今と昔のはなし、そして里守(昔のはなし)

フレディオヤジ

第1話 序章

今では遠い昔のことになった。

父や母が自分よりも若かった頃に話してくれた、祖父母たちの時代の話。

歴史は、明治の前の徳川幕府の時代のこと。

武士が支配層であった時代のことだ。

母親の父は武家の三男から婿入りに来たそうで、母親の里も、農家とはいえ、帯刀を許された、郷士であったらしい。

その祖父から母に言い伝えられた話。

武家の話とか、武芸者の話をどさまわりの講談家、浪花節、あるいは当時は活動写真といった、映画を見るにつけ、本当に強かった男の話をして聞かせたことがあったという。

この里、と言っても里の範囲は定かではないが、「里守」という不思議な存在があった。

里の民に危害を及ぼす者があれば、現われてこれを必ず排除してくれる男がいる。

名前は太一(たいち)。

苗字はあったが、忘れたそうだ。

太一という名は、陰陽道で言うところの北極星、最高位の星、究極とか極限ともいう意味だそうだが、その家を継ぐ者は何故か代々、そう名乗ったのだそうだ。

身分は武家でもなく、さして豪農でもない、少しの田畑を耕しているごく普通の百姓のようであったという。

人柄は何時も穏やかで、人前で怒ったり、嬉しげにはしゃいだり、取り乱したりするのを見たことがない、大海の波静かな状態にあるようで、周囲の人たちは太一さんのような心映えでありたいものだと思っていたのだそうだ。

時として、不逞の者が太一を脅かしたり、罵ったりしても、顔色ひとつ変えたのを見た者はいなかったそうだ。

そのうえ、行き交う人にはにこやかに会釈をすることを忘れたことが無かったそうだ。

祖父は、太一さんこそがまことの武辺ものだと感心して、いくつかの話をしてくれた。

この地は広い平野に囲まれて、北国の割には気候も温暖であり恵まれた土地柄で、あの天明、天保の大飢饉の時でさえ、北国からの飢えた民を多く救った土地柄であったそうだ。

しかし、長い鎖国の夢も、たった四杯の蒸気船で目が覚めて、尊王だ、攘夷だと騒がしくなってきた頃、みちのくの田舎町にも、江戸やもっと西の方から、胡散臭い連中や、獣のような連中がやって来るようになっていたそうだ。

ある時、無法な、獣のような二人連れが、小さな宿場町にやって来たそうだ。

一人は博徒、ヤクザ者、一人は背の高い浪人者で、南の方から、狼藉の限りを尽くして渉ってきた。

昼日中から町家や農家に上がりこんでは、金銭を強奪、婦女子の陵辱を当たり前のようにしていたのだそうだ。

城下町には奉行所もあり、それほどの狼藉はしないようだったが、それ以外のところでは、役人といっても、肝入(きもいり)、検断(けんだん)など町人や百姓なので、これほど乱暴な者達への対応する力を持ってはいなかった。

やはり、武家の役人の助勢をお願いする他はないのであったそうだ。

この二人、ついに町場の商家に乗り込んで、大衆の面前でその店の妻女を手篭めにし、挙句は主を切り殺してしまった。

さすがに藩庁もことの重大さに重い腰を上げて、藩の中でも手練の武士二人を派遣してきた。

宿場町の肝入は、二人組みのうち、浪人の方は薩摩の脱藩者、示現流の達者で、城下でも、藩庁の腕自慢を切り殺したという噂を耳にしていた。

藩庁からは剣の達者が二人も来るということだが、これが役に立たなければこの宿場だけでなく、近郷、近在すべてが恐怖で震えていなければならない状態に陥るのだ。

昔、このような時には、里守がいて、どのような無法者でも取り除いてくれると聞いたことがあった。

里守につなぎを入れることの出来るのは限られた肝入だけであったという。

藁にも縋る思いで、肝入は太一の家を訪ねた。

そして、お願いした。

太一は、何時もと同じ、にこやかに聞いていたが、私で良ければお手伝いしましょうと返事をして、身の丈ほどの長さの樫の棒を小脇に肝入に同道した。

太一は町の衆の一人に案内されて、人だかりに近づいた。

群衆が恐ろしい光景を遠巻きに囲んでいた。

博徒風の男と、藩の侍の一人はただ、にらみ合っていた。

もう一人の侍は浪人と抜き合わせていた。

両者、何れも人を斬った経験のある手練であった。

侍の方は中段に構え、浪人は脇構え、即ち、八双で対峙していた。

そして、互いに殺気を放ちながら数秒が流れた。

中段の構えは、青眼とも言われ、相手の正面に拝むように刀を突き出す構えだ。

そのまま、変化しないで、一番有効なのは、相手の間合いに入って電撃の突きを入れることだが、防御を主に構えれば、相手の迅速な打ち込みには弱い。

トンボと呼ばれる示現流独特の八双の構え、すなわち、体の右側面に刀を引き寄せ、左手で柄の端を握り、右手を鍔近くに軽く添え、そこから一気に振り下ろすという攻撃主体の構えが動いた。

「チェーッ」

怪鳥の鳴き声のような気合が発せられた。

目を見張るほどの太刀行きの速さであった。

稲妻のように光り、肩口を袈裟切りにした。

侍は肩口から夥しい血を吹き上げて絶命した。

浪人は刀の血糊を拭って鞘に収め、周りを蔑み、脅迫するような目で見廻していた。

そこへ、太一が現れた。

太一は唯、棒を持って、男たちに近づいた。

殺気とか、構えなどという特別なものは無かった。

その行為は普段の生活と同じように見えた。

浪人の前に何事もないようにして、ふらりと近づいた。

相手に向かって構えるという動作はそこにはなかった。

ただの風のように、抵抗感も覚えない歩みであった。

彼はすでに相手との距離を詰めていた。

相手はようやく、刀の柄に手をやろうとした。

だが、その時には棒は相手の胸を突いていた。

自慢のトンボの構えも、怪鳥のような気合を発する暇も無かった。

本当にあっけのない勝負、いや、結果になっていた。

気絶した浪人とそれを見下ろす太一の姿になってしまっていた。

ヤクザ者は目の前に起こったことが理解できないというように目を見開いたままでそこに立ちつくしていた。

太一がヤクザ者に近づくと、急に大声で叫んだ。

「如何に。」

ヤクザ者は尻餅をつき、初めて恐ろしい物を見るような目をして怯えた。

ヤクザ者と睨み合っていた侍と町役人たちが呆けた顔から覚めて、やっと、取り縄を凶悪な男二人に掛けた。

忌まわしい獣たちは目出度く縄付きとなったが、何時の間にか、太一の姿はそこから消えていた。

この場での始終を見物していた祖父も太一の仕業が風のようになされたので、何がどのようになったのか理解できないほどであったそうだ。

祖父が母に教えてくれて、母が私に伝えてくれた、太一さんの話はこれが始まりである。

これから、いくつかの逸話を紹介しましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る