第5話 噂の男爵令嬢



 幼い頃から英才教育を受けていたため、それなりに優秀ではあったが、何か目を見張るような才能に恵まれていたわけではないロバート王子。


 成長するに従って、神竜のお気に入りで自分より才気溢れる存在に成長していく婚約者のアンドレアに劣等感を覚え、事ある毎に口うるさく正論を唱える側近達をうっとうしがって遠ざけるようになる。


 そんな事が度重なると、王妃派からの圧力にも耐えて残っていてくれた側近達とも段々と疎遠になっていき、彼自身も激情しやすく疑い深い青年に成長していってしまう。 


 勿論、この王子の変化は望ましいものではなかったが、彼の置かれた立場を考えると同情の余地もあった。


 アンドレアは婚約者として少しでも力になれればと、お妃教育の他にも将来を見据え、経済学や外交、魔法学などの勉学に必死に打ち込んでいく。


 そのことがより一層、王子の劣等感を刺激し、苛立たせる事になるとは知らずに……。




 そんな王子のささくれだった心の隙間に、例の男爵令嬢がするりと入り込んできたのである。


 ――ユーミリア・ドリー男爵令嬢。


 彼女は平民出身の母親を持ち、幼少期を貴族社会の外で過ごしている。


 実家が金の力で爵位を買ったと噂される新興の男爵家だからか、あるいは母親が元娼婦のため引き取られてからも貴族令嬢としての教育を施されずにいたのか、上流階級の常識に酷く疎いらしい。


 十五歳で成人を迎えてからは、あちこちのパーティーやサロンに出入りしているらしく、様々な噂がアンドレアの元にも入ってきていた。


 それも思わず眉をひそめてしまうような、あまり良くない噂ばかりが……。


「あのベビーピンクの綿菓子令嬢……見た目だけは可憐で儚げな風情ですが、中身は相当のもの。何処まで計算なさっているのかは存じ上げませんが、こちらに全く非がなくとも、いつの間にやら複数の殿方をお味方につけ、こちらを悪者に仕立てあげてしまわれるんだとか……」


 彼女の友人も、その被害を被ってしまった内の一人らしい。


 貴族令嬢らしからぬ目に余る非常識さを見兼ねて親切心から指摘すると、被害妄想癖でもあるのか、まるで苛められたかのように大袈裟に項垂れ、人目もはばからずハラハラと涙を流し出したという……。


 悲壮感たっぷりのその姿は、世間知らずの未熟な青年貴族達には大変な効力があるようで、面白いくらい簡単に彼らの保護欲を引き出すんだとか。


 案の定、ドリー男爵令嬢の周囲に侍っていた彼らは、すぐさまその友人を取り囲み、彼女の言い分も聞かずに一方的に責め立てたらしい……。


「恐ろしいこと……」


「本当に。アンドレア様もどうかお気を付けあそばせ。あの方にはきっと、魅了の悪魔でもついているのですわ」


「まあ、トレイシー様。ご忠告感謝いたします」




 噂の男爵令嬢が複数の青年貴族と必要以上に親密にしているという醜聞は、噂好きの貴族達によってサロンやお茶会を通じ、あっという間に広まっていく。

 今や、王都に住まう貴族の間では知らない者はいないという程にまでなっていた……。




 アンドレアも最近は、そうしたお茶会の席で友人の令嬢方から教えていただく機会も多くなり、より具体的に知ることになる。


 何でも会うたびに違う男性を連れているとか、相手に婚約者がいようとお構いなしに公共の場でも過度の接触を繰り返し、そのせいで密かに破談になった婚約までもがあるとか……。


