるが、敵意なく男は尋ねた。

 正直、「どこから来たか」という問いには答えづらいものがあった。何せ、アルスらは国を渡り歩いているが、同じ星の中であるという保証はないからだ。

 言語に関してはロッソが翻訳機の役割を果たしているらしく、ロッソの範囲外で言葉が通じなくなるだけで、言語の壁からはどこの国かまでは分からない。

 こういった質問は何度もされたのでアルスの答えは決まっていた。

「ここよりもずっと遠い国です」

 毎度聞くテンプレートな答えにロッソが鼻で笑う声が聞こえた。

「……そうか、まぁここではなんだ。私の部屋へと通そう、そこで詳しく話を聞きたいのだがいいかい?」

 あくまでも上品に彼は聞くが、要するに尋問と言うやつだろう。この国ではあまり旅人は訪れないとアルスは記憶し、それに同意した。


─────────────────


 通された「彼の部屋」は部屋と言うよりも檻に近いものだった。入口は扉ではなく鉄格子で、部屋の中などは丸見えだった。

 ここまで来る道中、アルスは建物内を観察していたが、石畳であること、扉や窓が全て格子であること、それでいて「収監施設では無い」ことくらいしか分からなかった。

「……さて、どこから来たかは一先ず置いておくとして、まずは挨拶だね。私はグレイ、キミは?」

 部屋のソファに座るよう促され、彼も近くの椅子に座ると、挨拶と同時に質問が始まった。

「……あ、ボクはアルスです。で、この帽子がロッソ。ボクらは旅をしてるんです。人を探して」

 そう言ってアルスは一枚の写真を取り出す。そこにはひとつの家族がいた。

 中睦まじそうに写っているのは一組の夫婦と一人の少年だった。両親に両手を握られ、どこか嬉しそうにしている。

「…………そうか、それは大変だね」

 その写真を一瞥すると、どこか''ばつ''が悪そうにグレイは相槌を打つ。

 その様子を見てかロッソがため息をついた。

「この国のことを教えてくれませんか?」

 写真をしまいながらアルスが尋ねる。グレイは曇っていた顔のまま、説明を始めた。

「ここは檻の国だよ」

 檻の国。構成される建物には檻や鉄格子をつけることが古くからの慣習とされている国。人々は収監されている訳ではなく、そこで暮らしている。

 基本的には地下世界だが、高度な古代文明の産物である人口太陽によって昼夜管理や、作物の生育などが賄われている。

 この国では、地上に近いほど権力があるなどと言ったことはなく、寧ろ国民は地上を恐れているという。

 そこまで聞いて、アルスの中に当然の疑問が生まれた。出された紅茶を置き、体をずいと前に出す。

「これまで誰も地上に出たことがないんですか?」

 この単純な質問に対して、グレイは席を立ち上がり、本棚から一冊の本を取り出した。

「これがこの国の歴史書だよ」

 答えはここにあるとばかりにページをめくりながら話し始める。

 国民が地上を恐れ、ここから出ない理由はそこにあった。歴史上では地上は数千年前に荒廃しており、それを予測した彼らの先祖は人口太陽を作り出し、地下世界を作りあげたという。

