2/4 承
連帯保証人という制度は、まさに書類にサインした相手に借金を押し付ける為だけに存在すると言っても過言ではない制度だ。我々の業界では連帯保証人を用意するというのはお人好しの馬鹿に借金を擦り付けるという意味を持ち、それは一見して詐欺のような合法の行為なのだ。
そして目の前に、その連帯保証人のサインを愚かにも一筆書いてしまった父親を持ったが故にこんな場所で非正規雇用される羽目になった少女が一人。尤も、当人はその宿命を特に気にした様子もなく事務所のインテリアを着々と彼女の美的感覚によって塗り替えている。いっそ自分の部屋でない分面白がっているのかもしれない。
学校に提出した書類は、思いのほかあっさりと受理された。一悶着くらいは覚悟していたが、学校から確認の電話一本、僅か3分足らずで向こうは納得して引き下がった。揉め事は御免であるのは確かだが、こうも事情背景を考慮されずに許可が出ると逆に学校側の怠慢や瑕疵があるのではないかと勘繰りたくなる。
結局のところ、彼女は学校の授業が終わると3時間、この事務所を掃除したりインテリアを弄ったりする仕事に就いたこととなった。どうせ3時間も連続することはないだろうと思って事務所の休憩室で休憩なり勉強なりしていいと言っておいたら、最近は勉強で分からないことを聞きにくるようになった。何度も往復されると面倒なので、結局現在は事務所に貰い物の机を設置してそこでさせている。
時折やってきた客が彼女を見て無駄に勘繰ったり、娘さんですかと見当違いな質問を飛ばしてくるので、デスクにアルバイトであることを説明する三角プレートを設置した。翌日、彼女が「社長」と書かれた三角プレートをどこからか買ってきて、何が楽しいのかにこにこしながらこちらのデスクに設置した。
こうして事務所に自分以外の人間がいるというのは奇妙に感じるが、不思議と苛々が募ったりうんざりした気分にはならなかった。別段喜ばしいと感じることはないが、少女は邪魔に感じない絶妙な距離感を計っているのか、いることに違和感を覚えさせない。一昔前の基準でいう「いい女」、いや、或いはそれは現在でもそうかもしれない。夫婦でさえ共同生活では多かれ少なかれ相手がいない環境に一種の解放感を覚えるのだから。
暇な折に書類整理をしていると、不意に少女に質問された。あまりお客さんが来ていないが、普段からこうなのか、と。少し気遣わしげだったことから、失礼を承知での質問だろう。隠したり嘘をつく理由もないので正直に言えば、おおよそ彼女の予想通りだ。この会社は個人経営だから手広くはやっていないし、精力的に貸付にも行っていない。それでも相手を選べば意外と儲けは出るものだが、やはりというか利益は非常に緩やかな黒字といったところだ。少しばかり資金繰りが悪化すれば赤字にも転じるだろう。
説明を終えると、少女は小首を傾げ、お金儲けには興味がないのかと問うた。やや考え、生活できる分さあれば後はさほど求めていないと答えた。彼女の父親など不良債権の代表のようなものだが、それでも激しい取り立てを行っていないのは、一人でそれをするのが一苦労だからだ。客が来なくても土地の貸出で多少なりとも安定した金は入ってくるのだから、無茶をする必要はない。
少女はさらに不思議そうな顔をした。まるで他人事みたいな言い方に聞こえたという。そう言われると、あながち間違いではない。そのうち暇な時間に、わざわざ面倒な金貸しをしている理由を話してみることにしよう。
◇ ◇
その日も客が来ない日だった。つまり時間は余っていたので、退屈しのぎと約束がてら、少女になぜこんな会社を存続させているのか説明してみることにする。姿勢を正してわくわくしながら話を待つ少女に若干の居心地の悪さを感じつつ、記憶を丁寧に掘り返す。
その昔、名を言えば10人中9人は知っている有名な会社の社員として働いていた時期があった。その程度の能力とやる気が、その頃はあったからだ。しかし若気の至りなのか、ふとした切っ掛けから当時の上司との仲が悪化。そのまま一方的な敵意が会社の構造を借りて襲い掛かり、結局挽回できずに会社を追い出される事態に発展した。
言ってしまえばそれは上司の私情による不当解雇であり、裁判に発展させることも出来る内容だった。気分で将来をふいにされるような不当な扱いに怒りが収まらず、法律関係に詳しい友人を訪ねて話を切り出すほどには、納得がいかなかった。
友人は小さな金融業の社長をしていた。話を聞いた友人はしばし考え、やがて「そんな馬鹿にわざわざ付き合うために時間と金をかけるのなら、うちで働かないか」と提案した。人の話の腰を折るような言葉に怒りが湧き出てその日は別れたが、その日の夜になって改めて考えれば、自分は現在無職であることに気付いた。
勝てるかどうかも分からず判決までに何年もかかる裁判を起こす意義はあるかもしれないが、それは自己満足と自己犠牲に近いものであり、人生という貴重な時間に見合った対価となるとは限らない。一晩考え、翌日に目の下にたっぷりと隈を作りながら友人に働かせてくれと頼んだ。友人は、悩みすぎだと苦笑しながら受け入れた。
社員は誰もが社長に拾われた者ばかり。アットホームな職場だなどとうそぶく求人も出してはいないが、内心で仕事に不安も抱えていた余所者を彼らは実に温かく受け入れてくれた。なにより社長と古株の友人ということもあり、無駄話と過去話は盛り上がった。
