~夏休みと過去と友達と~ 2

 遊ぶ約束をしたので、翌日はちゃんと準備をした。かばんを家に置き、服を着替える。ジーンズのポケットに飴をしのばせた。あんずちゃんは飴が好きなので、遊ぶときはいつも持ち歩いている。


 二階の自分の部屋で着替えていると、玄関の前にあんずちゃんがやってくるのがわかった。階段を下りてドアを開ける。


「お待たせ」

「あかりおねえさん、待ってたよ!」

「あかりちゃん、一緒に行こ」


 あんずちゃんとかえでちゃんが立っていた。頭上には青空が広がっている。今日もいい天気だ。

 私たちは連れ立って歩き始めた。


「どこに遊びに行くの?」

「大公園!」


 大公園というのは、町内にある少し広めの公園のことだ。子どもたちは「大」と言うけど、中学生から見ればそんなに大きくは思えない。そこで遊ぶ子も、前はたくさんいたのに、最近はほとんど見かけない。


 あんずちゃんが遊びに行くのはいつもその公園だ。飽きないんだろうか。

 私は先導して歩くあんずちゃんに向かって声を上げた。


「山の方では遊ばないの?」

「うん。だって遊ぶとこないもん」


 当たり前、というふうにあんずちゃんが答える。

 この町内には山が一つある。子どもの足でも登れるような低い山だから、昔はみんなよく遊び場にしていた。山の中には誰も管理していない小さな神社があって、そこを秘密基地にする子もいた。でも、今はその辺りの土地は開発されて、老人ホームが建っている。


「そっか……」


 すべり落ちそうになりながら登った斜面も、みんなで座っておしゃべりをしたぼろぼろの石段も、もうないのだ。今の小さな子たちはあの場所に行くことができないんだと思うと、なんだか寂しくなった。自分が大きくなってしまったのを感じる。


「なんであかりちゃんがかなしいの?」


 かえでちゃんが顔をのぞきこんでくる。子どもというのは遠慮がない。


「大事なものがなくなっちゃった気がするからだよ」


 なくなってしまった遊び場。あんなに身近にあったのに、もう思い出の中にしか存在していない。そのことを「悲しい」というのは違うと思う。多分、この感情は「切ない」だ。でも、それを五歳児に説明することは私には難しい。


「大事なものって何?」


 かえでちゃんはなおも訊ねてくる。世の中には説明できないことがたくさんあるのに、そんなことは一つもないかのような顔をしている。

 なんだかまぶしい気がして、私は話題をそらすことにした。


「そうだ、あんずちゃん、かえでちゃん。あっちにオニヤンマいたよ」

「え、どこどこ?」

「なんですぐ教えてくれないの!」


 子どもはすぐに気がそれるので面白い。


 オニヤンマを追いかけて、その次にシオカラトンボを追いかけて、トンボの速さを思い知って、やっぱり公園に行った。

 かくれんぼ、鬼ごっこ、おままごと。遊具の少ない公園だけど、三人いれば何でもできる。そうして遊んでいると、子どもの頃に戻ったような気がした。中学に入ってから、鬼ごっこなんてしたことがなかった。




 翌日は、いつもより早い時間にインターホンが鳴った。玄関のドアを開けると、笑顔のあんずちゃんが立っていた。何かを持ち上げて頭の上にのせている。ジャムのビンをもう少し縦に長くしたような、大きいガラスビンだ。中身は空っぽ。


「それ、何?」

「タイムカプセルだよ!」


 あんずちゃんは跳ねながら叫んだ。


「そんな言葉よく知ってたね。でも急にどうしたの」


 その勢いに、若干面食らう。


「だってあかりおねえさん、かなしいんでしょ?」

「え?」

「かえでちゃんとお話してたでしょ。だいじなものがなくなっちゃったって」


 私は昨日のかえでちゃんとの会話を思い出した。

 そんな私の気も知らず、あんずちゃんは元気よくビンを掲げる。


「このビンにたからものを入れるの! ビンの中に入れておいたら、たからものはずっとなくならないんだよ!」


 大発見をしたように語るあんずちゃん。確かに、ビンに入れてふたをしておけば、壊れたりなくなったりすることは減るかもしれない。小学校のタイムカプセルは、ビンじゃなくて大きな箱だったけど。


 あんずちゃんがあんまり楽しそうなので、水を差すようなことは言わないでおくことにする。


 その後ろから、ひょっこりかえでちゃんも現れた。


「あんずちゃんは何入れるか決めた?」

「決めてない!」


 決めてないのか。


「じゃあ一緒に探しに行こ!」


 かえでちゃんがあんずちゃんを引っ張っていく。そのあとを私も追いかけようとして、やっぱりやめた。二人についていくのはあとにしよう。私は中学生だから、タイムカプセルに入れるものをその場で探しに出かけたりしないのだ。




