第8話 紋章の正と負 その3


 トラン=キアは町全体を分厚く高い石壁で囲われた城塞都市だ。


 首都から離れていることもあり、決して安全な立地とは言えない場所にある。何門もの大砲が突き出る石壁の周りには、瘴気の濃い『暗き森』と呼ばれる森が広がっており、多くの魔獣や蟲が住まう。しかし、それだけに魔石が採れた。良質な魔石は、瘴気の強い場所で採れることが多いのだ。その魔石は一攫千金を夢見た者たちを集めた。かつては最果ての土地とまで呼ばれた場所に村をつくり町へと育てるほどに。それがトラン=キアという町だった。


 三人は町の外堀に架かる跳ね橋を渡る。


 町の番兵と幾らかの言葉を交わし手続きをすると、イリーナは商工区がある町中央部を目指し、ソルウェインとカミュは商工区や居住区のある場所からは少し離れた町の外郭区を目指した。


 そろそろ麦の収穫時期が近づいており、みっしりと実った麦が頭を垂れて二人を出迎える。そして、二人が歩む道の先には外郭で農業を営む者らが住まう家々が見え始めた。内郭の綺麗な建物と比べるとレンガなどの痛みも激しい。だが、そんな家々の中でも一際目立つ大きな建物があった。建物自体は周りの家々以上に傷んでいるが、その大きさは際立っていた。


 ソルウェインはその建物が建つ敷地の前で止まる。


「ここは?」


「孤児院だ」


 訝しむカミュにソルウェインは短く答える。


「孤児院?」


 カミュもトラン=キアには数え切れないくらい足を運んでいるが、外郭に用事などなかった為、今の今までここに孤児院があることを知らなかったのだ。


 しかし、言われてみれば確かにそんな雰囲気ではあった。


 敷地内は手入れが行き届いているとは言い難いが、それなりに掃除もされている。ちょっとした花壇もある。もっとも、植わっている植物を見ると小さな畑といった感じだが。


 ただ、今はそこに子供たちの姿は見当たらなかった。


 そのことを訝しんだカミュだが、ソルウェインはそのまま言葉を続ける。


「このところ物騒で、ここに流れ着く子供も多い。俺やイリーナも下手をしたら、ここの世話になっていたかもな。というか、ここに辿り着けたなら、まだ幸せな方だ。両親を亡くした子らは、そのままのたれ死にしてしまう事の方が多いのだから」


 ソルウェインはいつもの優しい顔ではなく、眉を顰めてそう語る。


「ソル兄はこれを俺に見せたかったの?」


「まさか。まったく関係ないという訳ではないが、ここには俺の用で来ただけだよ」


 ソルウェインは硬い表情を少し崩し、カミュにそう答えた。


 するとその時、敷地内の建物の扉が開いた。


 中から二十歳前後と思われる女性が出て来る。少々くたびれた衣服を纏ってはいるが、ピンと伸ばした背筋とその顔に浮かんだ優しげな微笑みが印象的で、見たものに貧しさを感じさせない。


 カミュも、こんな場所にこんな女の人が? と思わずにはいられなかった。


 彼女は二人の側まで近づいてくると、まじまじと自分を見つめるカミュに目礼して、ソルウェインの方を向いた。


「ソルウェイン様。ようこそおいで下さいました」


「セレン。なかなか顔を出せなくてすまない」


 ソルウェインははにかんだような笑みを浮かべながら、頬を掻く。そんな彼に、セレンと呼ばれた女性は聖母のような微笑みを浮かべたまま小さく首を横に振った。


「お忙しい中、こんなに足を運んで下さって感謝しております。ソルウェイン様がブラム様に掛け合って下さったおかげで、ここの子供たちに少しでも多く食べさせてあげることが出来るようになったのです。すべてはソルウェイン様のおかげ。ソルウェイン様が私に謝るようなことなど何もございません」


「親父に?」


 突然出て来た父親の名前に、カミュは思わず言葉を挟んでしまう。


「ああ。一応、彼女を町内部の諜報員という形で推したんだ。この町は俺らの基盤だからな。他にももちろんいるが、彼女もその一人になってもらったんだよ。と言っても、彼女の場合は団長の厚意でほぼ形だけだがな」


「感謝しております。大した事も出来ていないのに、沢山のお金を寄付していただいて」


 丁寧に頭を下げてくるセレンに、カミュは小さく首を横に振りながら思う。たぶん、のっぴきならない状況の彼女とソルウェインは出会ったんだろう。それで力を貸したのではないか、と。


「あの親父にしては、随分とまともな金の使い道だよ。で、ソル兄。セレンさんと話があるなら、俺はその辺で昼寝でもしているよ。ゆっくり話してこれば? 久しぶりなんだろ?」


