第29トイレ ……そうよ。

「えっと……。その。綾ちゃん、宿題やった?」

「やったわよ。どうしてそんなことを訊くのかしら」

「いやそのね……。宿題終わったってことは、暇なのかなぁなんて思ったんだ」


綾ちゃんがため息をついた。

ちなみに俺たちの再現ドラマは、なぜか綾ちゃんの家にあった、あの日のセリフ原稿により、ほぼオリジナルに近い形になっている。


「もちろん暇よ。暇じゃなかったら、こうして人を家に招き入れることもないわ。そもそも私たちが忙しい時、その理由は同じである可能性が高いわね」

「それは言えてるね。そうか、暇かぁ。う~ん……」

「どうしたの聖ちゃん。何か言いたいことがあるなら言いなさい。私、何を言われても、そんなに怒らない自信があるわ」

「ちょっとは怒るかもしれないんだ……。怖いな」

「だって、聖ちゃんがいきなり、この家を丸ごとテーマパークにしたいなんて言い出したら、さすがに私困るもの」

「そんな突飛な発想は持ってないから安心してくれ。至って普通の中学一年生だよ」

「至って普通の男子中学生は、魔法使いとこんな風に会話しないのよ?」

「魔法使いって知る前に、俺は綾ちゃんと親しくなっちゃったからなぁ……。なんだろう。魔法使いと友達にはなれないけど、友達が魔法使いになるのは許容の範囲というか」


友達、というのは、あくまでその場の話であって。

そのもう一つ上のランクに上がりたいと、毎日のように考えていた俺だった。


「そう。嬉しいこと言ってくれるのね。今のところ、この世界で、魔法使いである私をそのまま受け入れてくれているのは、聖ちゃんだけよ」

「そんなことないでしょ?学校でも魔法よく見せびらかしてるじゃん。ウィザードウーマンなんてあだ名もつけられて」

「それは、私じゃなくて、魔法使いを見ているだけだから」


あの時の綾ちゃんは、間違いなく人気ものだった。

それこそ、いつだって隣にいた俺は、お前がなんでそこにいていられるんだよ。なんて言われたこともあったくらいだ。


そんなこともあって、早く恋人同士になりたいという気持ちがあったのかもしれない。

綾ちゃんは、そんなの全く気にしてなかったけど。


もし綾ちゃんに、少しでも俺をかばう気持ちがあったら、俺のことを好きでなくても、付き合ってくれてたんじゃないかと思う。


「だから、家族だって、私を捨てたでしょう?あの人たちは、神川綾菜は許容できても、魔法使いは無理なのよ。早くそんな力は返してこいってね。聖ちゃんもよく知ってると思うけど」

「そりゃあ……。その辺の人たちよりは、事情に詳しいつもりでいるけどね」

「聖ちゃんは、私にとって、そういう存在なのよ。魔法使い神川綾菜を、そのまま受け入れてくれる人」

「……そんな、目を見つめながら、言わないでくれる?」


と、言うのは、セリフの上での話なので、実際の綾ちゃんは、原稿に視線を落としている。


「だって、伝わらないじゃない。アイコンタクトってやつよ」

「アイコンタクトは喋っちゃダメなんだけどね」

「なによそれ。テレパシーの方が簡単じゃない」

「その通りだから、次からそうしてくれると助かるよ」

「私テレパシー使えないのよ。ごめんなさいね。次回作にご期待ください」

「打ち切られちゃったんだね。あのさ綾ちゃん。そろそろ今日なんで俺がここに来たのか、気になってこない?」

「そうね。気になるといえば嘘になるわ。だって、理由も無しに訪れても構わない関係性でしょ私たちは。幼馴染なんだし。違う?」


あくまでも、綾ちゃんにとって俺は、幼馴染の、年下の可愛い男の子でしかなかった。


癪に障ったわけじゃないけど、そんな綾ちゃんの態度が、俺を五回も告白に向かわせたのかもしれない。


「俺、さ」


次のセリフは、「やっぱり俺、綾ちゃんのこと好きなんだよね」なのだが。


当然、こんなにも恥ずかしいセリフを、高校二年生になった俺が、サラサラ読めるはずがない。

一旦お茶を飲んで、口全体を湿らせるように、ゆっくりと飲み込んだ。


右手に伝わる運ちゃんの熱が、なんとなく強くなった気がした。ちなみに運ちゃんにも、同様の原稿が配られているので、次がそのシーンということは、もう伝わっている。


「……綾ちゃんのことが」

「綾ちゃんのことが」


原稿から目を離し、その視線を俺の顔に移してきた。


「綾ちゃんのことが、どうなのかしら」


こんなセリフは、原稿にはない。

ここから俺が告白して、綾ちゃんに色々心に刺さるような言葉をぶつけられるという展開のはずなのに。


綾ちゃんは、自分の持っていた原稿を、破り捨てた。


「あ、綾ちゃん?どうした?」

「綾ちゃんが、どうなのかしらって。訊いてるんだけど」

「だからそれは……」

「原稿なんて見てないでいいから。私の目を見なさい」

「……」

「どう?綺麗な瞳をしているでしょう?自慢なのよ。昔からずっとね。聖ちゃんは、一度だって褒めてくれなかったけど」

「そんなことはないはずだよ。綺麗な目をしてるよねって言ったはずだ。記憶にあるだけでも、三回はその場面が浮かんでくるよ」

「それは全部、この日以来よね」


この日。

今原稿で再現している日であることは間違いないし。

俺の記憶も、それと合致している。


「聖ちゃんが私を諦めた日」

「そりゃあ……。五回もフラれてしまえばね。あの綾ちゃん。セリフ、まだ続きが」

「私があの時言ったこと、何だったか、ちゃんと覚えてる?」

「完璧に覚えてるよ。だからこそ俺は、そういうのはやめようって思ったんだから」

「全然、理解してないのね」

「え?」


急だった。

俺の右手から、運ちゃんの熱が消えたのだ。

けれど、いなくなったわけじゃない。


そこにいるし、手も繋いだままなのに、完全に動きが止まっている。

まるで、死んでしまったかのように。


「疲れたわ。もう。魔法風邪が全く良くならなくてね」

「……まさか。運ちゃんは、ただ生み出しただけじゃなくて、ずっと魔力を供給しつづけて、動かしてたってこと?」

「見ての通りよ。そうでもなきゃ、私クラスの魔法使いが、こんなにヘばるわけないじゃない。作るだけなら、何百体でも作れるわ」

「でも、それってどういう意味があるのかな」

「魔力は感情よ。感情を送り続けることで、人形としてではなく、一つの生き物のような動きをした」

「……待って。今、もしかして、核心に迫ろうとしてる?」

「何を言ってるのよ。この子と聖ちゃんが出会った時から、ずっと……。核心のすぐそばに、私たちはいたわ」


さすがの俺も、ここまでくれば、答えがわかる。


自分を鈍感だとは思っていなかったけれど。


それでも、あの日から、綾ちゃんのことを、ちゃんと見ていなかったのは確かだ。

ただ、好きというだけで、それを直接伝えることもなく。形式的なものだけが、自分の中に残っていただけにすぎない。


綾ちゃんが、運ちゃんを作った理由と。

綾ちゃんが隠し続けていたこと。


……いや、綾ちゃんは、別に隠してなんかいなかったんだと思う。


「綾ちゃん、ずっと俺のこと、好きだったんだね」


ベールを脱いだ綾ちゃんは、俯いてしまった。


けれど、耳が赤くなっているのは隠せなくて、その問いに対する答えは、言わなくても……。

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