 また、数百年前に地上への先遣隊が数回出されたが、どれも行方知らずとなっていることから、近年は地上へ行くこと自体が国の法律で厳しく制限されているという。

「……と、この国の概要はこんなところかな。どうだい、キミの疑問は晴れたかな?」

 本を閉じながらグレイは話す。彼の紅茶からはとうに湯気は消え、すっかり味気なくなっていた。

「……まぁ大体は納得しました」

 空になったカップを置きながらアルスは答える。

「ならよかったよ。とりあえずキミたちの出身については、今は不問としよう。旅人なら仕方の無いことだ。話は変わるが、ここにはどのくらい滞在するんだい?」

 その言葉を聞くとアルスはロッソに問いかける。

「ロッソ、ここは『何日保つ』んだい?」

 アルスの帽子に、そこまで沈黙を守っていたロッソの口が現れ、なにか考えるように話し出す。

「ここは……そうだな、長くて三日……いや、二日だな」

 それをそのままグレイに伝えると彼は言い方に引っかかったのか、眉間に皺が寄る。

「あぁ、日数はボクらが次に旅立てる魔力が溜まるまでの目安の時間なんですよ」

 とうに冷えた紅茶を啜りながら、グレイは疑問が残ったように首を傾げていた。

 その後はグレイがアルスらを客人として客間の一つを用意し、そこに滞在することとなった。


─────────────────


 その夜、人口太陽の光が弱くなるとアルスらは客間の外を歩いていた。

「……なぁロッソ、いくらなんでもあの部屋はないんじゃない?」

 いかにも文句ありげに言うアルスをロッソはケラケラと笑っていた。

「ハハハッ!仕方ねぇよな、ここは『檻の国』だ!窓も何も格子に決まってる!」

 アルスの怒りの矛先は客間の浴場だった。

 客間自体もそうだが、基本的には石造りの格子部屋だ。家具は常識の範囲内のものだが、窓や扉といったものは全くの例外で、浴場の窓ももちろん格子で出来ており、外からは丸見えだった。

「ここの人達の倫理観が怖いよ……」

 アルスが歩いているのは『檻の国』で言う街道というもので、先程居た場所と違うのは地面が土であることだけで見える景色は対して変わらず、石と格子の景色だった。

「んで、どこに向かってるんだ?」

 どこか目的があるように迷いなく歩くアルスにロッソは尋ねた。

 あたりはすっかり暗くなっており、街道にもランタンがつけられていた。

「決まってるじゃないか、地上だよ」

迷いなく答えるアルスにロッソはため息をつく。

「まぁそう言うだろうと思ったが、お前の面倒事に首を突っ込む所、どうにかなんねぇのかね」

 悪態をつくロッソを他所にアルスは装備の確認をしていた。腰のホルスターからリボルバー式の銃を取り出し装弾を確認する。

「……まぁこの国に関してはグレイさんが両親を探してくれるらしいし、ならボクは地上かな〜って」

 銃をしまうとアルスは笑った。

「それに、ここがどうして『檻』だらけなのかも分かるかもしれないでしょ?」

 緩やかな上り坂をひたすらに登っていく。景色は変わらないが、螺旋状に続く街道から見下ろす景色は少しづつ増えていった。

 しばらく歩いていると上りの街道が途切れ、そこには関所が建てられていた。正面の扉は二重の格子になっておりその先は闇に包まれている。正面には役人と思われる鎧が二人立っていた。

「やぁ、ここを通れば地上に行けるのかい?」

 アルスの問いかけに当然のように立ち塞がる鎧。

「話は聞いている。旅の者だな。残念だがここは特別な許可が降りない限りは通すことは出来ない」

 鎧達は一本ずつ持った槍を交差させ、格子の扉を塞ぐ。

「……ロッソ、余分な魔力はどれくらいあるの?」

 帽子で顔を伏せながらアルスは小声でロッソに尋ねた。

「そんな魔力あるなら『転移』までの日数が縮むぜ」

 それを聞くとアルスは大きな溜息をつき鎧達に簡単に挨拶をすると、関所に背を向ける。

 人口太陽はその光を小さくし、靄のかかったような優しい光へと変えていた。

「それに、ここは『近い』から長くは居れねぇよ。そこは理解してくれよな」

 ロッソの突き放すような言葉にムッとしながらも、アルスは鎧達に再来訪する事を伝え、グレイの用意した客間へと下り道を降りていった。

 アルスには日課がある。毎晩必ずリボルバー式の銃を解体し、丁寧にメンテナスをする事だ。使っていなかったとしても弾を抜き、撃鉄のサビがないか、銃口に弾詰まりの原因になるような汚れが無いか確認しながら丁寧に掃除をしていく。

