第11話 神野崎 麗子

何処ともしれない、赤い壁に囲まれた部屋の中。

室内には窓がなく、電灯は消されている。

広いデスクの読書灯だけが、ぼんやりと気味悪く空間を照らしていた。


水晶玉の前に座る神野崎 麗子の傍らには、黒子の頭巾を被った男子生徒が控えている。


「神野崎様、どなたからお裁きをお下すおつもりで?」


デスクの上には、他の五人の候補者の隠し撮り写真が大量に広がっていた。

特に、村田 舞花の写真は釘で滅多打ちにされている。


「何にでも手順というものがある。まだゲームは始まったばかり。歩兵を取らずして、いきなり王将を取ることはできない」


「なるほど、カスから潰すと」


「ええ」


大きな水晶玉に、神野崎の瞳が冷たく映る。


「──────まずは、C組の柳 朔也から」


「して、どのように」


「焦らないことよ。もう一手は打ってある」


丁度その時、赤い部屋の扉をコンコンと叩く音がした。


「いいわ、入って」


神野崎の声に扉を開けて入って来たのは、一人の女子生徒だった。

帝王学園三年A組の、北原 美嘉(きたはら みか)である。


「神野崎さん。柳くんの秘密、教えてくれるって……本当?」


紺色の髪に、短めのポニーテール。

少し気の強い北原が、いつになく不安な面持ちで尋ねる。


「ええ、勿論。あなたの恋の成就は、この神野崎に任せなさい」



──────────十五分後。

赤い部屋には香のようなものが炊かれ、謎の煙が充満していた。


「北原 美嘉さん、あなたは柳 朔也のことが好きなのね」


「……はい」という返事はどこか虚ろで、まるで魂が抜けているようだ。

北原は首が安定せず、白目を剥き、口端からはヨダレを垂らしていた。


「でも、残念ね。柳 朔也は、小川 長閑のことが好きなのよ。あなたのことなんて、眼中にないの」


「…………」


「もしも、小川 長閑とあなたが断崖から落ちたとして、柳 朔也は迷わず小川 長閑を助けるでしょうね。あなたを足蹴にしてでも。

────────柳 朔也が憎い?」


「………憎い」


「ええ、わかるわ。そうでしょうとも。柳 朔也にとって、あなたなんてどうでもいい存在なんだもの。でも一つだけ、あなたの恋が実る方法がある」


「……、なぁに」


「帝王学園の東校舎の屋上。あそこの鉄柵は錆びれていて、一部が無くなっているの。ここに、屋上の鍵があるわ」


神野崎は、北原の前に鍵を置いた。


「あなたは柳 朔也を東校舎の屋上に呼び出して、撃つなり刺すなり殺しなさい。そしてあなたは、彼を殺した後、鉄柵の無いところから飛び降りるのよ。これであなたと柳 朔也は、未来永劫結ばれるわ」


「………ほんと?」


「信じなさい。神野崎ではなく、神野崎の占いをね」





下校の時間。

小川は美術部、音岸は何か用事があるらしく、柳は一人で靴箱へ向かっていた。


「……ん?」


柳の靴箱の扉に、白い手紙が差し込まれている。


「何だこれ……挑戦状か?」


雑草を極めし陰キャには、手紙=ラブレターという思考回路は存在しない。


柳は取り敢えず、周りに人のいないことを確認して開いてみた。



『柳 朔也 様


あなたのことが、ずっと好きでした。

放課後。東校舎の屋上まで来てください。 』



「……えっ。え?」


長い文章でもないのに、内容が頭に入ってこない。

『ずっと好きでした』の部分を、近眼のように目に近付けて何度も読み直す。


(『好きでした』……『好きでした』……『好きでした』『好き』『好き』『好き』………………ってことは、罠か。 あの屋上は誰も入らないし、鉄柵のどっかでもぶっ壊れてて、そこから突き落として殺す魂胆だな……騙すならもっとリアリティのある手を使えよ)


疑いながら、柳は手紙を丁寧に鞄の中に入れた。

午後四時半。案の定、東校舎の屋上に柳の姿はあった。


(─────と言いつつ、本当だったら嫌だと思ってのこのこ来る俺……救いようのない馬鹿だな。ていうか……ここって空いてるんだ)


