第32トイレ ようやく休みが回ってきたな……。

「あれ。聖ちゃんさんが急に黙っちゃいましたね。綾ちゃんさん、もしかして魔法を?」

「さすがの私も、そんなに早く回復しないわ。ツボを押したのよ。しばらく体を動かすことができないツボをね」

「魔法だけじゃなくて、そういうスキルも身に着けていたんですね。さすが、私を作った人です」

「褒めてくれてありがとう。でも、ポジティブなきっかけではなかったわね。魔法が使えない相手に対してとか、今日みたいな時のために、嫌々覚えたものだから。できることなら頼りたくなかったし……。まして、大好きな人に使うだなんて、もってのほかだわ」

「あぁ。綾ちゃんさんが、真っすぐに聖ちゃんさんを見つめながら、好きだなんて言う時の顔は、たまらないですね。女の子って感じしますよ」

「そうね。私って本当はこうなのよ。ベールを被っている間も、中身はずっと、燃えるように熱かったわ。半熟卵みたいにね」

「どうして半熟卵なんですか?」

「半熟卵が好きだからよ、ただ言葉にしたかったの」

「聖ちゃんさんと、半熟卵、どっちが好きですか?」

「聖ちゃんの口から半熟卵を口移しで食べさせてもらいたいわね」

「でも半熟卵だと口移しは難しいと思います。やっぱり完全に火を通したほうがいいんじゃないですか?」

「そうね。さすが私の分身。発想が的を得ているわ」

「初めて褒められたような気がします。えっとそれで……。聖ちゃんさんの動きを止めたということは、綾ちゃんさんの方から、キスをすると。そういうことでよろしいですかね」

「私は、初めてのキスは、男の方からというのが相場だと思っていたから、そうしたけれど、聖ちゃんがそれを望まないのなら、こうするしかないわよね。元々私は、自分からしたいと思ってたし。だって、私の方が年上だもの。お姉さんだもの。リードしてあげなきゃね」

「あの、その内容って、私が没収された本に書いてあったことと一致するような気がするんですけど、気のせいですか?」

「正直に申告するわ。あの本は何度も読み返した。ネットショッピングでレビューすら書いたわ。もちろんニックネームは水色便器でね」

「だからそれはラジオネームみたいになっちゃってるので、やめてくださいって言いましたよね?言いませんでした?」

「言ってたわね。随分前のことのように思えるけれど」

「私にかまってないでいいので、そろそろキスしてあげたらどうですか?聖ちゃんさんが切ない表情をしていますよ」

「そうね。でもこの男は、私の好意に対して、歳を重ねるにつれて、鈍感になっていくのよ。週末にはわざわざ手作り料理を振る舞ってあげてるのに。愛情たっぷりなのよ?隠し味どころか、味付けは愛情だけってくらいの気持ちで料理していたのに」

「心を掴むなら、まずは胃袋から掴めっていいますもんね」

「そうよ。それもあの本に書いてあったわ。全く。もっと早く出会うべきだったわね。あんな素晴らしい本を、どうして国語の時間に読まないのかしら」

「あ、聖ちゃんさんがツッコみたそうな顔してますね。早くキスしてあげたらどうです?」

「焦らすのよ。すぐにキスしたら、もったいないわ。私を何年も待たせたんだもの。同じくらい待たせたっていいくらいだわ」

「……あの、綾ちゃんさん。聖ちゃんさんと同じくらい喋ろうとしてません?」

「してないわよ、私、おしゃべり大好きなの。口から生まれたなんて言われてるわ」

「誰から言われてるんですか?」

「誰でもいいのよ」

「聖ちゃんさんが言ってましたよね。綾ちゃんさんの返答が短い時は、怒ってる時か、困ってる時だって」

「だって……。大好きな人が目の前にいるのよ?付き合ったこともなければ、付き合いそうになるような空気すらなかったのに、いきなりキスだなんて」

「聖ちゃんさんと同じようなこと言っちゃってるじゃないですか。綾ちゃんさんに関しては、自分からこの状況を作り上げたんですよ?しっかりしてください。もう。見ていられませんよ。見なきゃ戻れないのに」

「わかってる。わかってるわ。私はこの男と違って、ヘタレじゃないもの。ジェットコースターだって一人で乗れるし、お化け屋敷も一人でゴールできる。そんな私が、キスくらいに怯えてしまうわけがないの。そうでしょう?」

「はい。あの、だから、キスしちゃってくださいよ」

「運ちゃん知ってるかしら。キスはもうほとんど性的な行為みたいなものなのよ。だって、ドラマなんかでは、エッチなシーンは放送しにくいから、キスが最後の到達点でしょう?それと同じなのよ」

「いや、この世界はドラマじゃないですから。まぁ魔法使いだのオカルト研究部だの、事実は小説よりもなんちゃんらとはよく言ったものですが、それでも現実であることに変わりはありません。目の前にある聖ちゃんさんの唇も、本物なんです」

「そうね。ここで私が聖ちゃんを初めて異性として認識したときの話をしようかしら」

「明らかな時間稼ぎで呆れますが、興味はあるので、聞いておこうと思います。どうぞ」

「あれは、小学校二年生の時だったわ」

「随分早いですね」

「私は魔法使いだから、何かしら人間よりも成長の早い部分があったのかもしれないのよ。あの日は、普通に聖ちゃんと二人で、手を繋いで学校から帰宅していたのよね」

「想像しやすい場面ですね」

「私は聖ちゃんに、大きくなったら何になりたいって訊いたわ。そしたら聖ちゃん……。綾ちゃんのお嫁さんになる!って」

「普通逆ですよね……。そんな小さい時から、ヒモ志望だったんですか聖ちゃんさんは。しっかりしてそうなのに意外です」

「それがね、違うのよ。聖ちゃんはその後、だってお嫁さんは子供を産むけど、それはすごくすごく痛いことだから、綾ちゃんじゃなくて、俺がお嫁さんになるからね!なんて……。ヤバイでしょ?」

「思ったよりしっかりしたエピソードですね。何かしらの番組に投稿できそうな気配すらあります」

「その時私は理解したの。あぁそうか。私はこの人と結婚をするんだなって。そこからはすぐに自分の中にある気持ちに気が付いたし、聖ちゃんがかっこよくて仕方なかった」

「なるほど。素晴らしいお話でした」

「今は魔法使いになったから、本当に聖ちゃんに子供を孕んでもらうこともできるんだけどね」

「最低のオチですよ。どうしてくれるんですか」

「私だってバカじゃないわ。こうして絶妙な空気を生み出すことで、聖ちゃんとキスしやすくする狙いがあったのよ」

「それは賢いですね。さぁ準備は整いました。今こそキスを」

「……」

「え。どうしました。固まって。何かありました?」

「どうしよう。運ちゃん」

「はい?」

「……聖ちゃんが、かっこいい」

「バカですかあなたは」

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