第2話 祭り
清助はこの宿場町の呉服屋清兵衛の一人息子である。
今日も町道場の帰り、竹刀と防具を背負って、秋の夕暮れを家路に向かっていた。
遠くに見える栗駒山、ここでは須川岳と呼んでいる山際もすっかり秋らしくなってきた。
赤とんぼの飛ぶ方向を見つめて、視線を少し落としたところに若い娘と視線が合った。
近くの百姓家の娘で、名をキヨと言う。
幼いころは、男の子も女の子も一緒に遊んだ仲だが、十歳位を過ぎる頃になると、互いに遊ぶことはなくなっていた。
キヨは昔と同じ大きな目をしたままだったが、娘盛りを迎えて、清助にはまぶしいほど美しく成長していた。
すらりと伸びて、成長した牝鹿のような姿形はまぶしいほどに美しい若い娘になっていた。
そんなキヨが徒っぽい目を投げかけて、軽く会釈すると、清助は宙に眼を泳がして応じるのが精一杯であった。
そんな清助が剣術の道場通いを始めたのは三年前のちょうど今頃であった。
我が家に帰っても、木刀の素振りを欠かさない努力と、天性の才能もあって、メキメキ上達していた。
やがて、師範代との立合い稽古では三本に一本は勝ちを取るほどになっていた。
そして、他の門人とは別の稽古もさせて貰うようになっていた。
たとえば、真剣を振るい、巻藁を断ち切ることなども教えてもらうようになっていた。
腕に覚えが出てきたと、天狗の鼻が伸び出したのはその頃であった。
清助はまるで武士の子弟のように、二尺六寸ほどの刀を腰に差して町中を歩くようになった。
この時代の定法、つまり、法律では町人が腰に差すことの出来るのは二尺以下のいわゆる脇差(わきざし)で、しかも、旅に出る時の護身のためにしか認められないのだが、近頃は町人が帯刀するのに咎めることもなくなっていた。
江戸では、すでに剣術の稽古をする者の大半は百姓、町人であったし、大小の刀を腰に差して、武士のような姿をした百姓、町人も珍しくなくなっていた。
後に、京都で勤皇の志士を取り締まった新撰組の隊士の大半もそれら百姓、町人の成り上がりであったと言う。
ところで、キヨの家は肝入も務める大百姓の一つである。
二人の親同士も町中の役人と農家の役人ということで、付き合いもある間柄であった。
キヨは久しぶりに会った清助の変貌に内心驚いたが、まるで侍のような格好の清助には違和感を覚えた。
しかし、清助でなくとも、町人が武士のような格好をするのには何の抵抗も感じない時代背景があった。
一方、近頃は町中にも物騒な連中が増えてきていた。
聞いたこともない訛りや、江戸ことばも耳にするのは珍しくなくなっていた。
それらの連中が地元の人たちに投げかける視線は何時も獲物を狙う獣のようであった。
あのような連中と俄かに剣術の腕を見せびらかす清助やその仲間との間に何事かが起きるのではないかと、キヨでなくても不安を抱くものは多くいた。
清助とキヨは愛宕山の祭りが近づく時分になり、愛宕山にある社への途中で、再び目を合わせた。
キヨは懐かしそうに、しかし少し皮肉を込めて声をかけた。
「もしかして、清助さんでしょう。」
清助は美しくなった娘から思いもかけず声をかけられたが、少し棘のある問いかけにどぎまぎして応じた。
「おキヨも大きくなったな。」
キヨはそれを聞いて、大きな声を立てて笑った。
「大きくなった、ですか。ありがとう。清助さんもすっかり立派になられて。」
と、からかった。
清助もこれに応じて、声を出して笑った。
二人とも表向きは昔の間柄に戻っていた。
ふと、気がつくと、清助たちの前に野良着姿の男が一人、同じ道を登っていた。
道端のススキの穂には赤とんぼが止まっていた。
清助は子供の頃を思い出して、少し自慢しようとして、キヨの前でトンボを捕まえて見せようとした。
近づいて、トンボをつまもうとしたが、大きな目をくるりと廻して、近づく影を察して、ツーイと、簡単に逃げられた。
むきになって、何度も試みるがやはりトンボの方が一枚も二枚も上であった。
するり、するりと軽く逃げられるものだから、キヨの手前、自尊心が傷ついていた。
すると、野良着姿の男もトンボを捕まえて見せた。
無造作であった。
トンボは置物でもあるかのように動くことないままに捕えられた。
もっと、警戒心の強い秋の蝶でさえ同じ目に遭っていた。
野良着姿の男は、振り返って、会釈した。