長い間誰も入っていないため、屋上の床は埃と砂だらけだった。

思っていた通り、錆びきった鉄柵は一部崩壊ひている。


暫く経っても手紙の相手はなかなか来なかった。

一時間ほど待ったところで、ようやく屋上の扉がうるさい音を立てて開いた。


「…………っ!!」


柳は驚きの表情を隠せない。

そこに居たのは、小川だった。


「……柳くんっ!?」


小川は顔を真っ赤に染めた。

なぜか小川も、驚いている。


「……もしかして、小川なの?俺を呼び出したのって」


「……あれ、柳くんが私を呼んだんじゃなくて?」


その時、二人の背後で屋上の扉が鳴った。

ガチャンと、鍵が締められる。


「役者が揃ったわね」


ゆらりと現れたのは、先ほど神野崎の手に落ちた北原 美嘉だ。


「北原さん?」


「……え、誰」


柳の無神経な発言に、北原が俄に青筋立つ。


「誰って、柳くん!A組の北原さんだよ。ほら、中学校も一緒だったじゃん!」


「ああ」柳は思い出したように、ポンと手を叩いた。


「…………やっぱり。ご主人様の言った通りだ。私なんて……私のことなんて……誰も」


焦点の合わない目のまま、北原が呟く。


「北原さん、どうしたの?なんか、様子がおかしいよ」


「思ってるだけじゃ、伝わらない。

でも、それは私のキャラじゃなから……いつも強気で勝気な私が……恋だなんて、笑われるから。

………個性って何!?キャラって何なの!?

………誰も、私を理解してくれない。

─────────そう、ご主人様以外は」


「……私を見て」北原は突然袖からナイフを取り出し、柳目掛けて突進した。


「柳くん……っ!!!!」


柳が北原の手を掴む。

グググ、と力の押し合う音がする。

ナイフの先は、柳の腹を抉るギリギリのところまで来ていた。


「やめて北原さん……!」


小川が必死に北原の腕を引っ張って止めようとする。だが、北原はビクともしない。


「北原……っ、どうしたんだ」


「柳くん、覚えてる?

中学生の時、私はみんなにちょっと特別扱いされてた。私が、そこそこ権力のある家庭に生まれたから。

みんな、私を見てくれなかった。

みんなが見ていたのは、私じゃない。

私の権力と、その恩恵。

───────でも、柳くんだけは違った。

権力にも、学歴にも、お金にも興味が無い。柳くんだけは、もっと大切なもの……何か、本当のものが見えているような気がした。

私の家が零落して、私が権力無しになっても、柳くんは態度を変えなかった。

何だかんだ、権力のあることに苦しんでいた私に、一言『お疲れ』って言ってくれた」


(いや……それタダの悪口じゃない?)小川は北原にしがみつきながら、思わず心の中でツッコむ。


「北原…………」


「本当は、柳くんが選挙に出るってわかった時、応援したいと思った。

でも、柳くんには、いつも小川さんや音岸くんが一緒だった……私の入る隙なんてない。どうやって歩み寄ればいいのか、わかんない……わかんないよっ!!!!」


北原はふいにナイフをかなぐり捨て、小川の腕を引っ掴む。


「えっ、ええ!北原さん!?」


北原は戸惑う小川をよそに、壊れた鉄柵に向かって全速力で走った。


(大丈夫だよ小川さん。あんたは助かる)


「小川っ!!」


(……ほら見なさい。柳くんは私を見捨ててあんたを助けるよ。殺し損ねちゃったけど、これはこれで柳くんの株が下がる。少しは貢献になるでしょ?ご主人様)


北原は何の躊躇もなく、小川を連れて飛び降りる。


(───────柳くん)


