8.暴走

 叔父と兄貴は相性がよくない。

 教授も務めるような知的な叔父さんは、おかしな性格を兄貴が苦手なのだろう。

 無理もないと思う。

 このおかしな兄貴の相手を抵抗なくできるのは、僕と、死んだ両親と、アパートの大家のおばあちゃんと、あとは小夜子くらいだった。

 このボロボロの服を着た、禿げ上がった薄汚れた僕の兄貴――僕はふと尋ねた。


「……なぁ、兄貴さ、なんでそんなにボロボロなんだよ。というか、昨日はどこへ行っていたんだ?」

「……と、遠くへ」

「遠くって兄貴が?」


 どうせ近所を一人でフラフラしていたのだろう。

 そう思っていると、ずっと叔父を睨みつけていた兄貴が声を上げた。


「け、権利書をぉ、盗んだのは叔父さんたちだ!」


 僕も、叔父もびっくりしてしまった。


「渡さない、渡さないから! この、こんの、家はおかあさんと、おとおさんと……のだからなっ」


 兄貴は激しく叔父に食って掛かる。


「ちょっとなんだよ? どうした?」


 僕は間に入って、兄貴をなだめた。

 叔父はびっくりしてしまって、萎縮している。

 その巨体で暴力でも振るわれでもしたら、ひとたまりもないと思い、僕は一瞬身構えた。

 しかし兄貴は、今度は突然立ち上がるとキッチンへと駆け込んで嘔吐した。


「……おい、大丈夫か」


 興奮しすぎて気持ち悪くなったのだろう。僕も席を立ち、兄貴の様子を見た。

 兄貴はひとしきり嘔吐したあとで、涙目になって、それを袖口で拭うと、コップに水をくんで口に含んでうがいをした。


「……勝、僕はもう帰ろうか? 信介も具合わるいみたいだし」


 叔父が気遣ってくれた。


「すいません、ひどいありさまで」


 無言で、ダイニングテーブルの椅子に座ってぐったりする兄貴を尻目に、僕は叔父を玄関へと送った。


「印鑑は、いつもと違う場所に隠しておいたほうがいいよ。信介のためにもね」


 靴をはいた叔父が、玄関で振り返って言った。それから、叔父は靴箱をあける。


「こういうところに隠したりさ」


 そこには、亡き父の靴がしまわれていた。


「なるほど」


 僕はそのなかの靴の一つに印鑑を滑り込ませた。叔父はウィンクをして浅場家を後にした。

 キッチンのほうで兄貴の唸り声が聞こえた。

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