そして、背負っていた籠の中から雉を一羽取り出して、キヨの前にやってきた。
「これを、父さまにさしあげてください。私が誰か父さまは知っておりますから。」
キヨは大きな目をさらに大きくしてその雉を受け取った。
「あなたは猟師さんですか。鉄砲も持っていないようですが、雉はまさか手掴みでもしたのですか。」
清助も驚いて、訊ねると。
「はい。さっきのトンボのようにいつも手掴みですよ。」
男はにっこりと笑い、こともなげに答えた。
「あなたがあの鉄砲無しの・・・。猟師さんですか。」
清助は里の山には鉄砲を持たない猟師がいると、父親からおしえてもらったことがあった。
猟師は肝入の許しを得て鉄砲を持つことが出来るが、雉、ヤマドリ、野兎、キツネ、狸、カワウソ、イタチなど、時には熊でさえも鉄砲を使わずに捕まえることが出来る猟師が一人いるという。
その男が目の前にいた。
清助は剣術では少し自信があったので、キヨの前ではこの男の言いようのない強さを感じて、少し、嫉妬に近い感情を抱いた。
やがて、三人連れは愛宕山の社の境内に辿りついた。
山奥の社はめったに人影もしないところであった。
鬱蒼とした大きな檜が囲む境内は普段は誰も近づかないところであるが、秋祭りの準備のために近在の町人、百姓が来ていた。
皆は、秋祭りの他には、めったに訪れることのないために伸び過ぎた雑木や雑草を刈り取ったり、社の本殿を掃き清め、拭き清めたり、御幣を飾ったり、しめ縄を張り巡らしたり、それは、忙しく働いていた。
しかし、それとは何の関係もない者達が三人、ウロウロと所在なげに徘徊していた。
忙しく働いている人々の顔を覗き込んでは、無意味な言葉で怒鳴り散らしていた。
それを見ていた清助が堪りかねて、怒鳴った。
「おい。邪魔だから、とっとと、この場から去れ。」
すると、男達は格好の獲物がやって来たと、喜んだ。
「なんだと。俺達に因縁を付ける気か。」
「面白い。勝負しようや。」
と、言いながら、そこらにあった雑木の棒切れを手にして、殴り掛かって来た。
清助も、近くにあった棒切れで応じた。
日頃、町道場での稽古からすれば楽な立ち回りであった。
清助はたちまちのうちに、三人の男たちを稽古のように、面だ、胴だ、小手だと打ち据えた。
散々な目に合わされた方は捨て台詞を残して、山を降りて行った。
邪魔をされて困っていた人たちは、やんやと、清助の勇気と手並みを褒めそやした。
清助も我ながら、まんざらでもないと、あの猟師を意識して胸を張った。
猟師の姿はなかった。
一人、キヨは理由もなく、胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
翌日のことであった。
清助は道場仲間と連れ立って、帰路の途中に事件は起きた。
坂道を下ると、昨日のならず者達が二人人数を増やして、皆、脇差を腰にして待ち構えていた。
一人、深い海の底からやって来た鮫のような、冷たい無表情な目をした男がいた。
脇を通り過ぎようした時、その男がいきなり、清助の隣にいた友達の甚助に斬りかかってきた。
不意を突かれた、甚助は左腕を刺された。
夥しい出血がした。
「ぎゃー。」
と、甚助は悲鳴をあげて、転げまわった。
血を見て、ひるんだ清助たちを取り囲み、ならず者達は勝ち誇ったように、怯えた家畜を取り囲む狼の群れと化した。
清助もまた、初めての血を見る争いに遭遇して、腰の刀を振るう勇気など、とっくに消し飛んでいた。
逃げるにも足はすくんで歩けなくなった。
最早、剣術の修行も何もかもが、恐怖という呪縛の前では何の役にも立たなくなっていた。
勝ち誇ったならず者達はドスや脇差で脅かしては奇声をあげて、足蹴にし、殴りつけ、清助たちを思い切り痛めつけた。
不幸なことに、この時期、町役人や近在の村役人は皆、秋の収穫時で、代官所や藩庁へ出かけて留守であった。
町の人たちは他所に助勢を頼むことも出来ない状態であった。
祭りをあと少しで迎えるというのに、宿場町はならず者達によって蹂躙されたのだった。
大きな顔をして町中を歩き回る、ならず者たちは、店の物は好き放題にするは、町家に土足で上がっては金銭を強奪するに至った。
清助たちは殴られ、蹴られ、ドスや脇差で突かれた傷が原因で家から出られない状態になった。
役人たちが話を聞きつけて、急いで帰って来た頃には、表向きは平穏な状態となっていた。