小川は、柳に向かって手を伸ばした。

柳も手を伸ばすが、すんでのところで届かない………………。


北原も小川も、共に転落した──────────かのように思われた。


「……?」


目を瞑っていた小川が、瞼を開ける。

身体がぶらりと宙に浮かんでいた。

上を見上げると、柳が左手に小川、右手に北原の腕を掴んでいる。


当の北原は、気絶しているようだった。


「くっ……、」と柳は踏ん張るが、いくら女性でも二人の体重を支えるのは不可能だ。


鉄柵の根元がはめ込まれた、たまたま少しせり上がっている部分に膝を掛けて耐えている。


「ダメだよ……柳くんまで、落ちちゃうよ」


小川がさも、自分を離せというように柳を見た。


「馬鹿……これでどっちかでも死んで、俺が生きてたら一生夢見が悪いだろ。俺、安眠できないと暴れるタイプだから」


「……何、その悪酔いすると暴れる酒乱みたいなタイプ」


「糞、こんな展開向いてねぇ……!俺……体育会系じゃ……っ、ないのにっ……!!!!」


柳は存在しない力を振り絞り、二人を引き上げた。


「柳くん……ありがとう」


小川が頬を赤らめて言うが、柳は息が上がってそれどころでは無い。


「……ちょ、ちょっとたんま」


ゼーゼーと肺を鳴らしながら、そう言うのがやっとである。感動シーン的な雰囲気もムードも何もない。


「……あれ?なんで、私……」


北原は、朦朧としつつも意識を取り戻した。

神野崎の催眠が解けたのか、目の焦点が合い、顔色も良くなっている。


「北原さん、大丈夫?」


「………あれ、小川さん?私、何かしてた?」


「告白して、ダイブした」


「柳くん、簡潔……」


「……告白?告白……こく……は……、え?」


北原の顔が急に真っ赤になり、噴火する。


「どどどどういうこと!?……あ。そう言えば、私、神野崎さんのところに行って……」


「神野崎……」柳が眉を顰める。


「それで……それで………」ふと、北原の目には転がったナイフが映った。


「柳くん…!私、告白しただけ?それだけだよね!!私、柳くんにも小川さんにも、何もしてないよね!?」


縋るように聞く北原に、柳は「ああ」とだけ答えた。



帰り道。

流石に気まずいが、三人は一緒に帰っていた。先を行く柳の後ろを、小川と北原が遅れて付いて行く。


「北原さん、柳くんの選挙陣営に入らない?」


沈黙の中、小川が突然口を開いた。


「……え?」


「さっき、北原さん言ってたでしょ?北原さんも、権力に縛られない、本当の価値を知っている世界に、憧れてるんじゃないかと思って」


「そりゃ、そうだけど……」


「決めた…!北原さんにだけ言うっ!

私も、柳くんのことが好きなんだ。凄く好き……!でもね。私が柳くんの選挙陣営に居るのは、柳くんを応援したいのは、それだけの理由じゃないの。柳くんの意志が、私と同じだから……」


「本当にできると思ってるの?」


北原は冷たい口調で言う。


「本当に世界が変わるって?綺麗事だと思わないわけ? 子供みたいだって。

いくら本気でも、できることとできないことがある。権力者にとって、私達なんて足の裏のゴミと同じ。ゴミの一部が足掻いたって、どうにもならないことがある。気付いてるでしょ?馬鹿にされてるって。

今ですら、笑われてる。これからも嘲られるし、笑われるし、万が一柳くんが会長になれても、敵しかいないよ?

────────それでも、続けるの?」


「…………うん」


「そっか」


北原は先程までの態度を改め、優しく微笑んだ。


「─────じゃあ、私も一緒に笑われる」


「え…」


「ごめんね。私、正直世界が変わるとは思えないんだ。でも、理不尽に苦しめられている人達がいる。

変わらないからって諦めて、不平不満愚痴だけ言って、何もしないで生きるより、意味が無くても、変わらなくても、何か自分にできる行動をして生きたい。

────────── 一緒に、戦わせて」


北原の瞳は凛々しく、澄んでいた。


「ありがとう、北原さん」


「でも……柳くん、許してくれるかな」


「大丈夫だよ。柳くん優しいもん。それに北原さんのせいじゃないし、何とも思ってないと思うよ」


「小川さん……あんたいい子だよね。私と大違い」


「一緒に頑張ろ。やれることをやろう」小川は、北原に拳を差し出した。


「うん」北原もそれに応え、拳を合わせる。



──────────こうして、柳の選挙陣営には新たな支援者が加わった。

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