「あかりおねえさん、遅かったねー」


 あんずちゃんが笑いながら言った。二人が思ったより遠くに行っていたのだから仕方ない。


「ビン、もう何か入れたの?」

「んーとね、きれいな石!」


 あんずちゃんは石を集めるのが趣味である。ビンを見せてもらうと、何の変哲もない石ころがいくつか入っていた。あんずちゃん的には厳選したんだと思いたい。


「あかりちゃんは何入れるの?」


 かえでちゃんが訊ねてきて、私はポケットからそれを取り出した。


「何それ。……ビー玉?」


 そう、と私はうなずく。五つくらいあるが全部違う色をしたビー玉だ。机の引き出しにしまってあったのを出してきた。


「あかりおねえさんの宝物、きれいだね!」


 あんずちゃんが目を輝かせる。ビンの中に入れるならこのビー玉だと、なんとなく思ったのだ。単純にきれいだというのもあるけど、そもそもこのビー玉は買ったものでももらったものでもない。小さい頃、山で拾ったものだ。

 タイムカプセルの中に入れるのには、ふさわしいと思った。


 ビンの口からそっとビー玉を転がす。こつんと音がして、あんずちゃんの石の中にきれいな色が混じる。


「かえでちゃんは?」

「わたしはね、おはな!」


 かえでちゃんは白くて小さい花を持っていた。どこからか摘んできたらしく、茎はとても短くて、本当に花の部分だけだ。結構いっぱいあるそれを、ビンの中に落としていく。ひらひらと小石とビー玉の上にかぶさって、まるで雪のようだった。


「よし、これでかんせいだね!」


 あんずちゃんがビンにコルク栓をする。小石とビー玉と白い花と。タイムカプセルもといタイムボトルは、とても可愛く仕上がっていた。いくら栓をしても花は早々に枯れてしまうだろうけど、それは指摘しないでおく。多分五歳の二人は、このビンのことなんか半年後には忘れているだろうし。


「それでこのタイムカプセル、どうするの?」


 私が訊くと、あんずちゃんとかえでちゃんは顔を見合わせてにっこり笑った。


「うめるの!」


 どこに、とは訊かなかった。これから決めるんだろう。




 タイムカプセルを埋める場所を探し回って、それが終わるころにはすでに夕日が沈もうとしていた。疲れ知らずの五歳児も、さすがに眠たそうにしている。


「あんず、なんかびみょうなきもち……」

「まあ、もうちょっと雰囲気のある場所がよかったよね……」


 あんずちゃんは口をとがらせていた。こういうのは埋める場所が難しい。掘り返される可能性が低くて、数年後も同じ状態が続いている場所。


 さんざん探し回ったあげく、あんずちゃんの家の庭に決まった。だからあんずちゃんは不満なのだ。


「しょうがないよ。お庭が一番安全なんだから」


 不服そうにしているあんずちゃんに声をかける。あんずちゃんはしぶしぶうなずいた。その表情に、笑ってしまう。


「元気出してね。それに、あんずちゃん。大人になるまで、覚えててよね?」


 言うと、ようやくあんずちゃんの表情が晴れた。


「あかりおねえさんも、わすれないでね!」


 辺りが暗くなってくる。そろそろ五歳児は家に帰らなければならない。


「ばいばい、あんずちゃん」

「ばいばい、おねえさん」

「明日は一日お勉強だから、明後日ね」


 明日は友達と一緒に学校の宿題をやる。ここまであんまり進んでいないのは内緒だ。


「うん、あさってね」


 そう約束をした。そしてその翌日、あんずちゃんはいなくなった。




 あんずちゃんが行方不明になった。私がそのことを聞いたのは、友達の家から帰ってきてすぐのことだった。


「いなくなったって、どういうこと」

「もう警察は呼んであって、捜索願を出すか出さないかってところだって」


 答えるお母さんの表情も硬い。


「あんた、何か知らないの?」


 何か知らないか聞きたいのは私の方だ。昨日の夕方まで一緒にいたのに。そもそもあんずちゃんの場合、普通に迷子になるなんてことは考えにくい。うっかり知らない場所に迷い込んでしまったとしても、帰る方向も方法もわかるはずだ。


 ともかくあんずちゃんの気配をたどろうとして――愕然とした。あんずちゃんがどこにいるのか、まったくわからない。こんなことは初めてだった。距離はおろか、おおまかな方角すらわからないなんて。