厄介な客はいるが、別段危ないことに首を突っ込むわけでもない真っ当な金融業――最高の場とは言い難かったが、一定の満足が得られる毎日に不満はあまり湧かなかった。むしろ、かつて仕事をしていた会社のそれより精神的にも肉体的にも開放されている気がした。
経営は上手くいっていたが、会社の規模は大きくない。それについて、いつだったか、友人がこんなことを言っていた。ここが居場所で、向かう場所で、帰る場所だ。だから周囲にとってもそういう場所であれるように、無理な経営で業績を伸ばそうとしたくない、と。経営者としては褒められたものではない甘い考えだが、それでも利益を出しているのは友人の才能と人徳があったからだろう。
だが、この世界に変化しないことなど存在せず、人間の関係も環境も永遠ではない。
ある日、友人が仕事に出たきり連絡が取れなくなった。友人は時折携帯電話を家に忘れたりする人間であったが、それでも半日以上連絡が取れないなんてことは殆どなかった。社員は時間が経つにつれて不安を覚え、やがて数人で彼の家や行きつけの店、お気に入りの場所などを個人的に探し回った。しかし、有力な手掛かりが見つからないままその日は終わった。翌日も、そのまた翌日も社員は時間を見ては友人を捜したが、見つかりもしなければ連絡もなかった。
やがて、営業者不在の金融会社は社長の捜索届を警察に提出し、自らも独自に捜索しつつ仕事を続けた。失踪の件が世間に知れ渡ると、暴力団とつるんでいたのではないか、などと根拠もない憶測が飛び交うようになり、風評被害は会社の業績を悪化させていった。
当時、代理で代表の座に就いた副社長はなんとか会社を切り盛りしようとしたが、不幸なことに彼の能力は社長に及ぶものではなかった。給料の支払いも苦しくなってきた頃、社長を慕っていた社員が退職届を提出した。社長がいないのでは、という思いと、会社に見切りをつけたのもあるだろう。それが最初のペンギンだった。社員は次々に退職し、狭かったはずのデスクがビンゴゲームのように不規則に少しずつ空白になっていった。
気が付けば、最後に残っていたのは己のみ。会社では新参で、深い思い入れがある訳でもない。ただ何となく、友人が生きているなら帰る場所を残しておきたかったし、死んでいるなら彼の生きた証である会社に遺影を飾れないのは寂しいだろうと思った。ただそれだけだった。それは恩義のようでそうでもない、薄ぼんやりとした感情だった。
馬鹿な男の退屈な話が終わると、唯一の拝聴者だった少女はどうしてか、瞳から大粒の涙をぼろぼろと流しながら泣いていた。さしずめ彼女の中ではこの話は忠犬ハチ公の人間版だったのか。現実は物好きの馬鹿が雲隠れした友達の遺産を掠め取って中途半端な仕事を続けているだけの話だが、それをどのように解釈するかは拝聴者に委ねられている。
少女は社長が早く見つかることを願うと涙ながらに語ってくれたが、個人的にはこの事務所の現状を見せるのは如何なものかとも思う。業績は並の並で最盛期時代の熱は失せ、少々美的センスに難のあった社長お気に入りの掛け軸も仕舞ったし気の知れた社員たちは薄情にも退職。現在は女子高校生に着々とインテリアを弄られているこの事務所の現状を見たら卒倒するかもしれない。案外、それも見てみたい気はするのだが。きっとそれからずっと人生の笑いの種として酒の場で散々に弄ることができるだろう。
そういえば、自分も少女も誰かのためにこの会社で働いているのだなと思う。こちらは行方不明の友人のために、少女は実の父親のために。どちらもあまり健全な労働とは言い難いが、奇妙な縁を持つ者はどこかで惹かれあっているのかもしれない。
それから暫くの月日が流れた。少女も少しずつ会社に訪れる人のことを覚え、笑顔で挨拶したり世間話をしたり、相手を心配したりところころ表情を変えている。そのどれもが偽りのない本心からの行動だが、それに反応する人もいればそうでもない人もいる。
業績を伸ばすための計画に足りない金を求める町工場の工場長、調子に乗って高級車を買った楽天家の若者、夫に内緒で嵌まったショッピングの結果として予想外の負債を抱えてしまった夫人……深刻なものからそうでもないものもあり、計画性のあるものもあればないものもある。決まって共通しているのは、金が必要なのに持ち合わせはないということだけだ。殊更、自分が借金まみれである現実を受け入れられないような人に少女の言葉は届かない。聡い少女は少しずつそれを学んでいた。優しくするだけが優しさではない――そんな台詞を真顔で言える学生など、そう多くはないだろう。
一方、彼女の父親は一向に借金返済に動き出すそぶりが見えない。少し前に抜き打ちで様子を探りに行くと、儲けたなけなしの金でパチスロ三昧をして盛大に金をすっていた。ここまで典型的な不良債権も珍しい。こうなる前はまっとうに働いていたと少女から聞いているが、この様子では娘にすべての借金を返させる気かもしれない。
肝心の会社経営については、清廉な少女がバイトを務めているという噂から少しばかり客足が増えた。代わりに少々下世話な人間も顔を見せることになったが、生憎と会社を守るために荒事もこなした自分の一種の悪名が、従業員である少女を守る防壁になっているらしい。世の中、何が転じて幸いとなるのか読めないものだ。
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