 それが終わるとまた組み直し、弾のない状態で撃鉄を六回落とす。撃鉄を鳴らしたあと、左手の人差し指から小指の間を使い、即座に弾を装填する。

 最後にホルスターに戻す。このルーティンが終わって初めてアルスは就寝準備を始める。

「……ねぇロッソ、明日こそは地上に出てみたいんだ」

 ランタンの消えた部屋で、机の上に置かれたロッソに話しかける。

「……はぁ、言っても聞かないのは分かっちゃいたが、ここまでとはな」

 口を尖らせてロッソはため息を着く。格子の窓からは時折風が吹いており、その度にロッソは机の上から浮きそうになっている。

「ねぇ、少しなら魔力を使ってもいいでしょ?」

 ベッドから起き上がり、帽子の広いつばに小さな重りを乗せる。

「……使えるのは三回までだ、それもなるべく弱いものな」

 それを聞くとアルスは小さく跳ね、スキップしながらベッドへと戻って行った。

「さっすがロッソ!男前だね〜」

 アルスは枕の上でにっこりと笑うと、そのまま目を閉じ次第に寝息を立て始める。

「…………いや………」

 ロッソは口を尖らせ、なにやら考え込む。その口がハッと開いた時、その言葉が出た。

「オレ、顔ねぇから!」


─────────────────


 次の日の朝、アルスらを起こしたのは他でもないグレイだった。

「おはよう!昨日はよく眠れたかい?」

 当然のように扉は格子であり、彼の声も通って聞こえる。

 アルスは起き上がると、眠たげに目を擦りながら帽子のロッソを頭に被る。

「あ、おはようございます〜」

 グレイはその場から動かず、何かを待つように客間の前に立ち続けていた。

「……え、何か用事ですか?」

 アルスは寝巻きのボタンにかけようとした手を止める。

「……そうだった、済まない。朝食だが、私の部屋で用意させてある。着替えたら是非来てくれ」

 何かを思い出したかのようにそう言うと、グレイは素早い動きで背を向けアルスの客間を去っていった。

「……変なの」

 そう言いながらアルスは寝巻きに掛けていた手をロッソへと伸ばし、何かを呟く。

「……うぉっ!」

 ロッソの驚きの声と共に、一瞬でアルスは寝巻きから普段のマント付きの服へと着替えていた。

「さ、起きたかいロッソ。お腹も空いたし、行こうか!」

 アルスは格子の扉を勢いよく開けると絨毯の敷かれた石畳を軽快に駆ける。

 そんなアルスの頭の上、帽子のロッソは不機嫌そうにため息をついた。

「……あのな、その起こし方マジでやめて欲しいんだが」

 その声を鼻歌でスルーしながらアルスはグレイの待つ部屋へと走る。

 アルスが『転移』した場所はグレイの邸宅であり、囲んでいた鎧達は警備の者だという。他にも使用人や忙しく書類を持って走る役人が見られることから、彼の邸宅がオフィスを兼ねていることが分かる。

 実際、二階の吹き抜けから見える正面玄関は役場のようにカウンターが幾つか備え付けられており、昼時になると多くの人が集まっている。

「朝は騒がしくなくていいな、誰かさんが無理やり起こすことがなければもっと良かったんだがな」

 ロッソの機嫌は直っていないようで、やや不機嫌そうにしていた。

「仕方ないじゃないか、ロッソが起きてくれなきゃ着替えられないんだから」

 食事を運んだ後であろうワゴンを押す使用人を見ながらアルスはグレイの私室へと急いだ。

 アルスは格子の扉からだだ漏れのバターの匂いに腹を鳴らしつつ、扉を開ける。

「お待たせしました」

 外からも見えていたが、グレイはどうやら先に食べていたらしく、口元を軽く拭うとアルスを見てニコリと笑う。

「いいや大丈夫だよ。こちらこそ先に頂いていてすまないね、何分今日は予定が多くあるからね」

 それを聴きながらアルスも席に着く。テーブルには数種類の穀物とドライフルーツの混ざった主食に、バターの乗ったパンケーキの二品とスープが用意されていた。

 この国では地下という土地の性質上、家畜の生育がやや困難であり、豚や牛といった食肉は嗜好品とされている。一方で、穀物や果実は育ちやすく、螺旋状の街道からなる国の作りを利用した段々畑が多数ある。