 だったら、かえでちゃんはどうだろう。あの子はここ数日、ずっとあんずちゃんと一緒にいた。今日も遊んでいた可能性は高い。


 かえでちゃんはどこにいる? その気配を探ろうとして、ふと、あることに思い至る。きっとこれはとても大事なことだ。


 一度気になってしまうと、もう訊ねずにはいられない。


「ねえ、お母さん」

「何?」

「私が子どものとき、頭の中の友達と遊んでたって話、覚えてる?」


 こんなときに何を言い出すんだと思われただろう。お母さんは怪訝な顔をした。


「もちろん覚えてるわよ。あのときは本当に心配したんだから。いもしない友達がいなくなったーって突然騒ぎ出すし。保育園にもご近所にもそんな子いないのに、この子は頭がおかしくなったのかしらって思ったわ」

「その友達の名前って覚えてる?」

「え、あんた覚えてないの? あれだけ喚いてたのに」

「いいから教えてよ」


「その子の名前は――」


 その答えを聞いて、いてもたってもいられなくなって、私は家を飛び出した。お母さんが何か言っているのが聞こえたけど、気にしない。




 まだ夕方だというのに、周囲に人の気配はなかった。警察はおろか、通行人の一人もいない。

 辺りはしんと静まり返っている。カラスの鳴く声がいつもより大きく聞こえた。


 これはどういうことだろう。あんずちゃんどころか、誰もいないなんて。不安に駆られながら、私は歩を進めた。誰の姿も見逃さないように、周りに注意を配る。


 小川のせせらぎが聞こえる。小さな橋の上に、人影を見つけた。

 見覚えのある、その後ろ姿は――


「たちばな、かえでちゃん……」


 おさげの子どもが振り返る。丸顔に大きな黒い瞳。ほっぺはふっくらとして、やさしい顔立ちをしている。それは確かに、橘かえでちゃんだった。


 私の頭の中にいたはずの、女の子だった。




 確か、『かえでちゃん』よ。『たちばなかえでちゃん』ってあんたは言ってた。


 そうお母さんが言ったとたん、私の頭の中に一気に記憶がよみがえった。


 こんなに大切なことを、どうして忘れていたんだろう。


 橘かえで。私が小さい頃仲良しだった女の子の名前。ある日消えてしまった女の子の名前。私が作り出しただけだったはずの、女の子の名前。


「あかりちゃん、待ってたよ」


 目の前のかえでちゃんがほほ笑む。記憶の中の彼女と変わらない顔で。


「かえでちゃん、あなたは……」

「あかりちゃん、遊ぼうよ」


 私の言葉をさえぎって、かえでちゃんが私の名前を呼んだ。そうだ。この子は昔、私と一緒にいたのだから、私のことを名前で呼ぶのが当たり前なのだ。


「昔みたいに、ふたりだけで遊ぼう?」


 頭の中はもうぐちゃぐちゃだ。目の前の橘かえでという子は、どうして、どうやって私の前に立っている? でも、やるべきことははっきりしている。この際、かえでちゃんが今ここにいることはどうでもいい。


「私は、あんずちゃんを捜さなくちゃいけない」


 そう、私はあんずちゃんを捜す。他の誰でもない私が捜さなくちゃいけない。

 ――だって、私の作り出した幻が、あんずちゃんをさらっていってしまったのだから。


 かえでちゃんは、ふふ、と笑った。


「ああ、やっぱりそうなんだね。あかりちゃんは、行方不明のあんずちゃんを捜そうとしてるんだ?」


 行方不明、なんて五歳児には似合わない言葉をさらりと使う。それは確かにかえでちゃんなのに、かえでちゃんではないような気がした。大人びた――というより、まるで今までの子どもらしさが演技であったかのような。


「わかってたよ。あかりちゃんなら見つけられるって、わたしもそう思う」


 かえでちゃんは私に向かって何かを差し出した。それはあんずちゃんの持っていた虫かごだった。中身は空っぽのまま。私は困惑する。


「虫取りをするの? 今から?」

「――シンシムシを探すんだよ、あかりちゃん」


 シンシムシ。私はなんとなく理解した。きっとあんずちゃんはかえでちゃんと一緒にシンシムシを見つけたから、いなくなったのだ。


 私はそれを見たことがある。思い出した。白くてひらひらした、生き物のようなもの。虫とはいわれているけど、あれは虫ではない。動物ですらない何かだ。


 あれを見たのはどこだったか。記憶をたどる。その姿さえ浮かべば、思い出すのは簡単で。


「山……か」


 私は振り返る。町内に一つだけある、あの山だ。私たちがよく遊んでいた場所。あの山の近くで、私はシンシムシを見た。


「行ってみるね……」


 かえでちゃん、と呼びかけようとして、私は口をつぐんだ。かえでちゃんの姿はいつのまにか消えていた。

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