第5話 六人の立候補

─────音岸と別れ、面会室からの帰り。

すっかり夜の深まった暗い道を、柳と小川は無言で歩いていた。


一昔前のだだっ広い道路だが、人通りはまるでない。


折れた「止まれ」の標識を見送りつつ、柳はふいに立ち止まった。


「小川」


「どうしたの?柳くん」


柳の少し前を行っていた小川が振り向く。

ふわりとした髪が揺れ、ほのかにいい香りがした。


「ありがとう」


「……え?」


「お前があの時、教室で俺の味方になるって言ってくれなかったら、俺はこんな決断できなかった」


「そんなことないよ。私が居なくても柳くんは……私なんて、何も……」


小川は少し顔を伏せると、微かに頬を赤らめた。


「ありがとう。マジで」


「……よかった」


「えっ」


「柳くん、元気になった」


小川は、ただただ柳がその瞳に輝きを取り戻したのを嬉しく思い、へなっと微笑んだ。


「ごめんな……巻き込んじまって」


柳は小川に対する罪悪感から、胸が締め付けられるのを感じていた。


「会長選挙は文字通りの命懸けだ。小川の身にも何が起こるか……」


「それは柳くんの選挙陣営に居ようが、他の選挙陣営に居ようが、同じことだよ」


「だけど……」


「それにさ、人はいつか死ぬんだよ。

それなら、この狂った世界の流れに流されるがまま、身も心も削られて死ぬより、世界を変える為に柳くんと一緒に戦って死んだ方が、ずっといい。

────────それが、私の意思だから。

自分の選んだ候補に投票できる。

それだけが、私達に与えられた唯一の自由……権利だもん。

柳くんには、その権利を奪うことはできないよ」


小川は普段、ドジで気弱で自己主張が苦手だ。それでも、こういう時に限っては、誰よりも頑強な芯の強さをみせ、柳は感服するのだった。


「小川……ほんと、ありがとう」


小川は何も言わずに、へへへと照れ笑った。


(大好きな柳くんのためなら、私は…………)


小川は一人でそんなことを思うのだった。





──────────2日後。


私立帝王学園高校の全校生徒は皆、体育館に集められた。


舞台に巨大なプロジェクターが降り、『20XX年度 生徒会長選挙 候補者氏名発表』の文字が出ている。


小川は緊張の面持ちで、柳の名前が出るのを待ちわびていた。


「静粛に!!」


張りのある美声が館内に響く。

校長の一声により、ザワついていた全校生徒がピタリと静まった。


「では。今年度の生徒会長選挙、候補者名を、順に発表する!」


細い赤縁眼鏡をかけた若い女校長は、大仰に咳払いを一つしてみせた。



「まずはA組。金城 吉乃(きんじょう よしの)!」


途端、盛大な拍手喝采が体育館内に巻き起こる。


”金城センパーイ!!”


”応援してまーす!”


”よっ!金城ちゃん世界一!!”


金城は、甘ロリータファッションで有名な読者モデルである。

赤みがかったベージュ色の髪を、ボリュームのあるツインテールに結んでいる。

大きなレースリボンが印象的な、先祖が株で億万長者となった家のお嬢様だ。


「お金は権力という花の種。わたくしに投票すれば、輝かしい種をたくさん蒔いて差し上げますわ」




「続いてB組。石崎 時人(いしざき ときと)!」


”キャー!!石崎くーん!”


”石崎くん、昨日の配信観たよー!!”


”頑張ってー!!”


石崎は派手なピアスを付け、爽やかなブロンドは流行りの髪型にキメている。

大物芸能人の息子で、容姿端麗、成績優秀。

イケメンパリピキャラとして売り込み、女性を中心に人気のある動画配信者。


「権力を持つのに相応しい人間。それは、豊富な人脈を有する社交上手に世渡り上手」



「同じくB組、神野崎 麗子(かんのざき

れいこ)!」


”神野崎さまーっ!!”


”お導きください”


”我々愚民に光をー!”


水晶でできた勾玉のネックレスに、美しい薄紫の髪と瞳が映る。

神野崎は分厚い占い本を片手に開き、もう片方の手には鈴を握っていた。

神野崎家は遥か昔、主に祓い屋として名高い陰陽師の一派であった。

しかし時代の流れと共に祓い屋としての地位は廃れ、代わりに占い師の家系としての名声を手に入れた。


「歪んだ世界に病み疲れた、迷える魂をお救いしましょう。神野崎ではなく、神野崎の占いを信じなさい」



「C組は三名!」


校長の”C組”という言葉に、柳と小川が反応する。

もうすぐ、柳の名前が出る。



「まずは一人。矢吹 雅鷹(やぶき まさたか)!」


拍手の音をかき消すように、ヒューヒュー!と至る所から口笛が鳴った。


”よっ、番長!!”


”付いて行きます矢吹さんっ!”