 アルスは置かれている牛乳を主食に流し込むと、せっせとスプーンで食べ始める。忙しく手を動かすアルスにグレイが声をかける。

「昨日、地上への関所に行ったみたいだね」

 その言葉にアルスの手が止まる。口の中のものを咀嚼し、飲み込むと、スプーンを置いてニコリと笑う。

「はい、でも特別な許可がないということで、通らせて貰えませんでした」

 それを聞くとグレイは少々苦笑いをしながらまた口元を拭った。

「地上へ行くのは法的に制限されていると言わなかったかな」

 あくまでも困ったようにグレイは問う。残り四分の一のパンケーキはその熱を少しずつ冷ましているが、それを気にせず続けた。

「……キミの意図はどうであれ地上に行くのは諦めてくれ。キミの両親捜索は本日にでも終わる。それまではゆっくりこの国を観光してくれていると私も助かるんだがね」

 グレイはアルスの食の手が止まっていることを見て一言謝ると、残りのパンケーキを食べ、紅茶を飲み干し席を立つ。

「食後にはフルーツを用意させてある。急がず食べるといい」

 笑顔でそう言うと、グレイは部屋を出ていく。

 誰もいなくなった部屋でロッソは一つ欠伸をした。

「…………だとよ、どうすんだアルス?」

 パンケーキを頬張るアルスは考えるように首を傾げ、飲み込んだ後当然のように言う。

「いや、最終的には地上に行くよ。この国を観光するのは時間つぶしにはなるけど、どうしても引っかかるところがあるからね」

 大方食べ終わったところに来た使用人にフルーツは要らないと断りを入れ、アルスも席を立った。


─────────────────


 昼時、アルスらは部屋に籠らずに街道を下に向かって歩いていた。

 緩やかな下り坂を進むと、グレイの邸宅周辺とは違い、畑が多く見られる場所だった。露店も見られ、採れたてのフルーツや野菜、穀物を売る店が多く見られた。

「ここは商業街なのかな」

 買わされたリンゴを片手にアルスは呟く。

 カテゴリ分けするなら、グレイ邸宅周辺は居住区であり、ここは商業、農業区と言える。

「今日は時間もあるし、もう少し下まで見てみよっと」

 アルスは更に街道を下っていく。

 次に見られたのは牧場区だった。土地が少しづつ狭くなる性質上、家畜の数が少ないが、それを生業とするものの邸宅はグレイの邸宅と同様程度に大きかった。

 「まぁ、お肉の価格が高いし、乳製品もかなり使われてるみたいだからお金持ちなのかな」

 やや無感動に呟きながら街道を下る。

 下るにつれて土地が狭くなり、人口太陽の光も弱くなる。その影響か、牧場区を抜けると人が住む場所はほとんど見られなくなった。あったのは僅かな太陽光をエネルギーに変えるパネルと、寂れた鍛冶場、加えて先程までは数の少なかった鎧の兵士の姿やその屯所が多く見られた。

