魔法人妻サクラ

中野在太

前編 魔法少女サクラ登場!


 猫派の妻が魔法少女になってから、もう一か月になる。

 飼っていた猫がいなくなってから、妻は猫派による犬派へのヘイト動画――例の、適当な写真をバックに字幕が流れていくだけのやつだ――をよく観るようになった。猫派として覚醒してからの動きははやく、気づけば妻は犬派を叩きのめすことに血道をあげはじめ、今では家に帰ってこない。

 しばらくはぼくも、村上春樹みたいな展開に笑っていた。抽象度の高い笑いを好む友達と、ちょうどいい井戸を探しに行こうぜとか良い耳の女がそのうち現れるよとか、村上春樹大喜利で盛り上がるだけの余裕があった。だが、妻が一度の生配信で莫大な投げ銭を得るようになってからは、あれ? これはなんかちょっと……まずいのではないか? と思いはじめた。今となっては、食卓で犬派を口汚く罵る妻にどんな言葉をかけるべきだったのか、ぼくたちには猫じゃなくて子どもが必要だったんじゃないか、そんなことをあてもなく考えつづけている。

 ぼくは中空をダブルタップして動画共有サービスを立ち上げた。ワンダラーチューブに投稿された最新の動画は生配信のアーカイブで、タイトルは『決戦、町田天満宮ポータル! サクラVS古代ローマ三兄弟!』。

 町田天満宮ポータルは犬派が町田市に築いた橋頭保であり、その戦略的価値ははなはだ高い。猫派は夜間に奇襲をかけた。先陣を切ったのが妻だ。

 鳥居の上に仁王立ちする妻は、桜色のワンピースドレスに身を包んでいた。ペチコートをぎゅうぎゅうに詰め込んだスカートから伸びるふとももは美しい。

 妻の武器はウイッシュキー、身長の半分ぐらいある巨大な鍵だ。『キングダムハーツ』シリーズで主人公が使っているようなやつで、一説によればモデルを丸パクリしたらしい。いかにもありそうな話だ。

「サクラ!? ね、猫派のレイドだ!」

 哨戒に当たっていた犬派の戦闘員が、妻に気づいて声を上げた。妻は鳥居を蹴って悠然と着地し、ウイッシュキーを地面に突き立てて鍵頭に両手を置いた。

「全員まとめて相手をしてあげる」

 好戦的に笑う妻は肉食獣のように美しい。ぼくなんかウインドウをタップして一時停止してしまったほどだ。

 妻はウイッシュキーを振り回して戦闘員をぶちのめした。手水場付近の空中にぶら下がっているジッパーを引き下ろして、町田天満宮ポータルへの侵入を果たした。

 一歩踏み込んだ瞬間に飛んできた投網を、ウイッシュキーで絡め取る。ただちに、背後から狙いすました槍の一撃が飛んでくる。妻は上体を倒しながらの鋭いバックキックによるカウンターで応じる。波状攻撃のラストは、真正面からのロングフック。妻は低空タックルを繰り出し、拳を避けながら相手を押し倒した。

「驚くぜ! おれたちの連続攻撃をすべて捌くとは、さすが魔法少女サクラ!」

 古代ローマ三兄弟の槍使いコンモドゥスが拍手をしたあたりで、視界の端に通知がポップアップした。妻からのメッセージだ。すぐさま『了解』と返信したのは、ぼくではない。ワンダラーの提供するタスク処理アプリが、定型文を返したのだ。内容を確認する必要はない。妻もぼくと同じアプリを使っている。平日の十八時半になると、タスク処理アプリが定型文で会話をはじめる。ぼくたちは、夫婦生活が破綻していないことを示さなければならない。信用スコアを落とすわけにはいかないからだ。

 AIがどのように判断し、ぼくたちをスコアリングしているのかは分からない。学歴、婚姻歴、車の所有の有無、クレジットヒストリー、ワンダラーペイ――ワンダラーの提供する電子決済システムだ――の購入履歴……SNSにおけるフォロー/フォロワーの質と数や拡散力まで見られているという話もある。なにが事実にせよ、ぼくたちは最新型のパスカルの賭けにベットし続ける。月頭に更新される信用スコアが一定の値を下回れば、ローンを組むことさえできないのだから。

 集中力が途切れ、朝から夜までずっと妻の動画を観続けている自分を発見した。いい加減にごはんの頃合いだった。


 マンションの共有通路にもエレベーターにも、不法ポスティングされたオーバーレイ広告がいくつも浮遊していた。異常な利回りの良さを謳うソーシャルレンディングだの見たことも聞いたこともない仮想通貨だの、その手のやつだ。うかつに触れるとブロックチェーンのノードに組み込まれ、知らない内に知らない組織のマネーロンダリングを手助けするようなことになりかねない。管理会社に報告するようなことはしない。どうせ無駄だからだ。それよりもポスティング業者のくせを掴み、地面からじわじわと浮かび上がってくる地雷タイプの広告がどこに仕掛けられがちなのか覚える方が効率的だ。

