中編 忍び寄る魔手! その名は悪食!

 中国で“完整領土”と名付けられたゲームは、グローバル展開にあたってドミニオンと名前を変え日本にやってきた。日本でのパブリッシングはワンダラー・ジャパン合同会社が一手に担い、UIや翻訳のぐちゃぐちゃさで多くの非難を浴びている。

 それでもこの万涤尔集団が提供するMR陣取りゲームは全世界的に好評を博することとなり、トップクラスのプレイヤーは投げ銭だけで月収一千万を稼ぐ。eスポーツと言えばドミニオンというのがここ数年の認識だし、ドミニオンライクと呼ばれるエピゴーネンはインディーズにもAAAタイトルにも溢れかえっている。万涤尔集団は自らの作り上げたMR環境にドミニオンをビルトインすることで、支配的シェアを盤石のものとした。

 万涤尔集団――ワンダラーは、都市型MR環境パッケージの垂直統合型システム構築によって急拡大した企業だ。SNS、動画配信、AI、電子決済、信用情報管理、無人コンビニといったインフラも彼らのパッケージには含まれる。ニューヨークもシンガポールも北京も、そして東京都町田市も、ワンダラーの生み出す複合現実と不可分に混ざり合っている。カフェオレみたいに。

 指先のジェスチャーひとつで、中空に動画共有サービスやSNSを立ち上げる。コンビニでは商品を袋に詰めてそのまま出ていける。PCだのスマホだの財布だの定期だのなんでもかんでも持ち歩いていた時代の人類は、さぞかし不便だったろう。身分証明書を落っことした瞬間、どこにも所属していない存在になってしまうのだから。


 妻がいやしないかとわずかな期待を胸に、ぼくは町田天満宮ポータルを目指した。共有通路に仕掛けられた悪質な追尾型広告をよけながら。

 小田急南口のカリヨン広場では、下半身をガンタンクみたいにした男が階段に乗り上げて履帯を空回りさせていた。MR描画された武装は身体感覚までハックしている。

 ガンタンク野郎はポータルの哨戒役だろう。スタープレイヤーを何人も抱えるスクワッドは、投げ銭だけで人を継続的に雇用できる。猫派にせよ犬派にせよ、ポータル防衛のために人員を雇うのは当たり前のことだった。

 ワンダラーチューブを立ち上げて、視界の隅に小さくウインドウを開く。猫派による犬派へのヘイト動画をザッピングする。基本的には、心から観るにたえない。猫派にしてみれば、犬派は教養と高収入を武器にマウントしてくるいけすかない連中で、そのくせ猫を見かけると次々に縊り殺すのが趣味のサイコパス野郎ばかりらしい。犬と猫をいっしょに飼っている人たちはどうなのだろうか? 答えは彼らの主張の中にある。犬派にとっても猫派にとっても、そういったひとびとはポストモダンが産み落とした冷笑的なブルシットに過ぎず、立ち向かうべき現実から目を反らしているだけなのだ。われわれは戦い、勝ち取らなければならない。なにもしないという選択は、ただの利敵行為だ。

 妻はこんな動画の閲覧に可処分時間の全てをつぎこみ、犬派のすべてを抹殺することで世界はかなり善くなる、という考えを育てていった。妻からすれば、ぼくもポストモダン的ブルシットだろう。ぼくの実家には犬も猫もいるからだ。

 ワンチャット――ワンダラーの提供するSNS――を眺めていても、同じような主張が繰り返されている。猫派も犬派も過激なことを口走り、それが拡散され、痛罵の応酬がはじまる。妻のアカウントも、拡散に一役買っていた。彼女の最新の投稿は、犬派のヘイトスピーチによって猫派の信用スコアが不当に落とされている、という事実無根の主張だった。投稿にぶら下がっているコメントは、猫派の『よくぞ言ってくれた!』とか『だから犬派は殺すべきなんだよな』みたいなものと、犬派の『それはお前らだろ』とか『猫派みんな死ね』みたいなものが入り混じって、ひとくちで言えば吐き気を催すものだった。

 彼らの闘争心は、信用スコアの存在によってさらに煽り立てられている。SNSでのフォロワー数や拡散力がスコアリングに影響しているのだとすれば、敵対者に悪罵を投げつけ、身内で承認を回しあうスタイルはそこそこ合理的だ。

 高架になっている参道から、町田天満宮ポータルを眺める。下半身をガンタンクみたいにした男が石に乗り上げて履帯を空回りさせていた。妻の姿はなかった。

 鳥居をくぐると、ガンタンク野郎がぼくをにらんだ。単なるひまな参拝客ではなく、犬派だと思われてるのだろうか。

 ぼくはドミニオンを立ち上げた。過剰な情報量のUIが視界を埋め尽くして、目がちかちかした。瞳を動かすたびに、焦点の合ったコマンドがポップアップしてべらぼうにうっとうしい。ぼくはあちこち階層を潜って、ルートボックスコマンドに行き当たった。

