第31トイレ 先行をあげるわ

「いやいやいや。うん。いきなりすぎると思う」

「聖ちゃんさん……。綾ちゃんさんはもう、目を閉じてますよ?口も、ん~ってやってるじゃないですか。早くキスしてあげないと、唇が渇いてしまいます」

「わかってるよ。でも運ちゃん。これはそう簡単な問題じゃないんだ。そもそもね?俺がここで綾ちゃんにキスをしたとしても、俺が綾ちゃんの気持ちに追いつけてない事実は変わらないわけ。わかる?」

「いいからキスしてください。考えることなんてありますか?ただキスするだけじゃないですか」

「よく想像してみて運ちゃん。自分が好きな人と、付き合うとか、付き合いそうになるとか、そういう過程を全部無視して、いきなりキス。甘口のカレーを食べたことがないのに、辛口のカレーを食べることは、推奨しないでしょ?」

「大丈夫ですよ。綾ちゃんさんのキスはきっと甘口ですから」

「そういう話はしてないからね。あのさ運ちゃん。じゃあ運ちゃんも想像してみてよ。自分の好きな人……。まぁ今回は俺になるけども、いきなりキスって難しいでしょ?恥ずかしいでしょ?」

「そんなことないですけど。え?キスしていいんですか?今」

「ごめんごめん迫ってこないで。俺が悪かったから。綾ちゃんが睨んで……なかった。さっきと同じように、目を閉じながら、俺の方へ唇を突き出してたわ」

「き~す!き~す!」

「雑な煽りはやめよう。これはとても純粋な行為なんだ。そもそもここに第三者がいること自体、俺は間違いだと思う」

「第三者って。私は綾ちゃんさんみたいなもんじゃないですか。それに、キスをすれば消えるということは、一番恥ずかしいその後の微妙な空気は、私見られないってことじゃないです?」

「え、そのへんどうなんだろうね。キスした瞬間消えるのか、唇が離れた瞬間消えるのか、それとも余韻みたいなのがあるのか……」

「じゃあわかりましたよもう。目隠しすればいいんでしょう?私、こうして手で目を覆ってますから。ほらね?」

「でもそれだと、運ちゃんが俺たちのキスをしているところを認識してないから、意味がないんじゃないか?」

「そうですか?その条件が、綾ちゃんさんの方にかかっているという可能性もありますし」

「なるほど。わからないな。わからないことには挑戦しない方がいい」

「もう!もう!聖ちゃんさんはヘタレですね。綾ちゃんさんとキスしたくないんですか?きっとこの日のために、リップも高いやつ塗ってると思いますよ?」

「そりゃあ、したいさ。今すぐにでもしたい。俺だって思春期男子なりの欲求はあるから、興味関心は無限大だけどさ。いざ目の前にその目標があると、それはもう怖気づいちゃって……。ほら。練習と本番は違うというかね」

「それはどういう意味ですか?聖ちゃんさんは、誰かとキスをしたことがあると」

「この話はやめよう。関係ないからね。大事なのは、今誰のことが好きかって話だけなんだ?わかる?」

「じゃあその、目の前にいる好きな人を、早く幸せにしてあげてくださいよ。聖ちゃんさんのキスで、メロメロにしてあげてください」

「ハードル上げないでくれる?だいたいさ……。キスって、こういうシチュエーションでするものなの?もっとさ、こう……。夜景の見えるレストランで……。いやそれはプロポーズか。間違えた。とにかく、こんなところでサクッとするものじゃないと思うんだ」

「大したこと言わないくせに、長文にしないでくださいよ。もっとわかりやすく簡潔に」

「小論文の添削みたいだね。あのさ運ちゃん。じゃあ運ちゃんに訊くけど、どうやってキスをすればいい?」

「どうやってって……。こう、舌をこうして、こう……」

「……なんか、生々しくない?高校生のキスだよ?もっとさっぱりさせなききゃ」

「高校生のキスがさっぱりというのは、どういう根拠に基づく意見なんですかね。私は生まれたばかりなので、そのあたりの考えがよくわかりません」

「都合が悪い時だけゼロ歳児になるのはズルいと思うよ。それから綾ちゃん。いつまでもそうしてると疲れるだろうから、一旦休憩したらどう?唇が震えてきてるように見えるし」

「これが本当の唇プルプルですよ。わかりませんか?女の子はあの手この手を使って、男の子に魅力的だと思ってもらいたい生き物だなんです。あのですね聖ちゃんさん。獲物が目の前にいるのに、捕食者が指を咥えて眺めているだけだなんて、私は情けなくて仕方ありません。それはもう綾ちゃんさんの恋心に気が付かないわけです。むしろ感謝しましょう。そんな聖ちゃんさんを、諦めることなく、ずっと高い熱量で、想い続けた綾ちゃんさんに。これは感謝のキスです。そう考えればそんなに緊張しないでしょう?」

「無理だな……」

「人がこんなにも長いセリフを吐いたのに、たった四文字ですか?いますよね。長文に対して、了解!とだけ返事する人!って、人の恋心の擬人化に、例え話をさせないでください」

「ちょっと一旦冷静に考えてみないか?俺たちのここ数日の結末は、これであってるのかな。いきなりトイレに入ったら美少女がいて、記憶が無くて、一緒に住むことになって……。そんな歪な物語の結末が、ただのベタな恋心の告白?とんでもないタイトル詐欺として、色々な人からお叱りを受けそうだけど」

「そんなこと気にする必要は全くありません!だって、この物語は、私たちだけのもの……。もっと言えば、聖ちゃんさんと、綾ちゃんさんだけのものですし。お二人が幸せになる……。つまり、ハッピーエンドなら、なんだっていいじゃないですか。誰にも文句を言う権利は無いはずです!」

「そもそも運ちゃんさ、自分がトイレから生まれたメリットを全く活かせてなかったよね。キャラクターも迷走してたし」

「いいんですよそんなリアルなツッコミは!担当編集さんか何かですか聖ちゃんさんは!もう!こっちばっかり見てないで、目の前のキス顔の美少女を見てあげてください!」

「もっと言うとね?俺だって一応辛かったし、今でも綾ちゃんが俺のことをずっと好きだったってのは、半分疑っているところもあるから、本当なら……。綾ちゃんの方から、キスしてほしいとも思ってるよ」

「言ったわね?」

「え、綾ちゃんいつの間に」


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