 今日は三回も引っかかってしまった。そのたびにポップアップウインドウが視界を埋め尽くし、しかも小刻みに動き回るせいで『広告を閉じる』のボタンになかなか触れられない。なにが『あと二十一時間で権利を喪失します!』だ。ぼくは怒りを込めて広告を目で追い、一分かけてウインドウを閉じた。続けて扇情的な格好をしたエルフ女性がポールダンスをはじめた。見とれていると、ゲームアプリが勝手にインストールされる。ぼくはただちに広告を閉じた。

 ワンダラーの提供する無人コンビニ、ワンダラー・ゴーの店内はとても清潔で好ましい。うさんくさい広告は一切存在しない。信用スコアの低い人間は入場すらできないから、なにか不快なできごとを目撃する機会もほとんどない。プライベートブランドの商品は、安くて健康的で包装はプラスチック・フリーだ。


 コンビニ弁当を食べながら、ぼくは再び妻の動画を再生した。反応速度も関節の可動域も、あまさず理解するために。

 投網使いのレティアリィ、槍を手にしたコンモドゥス、拳を固めたカエスタス。古代ローマ三兄弟が妻を囲んでいる。古代ローマ三兄弟をそれぞれ頂点とした二等辺三角形の重心に妻が位置する形だ。“オベリスクの陣”からの連携攻撃は、これまで数多くの猫派を葬り去ってきた。

 レティアリィの投網から、連続攻撃ははじまる。続けてコンモドゥスの槍が、続けてカエスタスの拳が。

 妻は軽く膝を曲げ、投網めがけて這うような低軌道で跳んだ。

「ディンプルソード!」

 一声叫ぶと、妻の体がわずかのあいだ光を放ち、ワンピースドレスが京急線の車両みたいな深い青に変化した。ウイッシュキーも両刃の片手剣にかたちを変えている。刀身には、パンチされたような丸い穴が幾つも空いている。

 魔法少女サクラ・ディンプルソード。高速機動を持ち味にしたモードだ。

 妻はウイッシュキー・ディンプルソードの切り下ろしで投網をまっぷたつにした。切っ先を地面に突き立てて急ブレーキをかけると、慣性をたっぷり乗せた空中一回転かかと落としでレティアリィの顔面を蹴りつぶした。

 レティアリィを踏み台にして跳躍した妻は、コンモドゥスの繰り出す槍の穂先に着地した。歴戦のコンモドゥスとて、これには動揺する。妻はディンプルソードを振り下ろし、コンモドゥスの頭を叩き割った。

 こうなってしまえば、カエスタスなど恐ろしくもなんともない。やけくそ気味の右フックを回避しながら、その腹にディンプルソードを突き立て、鍵を回すようにひねる。これで終わりだ。

 妻はカエスタスの胸に足を押し当て、蹴り飛ばしながらディンプルソードを引っこ抜き、すぐさま背後に向かって投擲した。かつん、と、金属音が響いた。

 カメラが回り込んだ先には、古代ローマ三兄弟の四人目、ホプリタイ。全身を分厚い鎧で固め、大きな盾と巨大なメイスを手にする重装戦士だ。

 妻が指を広げると、ディンプルソードが手元に戻ってきた。妻は一瞬、くちびるをゆがめた。ぼくの好きなしぐさだった。ディックを読みながらそんな表情をしている妻を、ぼくは好きになった。

「ダイヤルメイス!」

 妻はモードチェンジを選択した。ワンピースドレスは中央線の車両みたいな銀とオレンジに変化した。ウイッシュキーは、紡錘形の鉄球と持ち手を鎖でつなぐモーニングスターに変形した。

 頭の上で鉄球を振り回し、投げ込む。ホプリタイは鎧に一撃もらいながら、鉄球をキャッチした。しかし、ダイヤルメイスは回転可能ないくつものプレートで構成されている。ちょうど、自転車用ダイヤル鍵のように。

 ダイヤルメイスのプレートが互い違いに高速回転した。ホプリタイのてのひらの肉が、回転するプレートに巻き込まれてひきちぎれる。ホプリタイは悲鳴をあげてダイヤルメイスを投げ出した。

 妻は、持ち手の尻についている紐を強くひっぱった。鎖が伸縮し、鉄球が持ち手の頭に収まった。ダイヤルメイスはモーニングスターとメイス、ふたつの武器の特性を併せ持っている。

 高速回転する鉄球を御そうと持ち手を強く握った妻の手首に盛り上がった筋肉、浮かび上がった血管は、美しい。ぼくはうっとりしてしまった。

 ダイヤルメイスでホプリタイに殴りかかる。鎧と鉄球が激突するたび、グラインダーで金属を加工しているときのような火花が上がって夜空を焦がした。

 妻は何度も殴りかかって、ホプリタイの鎧をじわじわと削り取っていった。やがてホプリタイが戦意を喪失し、町田天満宮ポータルを明け渡すまで。

 勝利の瞬間、チャット欄は猫派の歓声に包まれ、投げ銭が秒速五千円の勢いに乗った。

 いまやたしかに、妻は“ドミニオン”のスタープレイヤーなのだ。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る