 独自通貨のドミニオン・クレジットは、十連ガチャを回せるぐらいあった。一律支給されるログインボーナスと信用スコアに基づいて配給されるクレジットが、鍾乳石みたいに勝手に蓄積されていったのだ。ぼくは十連ガチャを躊躇なく回し、レアリティの高い武装を得た。

 ガンタンク野郎の、

「おっさン、なんか用?」

 の、『なん』の辺りでぼくの手にサブマシンガンが出現した。『用?』のあたりでぼくはトリガーを引いた。吐き出された銃弾がガンタンク野郎をスイスチーズにした。ガンタンク野郎はいきなり撃たれたショックで失神した。気は晴れなかった。むしろぼくの心中に湧き上がってきたのは圧倒的な恐怖だった。ぼくはきびすを返し、走ってその場を逃げ出した。


 西海岸のデジタルヒッピーがドミニオンの原型を思いついたとき、まだそれは資産家のおもちゃに過ぎなかった。彼らは健康社会学的エビデンスに基づき、肉体を動かす適度な競争はセンス・オブ・コヒーレンスに資するものだと吹聴した。この時点でドミニオンはまだ、有機豆バターコーヒーとかウェアラブル端末みたいなものだった。事実、彼らはオフィスへの導入をもくろんでいた。いつもより二時間はやく起きて有機豆バターコーヒーで覚醒し、オフィスまで走ってウェアラブル端末で消費カロリーを確認し、始業までの時間はドミニオンで汗を流す。最高に生産的な一日のはじまりだ。

 だがドミニオンのデベロッパーは、この世のすべてを垂直統合しようとする万涤尔集団に買収された。そしてドミニオンは、化学調味料みたいに強烈な味付けを施された。開発者がどんな夢を抱いていたにせよ、今のドミニオンはくだらないことで対立する集団が合法的に殴り合うための手段となってしまった。

 ぼくは今でも悔やんでいる。あのとき、自分の会社を売り払ったことを。

 ばかげた健康社会学的エビデンスを引っさげてオフィスに営業を仕掛けまくった西海岸のデジタルヒッピーとは、つまり、ぼくのことだ。

 きっかけは、小学生のときにプレイしたVR版スカイリム。冗談みたいに重たいヘッドマウントディスプレイをかぶり、ありえないぐらい低い解像度で描画された世界をさまよいながら、ぼくは自分の未来を決めた。時代がVRからMRに推移し、ぶかっこうなゴーグルが廃れていくのと同時に渡米した。十九歳で、英語もろくにしゃべれなかった。たまたま出会ったカナダ人と意気投合し、英語の勉強と並行してMRアプリの開発に勤しんだ。英語学校の廊下で、ディックを読みながらくちびるをゆがめる妻に出会った。ぼくの人生で最高の瞬間だった。

 ぼくたちのつくったゲームはそこそこ注目を浴び、実際にいくつかのオフィスが導入した。そして、万涤尔集団の現地法人がこのゲームに目を留めた。

 ぼくは会社の権利全てを共同経営者のカナダ人に引き渡し、妻と一緒に帰国した。遊んで暮らせるだけのお金があったので、小規模なMRアプリをひとりで開発し、バズったら大手の会社に売った。ほとんど趣味みたいなものだったけど、食べるには困らなかった。妻と過ごす時間をできるだけ長く持ちたかったし、それはうまくいっているように思えた。

 その妻がいま、町田天満宮ポータル戦勝記念動画の中でこんなことを言っている。

『犬派とか猫派とかじゃなくて。ふつうの日本人として、おかしなことはおかしいって言わなくちゃならない。犬派は日本を外国に売り払おうとする売国奴の集まりです。わたしたちのようなふつうの日本人に対してヘイトスピーチをして、信用スコアを下げているんです』

 ぼくは怒りをこらえて動画を観た。妻にくだらない思想を吹きこんだ連中を、ひとり残らず殺してやりたかった。

『猫派の信用スコアが下がれば、犬派の信用スコアは相対的に上がります。それが犬派の狙いなんです。わたしたちはいつか、人間扱いされなくなる。犬派の工作によってです。その前に、犬派をひとり残らず倒さなくちゃならない。もう戦争ははじまっています。わたしたちは町田天満宮ポータルを取り戻しました。だけど、まだ足りません。戦争は続いています。今日も哨戒していた種田君が撃たれました』

 ぼくは冷や汗をかいた。たぶん種田君とはあのガンタンク野郎だ。

『犬派は決して、わたしたちのことを理解してくれません。だからわたしたちは戦いを続けます』

 ほっとした。どうやらぼくの憂さ晴らしを、彼らは犬派のレイドだと思ってくれたらしい。

『ここからは仙道さんに代わります。海外での最新の事情について――』

 ぼくはワンダラーチューブのウインドウを閉じ、目を閉じてうめいた。

 今にして思えばなにもかもが誤解だったのかもしれない。妻は、キャリアと承認を積み上げたかったのかもしれない。無理強いしたつもりはないけれど、家にいてサポートしてほしい、みたいな気配をぼくは出していた。

 動画の中の妻は、はつらつとした表情を浮かべていた。リッチモンドでの夜、日米間のセクシャルマイノリティ団体の架け橋になりたいと語っていたあのときのように。どうしてあのとき、妻のおっぱいを揉むことに全神経を集中させていたのだろうか? 引っ込み思案な左の乳首ではなく、妻の言葉の奥に隠れていた情熱をこそ、ぼくは引っ張り出すべきだったのではないだろうか?