矢吹は少し暗めの銀髪をした、帝王学園きっての不良である。

身体は細身だが腕っぷしは強く、喧嘩は派手で残忍。

後輩からは「番長」と呼ばれている。


「持つべきものは、金でも女でも占いでもねぇ。肩書きに入らねぇ権力……裏の力だ。俺に投票しねぇ奴は…………」


矢吹はそう言って、自分のこめかみに銃を突き付ける真似をした。


「ばぁん」


三白眼の目を見開き、殺気を飛ばす。周りの何人かは、矢吹の恐ろしさに息を飲んだ。



「続いて二人目、村田 舞花(むらた まいか)!」


今までで一番の激しい歓声と拍手がこだまする。

村田は現役官房長官の娘で、帝王学園高校一の美人と言われていた。

上品なロングストレートの黒髪は、カラスの羽のように艶やかだ。


「毎日を何となく生きている皆さん。

いつでも当たり前のように明日が来る保証なんてないのことを、ご存知かしら?

これだけ言っておきましょう。

──────私を選んだ者には、それ相応の未来があると」


気立ての良い優等生という印象の村田は、極めて落ち着きをはらってそう言った。



「三人目は誰ですの!?」


金城が焦れったそうに三年C組の列を睨む。

金城にとって、ここまでで発表された四人の立候補は想定内のことだった。

しかし、あと一人の候補者の検討がどうしてもつかない。

金城だけでなく、それは他の四人の候補にとっても同じだった。

予期せぬ刺客が居ることに、誰もが焦燥を隠し切れずにいた。


「三人目は…………」


五人の候補に緊張が走る。


「────────柳 朔也(やなぎ さくや)!」


小川は喜び勇んで大きく拍手した。

しかし、小川の他には誰一人として、柳に拍手を浴びせる者はいない。


(ええ……なんでぇ……?)


恥ずかしいのと不思議なのとで、小川は変な気持ちになり、次第に拍手の手を止めた。


((……柳くんが!?))


((……あの柳が?))


金城と神野崎はまさかという顔をし、石崎と矢吹も眉を顰めた。


(……なるほど。私を差し置いて学年一位を取っていたのは、あなただったのね)


五人の中で村田だけが、面白いことを知ったとでもいうように、不敵な笑みを浮かべていた。



”柳?”


”柳って誰だ?”


小川の耳に、下級生が小声で話すのが聞こえてくる。


”俺、先輩に知り合い多いけど聞いたことねぇな”


”野球部じゃね?”


”いんや、サッカー部だろ”


”居ねぇよ柳なんて先輩”


”じゃあ誰だ?”


”もしかしてさ……勘違い野郎なんじゃない?”


”あー!毎年居るっぽいよな、陰キャの癖に勘違いして立候補する奴”


”ウケるマジきめぇ。それだわ絶対”



自分が陰口を言われているかのように、小川が思わず俯く。


「─────────────俺は!」


衆人環視の中、柳は声を上げた。

周囲のザワつきが消える。


(柳くん!?)


小川は驚いて後方の列を振り返った。

体育館中全ての視線が、柳一人に集中していた。



「────────俺は、野球部じゃねぇ。サッカー部でもねぇ。そもそも、部活に入ってねぇ。陰キャで、勘違い野郎かもしれないし、マジウケるしきめぇかもしれないけど…………」


途端、陰口をたたいた下級生たちが顔を引き攣らせて固まる。


(柳くん……全部聞こえてたんだ……)


小川は柳の地獄耳に感服した。



「──────────俺は、真面目にこの世界を変えたいと思ってる。

ここに居る、俺以外の候補者の五人は、全員が権力者だ。

────金城は金持ちの令嬢で読者モデル。────神野崎は由緒ある家柄の占い師。

────石崎は芸能人の息子で人気配信者。

────矢吹は肩書き証明に加算されない、裏の権力者。

────そして村田は、現役官房長官の娘。


権力者の子供が権力者になる……それじゃあ空気は腐っちまう。外からの、新しい風が必要だ。

俺は換気がしたい。

正しい正義なんてないし、『正しさ』だって色々だ。でも、屁理屈抜きにて、人としての倫理も道徳もないこの社会は……明らかに『正しい』わけがないだろ。

幼稚だと思うなら笑えよ。

俺はあくまで、自分のためだけにボサっと卑屈に生きるより、姉の意志を継いで、周りの人のために生きようと思い直しただけだ」


体育館の全員が、言葉をなくしていた。

普段は目立たない柳が、全校生徒の前でそのようなことを言ってのけようとは、誰も予想だにしなかった。


次第に、パラパラと拍手が起きる。

嘲笑する者も多かったが、小川はひとまず安堵に顔を綻ばせた。


「以上六名!!これにて、生徒会長選挙候補者名発表を終了する!皆、選挙当日までによく考えるように。……解散!!」


生徒の波が堰を切ったように、ぞろぞろと体育館を出ていく。




「このゲーム、面白くなりそうね……」


柳の後ろ姿を見詰め、村田は低く呟いた。

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