「いや、セレンとゆっくり話したい気持ちはあるんだがな。今はそういう訳にもいかないんだ。今日セレンに会いに来たのは、久しぶりに顔が見たかったというのもあるが、諜報員としてのセレンに話を聞きたかったからだからな。というわけで、昼寝なんぞできると思うなよ? お前も一緒だ」


「うへぇ~」


 カミュは嫌そうな素振りでだらけてみせる。しかし、その表情は言葉とは裏腹に拒否などしていなかった。


 そんなカミュを見てソルウェインは苦笑いを浮かべたが、すぐに真面目な顔つきになってセレンの方へと向き直る。


 ソルウェインの言葉を聞いたセレンは表情をそれまでよりも明るいものへと変えていた。


「それではブラム様が動いて下さったのですか?」


 セレンはまるで祈りを捧げる司祭のように胸の前で手を合わせている。


「ああ。もともと捨て置けないとは考えておられたようだが、如何せん『アレ』をどうにかしようと思うと、それなりに動員人数が必要になる。費用がかさみすぎてな……。国の面子のことも考えてやらねばならなかったし。だが、ようやく向こうから打診が来たから、俺たちも動けるようになったってわけだ」


「アレ?」


 ソルウェインは、話しについて行けずにいたカミュが漏らした言葉に答える。


「虚無が出た」


「虚無が……」


 ミラはかつて賤人に紋章の力を与えた。魔法という圧倒的な力を使う魔人に抗する力として。しかし、魔人の暴走を許してしまったミラは同じ失敗を繰り返さなかった。紋章の恩恵に制限を設けたのだ。紋章は人の意思の力を糧に様々な奇跡を起こす。しかし、使用者がその限界を超えて力を使ったとき、紋章はその人間の魂を喰らう。そして、使用者の魂を喰らい尽くした紋章はその力を暴走させるのだ。


 虚無とは、そんな紋章持ちのなれの果てだった。


「もうすでにトラン=キアの住人だけでも八人の犠牲者が出ている。実は、最近暗き森で大型の魔獣の死体もよく見るようになったと報告を受けていたんだ。小型ならともかく大型が頻繁にというのが気になってな……。実際に見にも行ったんだが、明らかに人型の手によるものだった。でも、異様な損壊の仕方をしていたんだ。で、俺たちも警戒を強めていたところだったんだよ。まさか虚無とは思ってもいなかったがな……」


 ソルウェインの説明に、黙って話を聞いていたセレンはぷるりと肩を震わせた。カミュはそんなセレンに気を遣いながら呟くように言う。


「人も魔獣もおかまいなしか……」


「虚無だからな。暴走した力に意思などない。破壊という意思すらもない。結果としての破壊があるだけだ」


 ソルウェインは痛ましげな表情を浮かべながらも、淡々と語る。しかし、カミュは心底迷惑そうに吐き捨てた。


「まったく……人騒がせな」


「……そうだな。でも、明日は我が身だと思えば他人事でもない」


「いや、使いすぎなければいいだけのことだろう? 負荷をかけ続けなければいいだけなのだから、その様に使えばいいだけじゃないか」


 カミュがそう言うと、ソルウェインは哀しげな笑みを浮かべて、ゆっくりと首を横に振った。


「そうなんだがな。でも……、本当にそれってできると思うか? 誰だって自分の命は惜しい。そして、紋章持ちで限界を超えて紋章を使った先を知らない人間はいない。それでも虚無と化す者が少なからず出る。それはなぜか。切羽詰まった状況で、どうしても何かを押し通さねばならないとき、人はどうすると思う?」


「それは……」


「うん。押し通そうとする。可能性に賭けて。虚無ってのは、基本的にその結果なんだ。もちろん、そうなった理由に同情の余地のないものも少なくないだろう。しかし……、そうではないことも、また少なくないんだ」


「…………」


 少し哀しげな笑みを浮かべて語るソルウェインにカミュは反論できなかった。もちろんカミュだって、虚無のことは知識としては知っていた。しかし、直接戦ったことはなかった。


「そんな顔をするな。恥じることはない。俺だって、昔はお前と同じように思っていたよ。だから、今日お前を連れてきたんだ。お前はいつかは団長のあとを継がねばならない。そのためにも早めにアレは見ておいた方が良い……今のお前なら、連れてきても死なせずに済みそうだったしな」


 カミュの目を真っ直ぐに見つめながら語っていたソルウェインだが、最後に冗談っぽくそう付け加える。しかしカミュは、それに笑って冗談で返すことが出来なかった。

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