「ここってかなり不思議だよね、地上はもう荒廃してるって言う割には水の供給源が地上なんだよね」

 足元の下水道を見る。段々状の土地は下に水を流すことに優れ、どの層でも用途ごとに水道設備が整っていることが見られた。

 そのまま街道を下ると、上層の地上への関所と同じような建物が建っていた。

「うーん、既視感。ロッソ、これどう思う?」

 帽子のつばを叩きながらアルスは言う。

「叩くなっつーの。……まぁ、もしかしたら上と繋がってるのかもな!」

 悪い笑い声を上げながらロッソは楽しそうに話す。

「そもそもこの国に人の階級は無いってのがおかしいよな。下に降りるに連れて人の服装が貧相になってやがる」

 それを聞いたアルスは何かとんでもないものを聞いたように驚く。

「うぇ!?ロッソ、目があるの?」

 それを聞くとロッソは大きな溜息をつき、呆れたように話し始める。

「あのな、オレは一応魔力が通ってんだ。視覚、聴覚の情報をお前から取るくらい造作ねぇよ」

 アルスは褒めるかのように拍手すると帽子のつばを撫で始める。

「キミってただ口が臭いだけの帽子じゃないんだね!……でもボクと同じものを見たりしてるのはちょっとキモイかも……」

 ロッソの抗議を無視しつつ、アルスは下層の関所へと近づいていく。

 関所は上層と同様に石造りであり、鉄格子の扉が二重につけられていた。一つ違うのは、石造りの柱の左側に、この国ではまだ一度も見た事のない木の扉が付けられていることだった。

「すみません、この先には行けるんですか?」

 アルスが扉の前に立つ鎧の一人に話しかけると、鎧は槍を握り直し、少々低めな声で答えた。

「……ここから先には誰も通すことは出来ない」

 それを聞くと意外にもロッソが口を開く。

「ハッ!ならそっちの木の扉は何に使われてるんだよ」

 喋る帽子を見てか、鎧は驚いたように鉄を鳴らすと一歩下がり槍をアルスに向ける。

 それを見たもう一人の鎧も同様に槍を向けた。

「ちょっと!ロッソ、何してんのさ!」

 アルスは溜息をつきながら諦めたような顔をすると、槍を向ける鎧に向かって話し始める。

「……すみません。ボク、旅の者で今グレイって方の所でお世話になってます。この国に関して興味があって、聞いて回っているんですよ」

 グレイの名前を聞くと、鎧達は驚いたようにその槍を下ろした。

「グレイ殿のお抱え人でありましたか……大変失礼いたしました。ですが、そうだとしてもここを通すことはできません」

 丁寧に謝罪し頭を下げるも、交渉自体は進展しない。そこでアルスは質問を重ねることにした。

「ひとつ訪ねたいんですが、あなた達はこの先に何があるのかは知っているんですか?」

 そのアルスの問いに、鎧達は少々困ったように沈黙する。

 アルスが更に質問しようとすると、何かを決したように鎧の一人が口を開いた。

「この先には、罪人が行くのです。なので旅の方には縁のない場所なんです」

 口を開いた鎧を咎めるようにもう一人が声を上げる。

「おい、それは……」

 それがどうにも気に食わないのか、アルスは首を傾げた。

「………………なるほど、分かりました。教えてくれてありがとうございます」

 それだけ言うとアルスは下層を後にした。

 帰りの道筋、なにか考え込むアルスにロッソが声をかける。

「なぁ、どうしてさっき引き下がったんだ?いつものお前なら食いついてただろ」

 その問いに答えないまま、アルスは歩き続ける。

 街道はすっかり暗くなり、街ゆく人々もその姿を消していた。石造りの家からは、格子越しに夕食の香りや談笑の声が聞こえ、アルスのお腹も鳴る。

「うーん、お腹すいたよぉ!考えらんない!」

 大きな声でそう叫ぶとアルスはグレイの邸宅まで走り出す。


─────────────────


 グレイとの夕食を終え、客間に戻ると数分もせずにグレイがアルスの部屋まで訪ねてくる。

「どうかしましたか?」

 何食わぬ顔で格子の扉を開けると、グレイは「話がある」とだけ言い部屋の椅子のひとつに腰掛けた。

「アルスくん、残念な知らせだが、この国に君の両親は来ていないみたいだ。ここ数年の旅人の滞在履歴を見てみたがどうにもそれらしきものが無い」

 申し訳なさそうに頭を下げるグレイにアルスは笑って返す。

「大丈夫ですよ、ボクも親の跡をたどって旅をしている訳では無いですから、こういう事もよくあるんです」

 備え付けのケトルを持ち、二人分の紅茶を入れながらアルスは答えた。

 その一つをグレイに渡すとアルスはさらに続ける。

「ひとまず、このお部屋と食事、それにこの国のことを教えてくれてありがとうございました。明日にはここを離れるのでそれまでよろしくお願いします」

 二人は紅茶を飲みながら、暫く話をする。これまでアルスが旅してきた国の話や、そこでの出来事。

 グレイからはこの国の祭事についての話があった。年に一度の収穫祭は、職人らがバウムクーヘンの厚さを競うのだという。過去には厚さ一メートルを超えるものも作られたそうだ。その他にも多くの食事が国民に振る舞われるのだという。