清助の災難を聞いて駆けつけたキヨは命に別状はなかったことで、胸を撫で下ろしたが、これがあの得体の知れない不安の結論であったと思い知った。
清助は初めて、道場剣術の腕前と、本物の命のやり取りとは、関係のないことを思い知らされた。
うなだれる清助の姿を見て、これ以上近くで彼の姿を見るのは居たたまれなくなって、そこを辞した。
秋の陽は、釣瓶落とし、とはよく言ったもので、清助の家を出て家路に着こうとした時には、辺りはすっかり暗くなっていた。
キヨが清助の家を出るのを物陰から、ジッと見張っていた者がいた。
あの、ならず者たちであった。
そして、ならず者たちは、キヨの後をつけていた。
キヨは、後ろから数人の男達が近づいて来る気配を感じて、急ぎ足になった。
「堪らねえなー。いいケツしてるなあ。」
「まてよ、ねえちゃん。俺達といいことしないか。」
と、下卑た声で迫ってきた。
キヨは恐怖で、泣きながら走った。
空き地に来た時、周りはすっかり暗くなっていた。
ならず者の一人の手が、キヨの肩を掴み、引き倒した。
そして、キヨは十個のぎらつく男達の目に囲まれた。
おぞましい手がキヨの裾をまさぐり始めた。
その時。
広場はならず者達を囲むように八本ほど、目も眩む明るさで、松明の明かりが灯った。
何処からともなく、祭りの夜に毎年演じられる神楽の囃子が響いてきた。
此処。みちのくの神楽は、その昔、山伏たちから伝えられたものである。
囃子の主役、太鼓は打面が直径二尺足らずの両面打ちのものである。
体の中に抱えるようにして、手首の動きで叩くので、拍子は早い。
他の地方の太鼓のようにのんびりしたリズムではない。
まるで、湧き上がる湯の玉の動くような速さと表現される。
ドド、ドン、ドド、ドン、ドド、ドン、と打ち始まって、ドロロン、ドロロン、となり、その間、太鼓のふちをカチ、カチ、カチと入れ、鉦も律動感、躍動感で応じる。
それが、一段と大きくなってきた。
「えん、やー、えー」という歌の始まりまでしてきた。
ならず者達は、不思議な光景の展開に驚いて立ち上がった。
囃子と歌声が彼等だけを取り囲み、脅迫するようであった。
ならず者たちは松明の後ろに居る者見えない者たちに対して、ドスや脇差を構えて、身構えた。
闇の中からは、彼等に向かって、恐ろしいほどの怒気や殺気が伝わってきた。
恐怖感が、ならず者達を襲った。
一人が逃げ出そうとしたとき。
「ブン」と、風を切る音とともに暗闇から石飛礫が飛来してその男は倒れた。
続いて、また一人、そして二人と倒れた。
甚助をいきなり刺した、仲間内でも人殺しなどの兇状を重ねて来た男だけが最後に残った。
すると、闇の中から神楽装束に悪鬼の面を付けた男が飛び出してきた。
悪鬼の面からは圧倒的な怒気が発せられてきた。
ならず者は脇差を構えたが、怒気の強さに、殺される恐怖を覚えた。
何人も脇差で、人殺しを重ねた男が恐怖を感じて身動き出来なくなった。
やっとの思いで脇差を突き出した。
それは虚しく宙を突き、鬼の持つ刃に喉を突かれて絶命したように見えたが、片手に持った白扇に突かれて気絶した。
キヨは不思議な光景を見ていた。
やがて、松明の火も消え、神楽の囃子や歌声も消えて、何事もなく静まり返った広場を後に我が家に無事に辿り着いた。
家の前では、父親と、先日出会った猟師とが、にこやかに迎えてくれた。
翌日、広場には裸にされて、荒縄に縛られたならず者達が里人たちの前に晒された。
このならず者達は、関八州から白河の関を越えて無法の限りを尽くしたお尋ね者だったので、城下の奉行所の役人達が引き連れて行った。
宿場町も周辺も元の平穏に戻り、毎年と同じに秋祭りは行われ、神楽も夜遅くまで演じられた。
それから、二年が過ぎた。
清助たちは剣術稽古の熱も冷め、家業に精を出すようになった。
清助はキヨが嫁に来てくれればと願ったりしたが、キヨは一人娘だったので、隣村の肝入の農家の次男を婿に貰うことになっていた。
冬の初め、清助はキヨの婚礼は行われたことを、遠くの国のことのように聞いた。
キヨとの幼かったころのことや、つい、この間、美しくなって自分に向けられた笑顔が走馬灯のように過(よぎ)った。
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