 妻から――正確に言えば、妻のタスク管理アプリからメッセージが届いた。ぼくは『了解』の代わりに『少し話さないか』というメッセージを送った。返事はなかった。当たり前だ。メッセージを確認しているのは、タスク管理アプリだけなのだから。


 ぼくは妻を探して町田をさまよい続けた。追尾型広告の回避もなかなかさまになってきた。妻の動画を何度も見ている内に、体の動かし方を思い出してきたのだ。高校時代は陸上をやっていたし、ドミニオンの原型となるアプリを開発していたときは共同経営者のカナダ人と一日中スポンジバットで殴り合っていた。あまりにも金がなかったから、AIに食わせるためのデータひとつ買えなかったのだ。

 ときどき、犬派も猫派も関係なくポータルを襲って自分のものとした。ポータルを確保していると、一定の間隔でドミニオン・クレジットを得られる。哨戒なんか置いていないから、ぼくのポータルはあっという間に取り戻された。それでも、クレジットは少しずつ溜まっていった。

 闇色のマントに身を包み、フードを深くかぶって顔を隠した謎の男が、見境なくポータルを襲う――ぼくは犬派と猫派にフォークロア上の怪物みたいな扱いを受けた。つけられた二つ名は“悪食”。

 十連ガチャで得たサブマシンガンを、ぼくはリデンプションと名付けた。救済の銃弾は猫派にも犬派にも平等に降り注いだ。

「クソッ! なんだコイツ! どういうつもりで……!」

 原当麻駅ポータルにレイドを仕掛けたぼくの相手は、因縁の古代ローマ三兄弟だった。

 ぼくはリデンプションの銃弾をばらまきながら突撃をしかけた。飛び出してきたホプリタイが、大盾でサブマシンガンの銃弾を受け止めた。

「トーチ!」

 銃弾では盾を抜けないと判断したぼくは、サブマシンガンの肩当を両手で把持した。たちまち銃身が燃え上がり、炎の刃と化して大盾を切り裂いた。二撃目の切り上げで、ホプリタイは沈んだ。

「悪食か、てめェ! よくもホプリタイをッ!」

 コンモドゥスが槍で突いてくる。トーチではリーチ面で不利だ。

「スキャッター!」

 リデンプションはぼくの掛け声に応じてショットガンに変形した。トリガーを引く。吐き出された散弾がコンモドゥスを吹っ飛ばした。

 レティアリィは、投網を手におろおろしていた。ぼくは躊躇なく銃口を向けた。

「バラージ!」

 ショットガンからサブマシンガンに戻ったリデンプションが、レティアリィをスイスチーズにした。

 ぼくはフードを深くかぶりなおし、その場を去ろうとし、銃口を背後に向けて乱射した。カエスタスのうめき声が聞こえ、ポータルの所有者がぼくに切り替わった。

 運よく引き当てたレア装備は、ダブったアイテムの合成強化を繰り返した結果、三種類のモードを得た。魔法少女サクラのウイッシュキーがそうであるように。サブマシンガンのバラージ、ショットガンのスキャッター、近接格闘のトーチ。

 リデンプションの圧倒的な性能があれば、古代ローマ三兄弟の四人を難なく屠れる。ぼくは自信を深めた。


『――テキサスでは犬派の年収が猫派よりも高いというデータがあります。はっきりとした格差は日本にも存在します。それらはすべて』

「犬派の陰謀なのです」

 ぼくが口に出すと、

『犬派の陰謀なのです』

 動画の中の妻が同じことを言う。

 決まりきったパターンだったし、動画につくコメントもいつも同じようなものだった。熱烈な賛同の言葉、どこからか湧いてきて文句をつける犬派、その犬派のコメントにぶら下がる痛罵の列。こうした儀式で、彼らは結束を高めあっている。その中心には妻がいる。

 町田天満宮ポータルを単独で落として以来、ぼくの妻a.k.a魔法少女サクラは猫派のアイドルとしての立場を確固たるものとした。ワンチャットでは『おはようございます』みたいな何気ない投稿が一万のオーダーで拡散したし、ワンダラーチューブでは一本動画を挙げるたびに数十万のオーダーで再生された。もだえるほど胸が苦しいのに、なぜか誇らしくもあった。

『今月のわたしの信用スコアは七三〇でした! これもみなさまの応援のおかげです! ありがとうございます! 来月もお楽しみに!』

 なんて美しい笑顔だろう。出会ったあのときから今まで、ずっと妻は美しい。その美しさを、この世でもっともくだらない争いのために浪費させるわけにはいかない。

 これで、妻の動画をすべて見終えた。ぼくは妻がどんな風に戦うのか、完全に分析を済ませた。猫派が次にどこのポータルを狙うのか、その法則性も理解した。

 今日、ぼくは妻に戦いを挑む。

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