 話が終わる頃には二人のカップは空になり、辺りの家のランタンも消えたのがわかった。

「今日はこのくらいにしようか、中々面白い話が聞けたよ」

 グレイはどこか嬉しそうにそう言うとアルスにお礼を言い客間を後にする。

 残されたカップを流しに持っていくと、ロッソが声をかける。

「んで、今夜はどうすんだ」

 その問いにアルスは当然のように答えた。

「もちろん地上へ行くよ。考えもまとまったからね」

 とこか清々しい顔でアルスはラックにかかったマントを羽織った。

 客間から街道に出る。辺りはすっかり暗く、街道のランタンのみが煌々と照らしていた。

 アルスは腰のホルスターを確認する。そこにはしっかりとリボルバーがあり、その冷たい銃身が出番を待っていた。

 街道を登ると、昨日同様に関所へと辿り着く。門番はアルスの影に気づくと槍を交差させ、格子の扉を塞いだ。

「こんばんは、随分とお疲れのようですね」

 にっこりと笑うアルスに対して、表情の読めない鎧は何も答えなかった。

 そんな様子を気にも留めずアルスは続ける。

「この国はとてもいい所ですよね。衣食住がきちんとしている 。それに加えて優秀な指導者もいる」

 アルスは警戒する鎧達へと近づいていく。

「でも、『いつからここは国になった』んですかね」

 どこか探偵のように、帽子のつばを触りながらアルスは鎧達の前で止まる。

「あくまでもボクの予想ですが、地上に出る道はここと下層にもありますよね?」

 それを聞いた鎧達は槍をアルスへと向かって構える。

「それは肯定と取っていい?」

 アルスは左手で帽子のつばに触れながら何かをつぶやく。

 そのまま右手を差し出すと、二人の鎧は力が抜けたように槍を落とし、倒れる。

「おやすみなさい、深夜労働は体に毒だよ」

 しゃがんで二人の寝息を確認するとアルスは関所の格子扉に手をかける。

 その後ろ、鎧達の鉄と鉄がぶつかり合う音が近づいていた。

「急げよアルス、グレイのやつも勘づいてる」

 アルスはロッソに触れながら掛けられた錠を解いていく。

 一つ目の扉が開いた時、後ろからグレイの声がした。

「……そこまでだよ、アルスくん」

 少し息を荒らげながら、グレイはその手に一丁の銃を構えアルスに狙いを定めていた。

 鎧達はまだ着いておらず、武装のない彼が単身先に追いついたことが分かる。

「意外と足、早いんですね」

 アルスは半笑いでグレイの方を向きながら、少しづつ後ずさりし、二つ目の扉へと足を進める。

 それを見たグレイは迷わずに銃の引き金を引いた。

 弾丸はアルスの足元に撃ち込まれ、次はないとばかりに銃を構え直す。

「……次は当てるよ。さあ、その手を止めるんだ」

 それを見てアルスは二つ目の扉の錠に伸ばした手を下ろした。

 グレイの後を追っていた鎧達も関所にたどり着き、アルスは関所を背に囲まれる形になる。

「……グレイさん、あなたはボクにこの国のことを教えてくれたけど、どうにも矛盾が多いんです」

 この状況で先に口を開いたのはアルスだった。

「外……地上と断絶されているこの国にはあってはならない物がいくつもある」

 アルスは錠から離した手をゆっくりとその腰に着いたホルスターへと伸ばす。

「動物や水、そして一部の調味料、加えて人工太陽。これらは『先人が』ってだけで成り立つほど単純な物じゃない」

 すっかり明かりを落とした人工太陽を指さす。

「光が落ちてもはっきりは見えないけど、あれは地上から吊るしてる物だよね」

 そこまで話すと、グレイが話し始める。

「なるほど、大した観察眼だ。伊達に世界を渡り歩いている訳では無いという事だね」