 どこまでが真実か分からないが、話だけ聞いていると何とも貴族令嬢らしからぬ、まるで娼婦のような奔放な振る舞いである。


 そうは言っても、公爵令嬢である自分と一介の男爵令嬢である彼女の接点など、早々ないものとその時までは思っていた。




 ――しかしその僅か半年後、友人であるトレイシー・アナベル公爵令嬢の家で開かれたパーティーで、初めて噂の令嬢を間近で見ることになる。




 ◇ ◇ ◇




 その日、アナベル公爵家主催のパーティーは盛況だった。


 第一王子とその婚約者が、二人揃って参加するということを聞きつけた人々で溢れていたからだ。


 その華やかなパーティー会場で主賓の第一王子を差し置いて一際目立っていたのは、数人の身分ある男性に、まるで高貴な姫君を守る騎士のように傅かれていた女性……。


 ――それが、ユーミリア・ドリー男爵令嬢だった。


 見た目は清純可憐な少女そのもので、思わず守ってあげたくような華奢で儚げな雰囲気の令嬢だ。


 一見しただけでは、悪女のように語られていた噂と結び付かない。




 だが、すぐにその真相を目の当たりにすることになる。


 彼女は、自分を取り囲んで熱心に話しかける青年達の、自尊心を満たしてやることに随分と手慣れているらしい。

 上目遣いで愛らしく微笑まれ、好ましげに相槌を打たれ、甘えるように身体に触れられるだけで、彼らは充分、満足しているようだった。


 複数を同時に相手取っているにも関わらず、誰からも不満が出ないというその手練手管は見事だった。


 己に従順な崇拝者達を引き連れ、他にも次々と見目麗しい青年貴族を見つけては、愛くるしい笑顔を向ける。

 無邪気に声をかけ続ける姿を見ながら、感心すると共に、これでは魅了の魔法を使っていると噂されても仕方がないと思った。




 本来、身分が下位の者から上位の者へは許可なく話しかけてはいけないという、厳格な決まりがある。

 貴族であれば幼児でもわきまえているような、基本的な礼儀作法すら教育されていないのか。何故王子も参加するようなパーティーに、そんな者が出席しているのか……。


 周りの貴族達からの、ヒソヒソと交わされる蔑みの声や、冷ややかな眼差しなどものともせず、遂にはロバート王子にまで話しかけてくるという厚顔無恥さ。


 ――さすがにこれには唖然とした。


 この時の彼女は十六歳……成人してから一年も経っており、既に無作法を許されるような年齢ではない。まるで市井の娘のように自由に振る舞う姿を、珍獣でも見るようにガン見してしまう。


 しかし国王を頂点にした、厳格な身分制度の中で育てられた王子にとって、その姿はとても新鮮に映ったようだ。元々、我が強い彼は、最近では王家の第一王子として生まれたことを窮屈に感じ、鬱々とするようになっていた。


 そんな時に、今まで出会ったことのない種類の女性をみて、その姿に憧れていた自由を感じてしまったのだろう。


 不審がっていたのは最初だけ。次第に貴族令嬢とは毛色の異なる彼女を気にして、目で追うようになっていく。




 男爵家の令嬢では、身分が低すぎて王子妃にはなれない。まさか殿下が軽率なことをなさるまいと言う油断もあったのかもしれない。 


 次第に、彼女を通して新たにできた取り巻きの青年貴族達と一緒にいる機会が多くなり、ユーミリアに入れあげるようになっていくのを止めることが出来なかった。


 ――王子としての立場も、二人の未来も、周囲の視線の意味も考えないその振る舞いが、どれだけ自分の婚約者に苦痛を与えているか、気付こうともしない……。




 幼き日々に優しい思い出を共有し、一度政略結婚ではあっても愛を育めるかもしれないという希望を持ってしまったアンドレアにとって、自分の婚約者が、目の前で別の令嬢に惹かれていく様子を見なくてはいけないのは、とても苦しかった。


 王子の隣に立つのに恥ずかしくないよう、常に己を高める努力を続け、時には自分にも王子にも厳しく接する公爵令嬢のアンドレアよりも、身分差など関係ないと自由に振る舞い、可愛らしく媚を売っては甘やかしてご機嫌を取ってくれる、町娘のような彼女といるのは気が楽だったのだろう。



 わたくしの初恋の王子様、ずっと前から気づいていたのです。貴方の目がもう私を、あの幼い頃のように愛しい女性として見ていないことには……。





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