 グレイが懐から一枚の仮面を取り出す。

 黒い仮面だった。顔全体を覆うもので、目の部分は嘲笑うように弧を描いているが、口の部分は左側だけ口角が上がり、右側は下がっている。

「達しが届いたんだ。キミが来た後にね」

 その仮面を見た途端、アルスの目が見開かれた。その静寂の中、ロッソだけが笑っていた。

「あ〜あ、もう追いつかれたのか、アイツらも暇人だな!」

 悪い笑みを浮かべたグレイが手に持った銃に力を込める。

「キミの旅はここで終わりだ」

 発砲音は二つ。

 グレイの手に持つ拳銃と、アルスのリボルバーだった。

「……!」

 膝を着いたのはグレイだった。その脇腹には紅い鮮血が見え始める。

 一方のアルスはロッソに触れながらリボルバーを構え、健在だった。グレイの放った弾丸はアルスの目の前で、宙に静止している。

「ごめんね、グレイさん。ボクはその仮面がとても嫌いなんだ」

 止まっていた弾丸が落ちる。

 それと同時に鎧達が槍を構え雄叫びを上げながら一斉に襲いかかってくる。

 鎧達の一歩目と同時にアルスは背の二つ目の錠を解き、格子の扉を開く。

「ロッソ!飛ぶよ!」

 アルスがロッソに触れ、そう叫ぶとアルスのマントが羽のように二つに分かれ、アルスの体が浮く。

 襲いかかる鎧に背を向け、扉の先の闇へと進む。


─────────────────


 そこは通路と言うよりは穴だった。二つ目の扉からそう遠くない距離から垂直に穴が伸びている。垂直部分は凹凸の無いツルツルとした壁で、降りることは可能でも登ることは不可能なように作られている。

「光が見えない……蓋でもされてるのかな……」

 垂直に飛翔しながら呟く。速度こそ早くはないが、それ以上に地上までの距離は遠くなかった。

「蓋じゃ……無いみたいだな」

 ロッソの言葉と同時に穴を抜ける。闇に包まれていた地上の正体は満点の星空だった。

 地面に降り立つとそこは草原で、はるか遠くに一つの街があるような明かりが見える。

「…………はは、これは、そうだね」

 アルスの目には綺麗な星空よりも目を奪うものがあった。目を奪うと言うよりも、景色を汚すように目に映るものがあったのだ。

 檻。

 草原はある距離から四方を檻で囲まれていた。星すらも、檻によってその姿が見えないものもある。

 地下世界であまり感じることのなかった風が吹くと、地上の季節が寒冷期にある事を教えてくれる。

「とんでもねぇ所だったな、牢獄そのものを国に変えちまうような奴らだ。地上に侵攻するのもそう遠くねぇかもな」

 そう笑うロッソに空返事をしつつ、アルスは周囲を観察していた。

 アルスらが出てきた穴。その周囲には特に建物はなく、穴の近くに一つ看板があるだけだった。

 その内容は簡単で、使用されていた期間が書かれている。地下世界の年号が正確なものでは無いため、この穴がいつ使用されなくなったのかは定かではないが、看板の劣化具合からそう近いものでは無いとアルスは感じた。

「んで、アルス。オレの準備はできてるけど、どうするんだ?」

 ロッソの言葉で我を取り戻したようにアルスは答える。

「あぁ、そうだね。仮面が届いてるってことはもうここには居られない。いいよ、行こうか」

 その言葉とともに、アルスは帽子のつばに触れる。

 少しづつ視界が眩くなり、体が浮き上がるような感覚に襲われる。

 それに少々の気持ち悪さを感じつつも、アルスは次なる旅へと心を馳せる。

「次は、どんな国なのかな」

 こうして、アルスらはこの檻の国を去っていった。



第一章 檻の国  fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る