第19トイレ 阪下知富ちゃん。どうですか?

「なるほど。そういう綾ちゃんさんは、私も見てみたかったです」

「あ、そっち?」


運ちゃんが帰ってきたので、さっき綾ちゃんの家で話したことを、そのまま報告した。

てっきり、自分の正体についてある程度考察が進んで、喜ぶのかと思ったのに、食いついたのは、ベール解放状態の綾ちゃんの方らしい。


まぁ、気持ちはわからんでもないけどな。めっちゃ可愛いし。


「って、そもそも私を置いて勝手に帰っちゃうのはどうなんですか?プンプンって感じです」

「その昭和のおばさんみたいなギャグは、どこで身に着けたのかな」

「ギャグじゃありません!ちゃんと怒ってるんですけど、それをマイルドに表現するための方法じゃないですか」

「まぁそれはいいとして。どう?もしかしたら自分が変異種かもしれないって件については」

「あのさっきの話を聞く限りだと、聖ちゃんさんのハンカチが水色だったから、私の髪の毛が水色ってことなんですよね?」

「そうだよ。その点に関しては謝っておこう。こんなとがった髪の色になってしまって」

「哀れみの視線は刺さるのでやめてください!もう!あ、今こっそり手を離そうとしましたね?許しませんよ?」


やたら手を繋いだまんまでいたがるところとか、正体が俺のハンカチであることがわかってからだと、しっくりくるな。

でもそうすると、ハンカチの擬人化がトイレで行われたって、なんか色々重なってて面白くなるよね。俺だけかな。


「そんなこと言ってもさ、本部に行ったらしばらく会えないんだから、今のうちに慣らしておかないと、運ちゃんがきついと思うよ」

「それは一理ありますよね……。でも、じゃあ、どうしたらいいですか?」

「どうしたらって……。そもそもさ。授業中は平気なわけじゃん。その辺はどうなの?」

「平気じゃないですよ。後ろの席の子に、もしかしてキメてる?なんて訊かれましたし」

「その質問をする生徒も生徒だな。今度叱っておこう」

「なので!無理なんです。 慣れることなんてありません!それこそ、記憶喪失にならない限り!」


厳密に言うと、記憶喪失ではあるんだけどな。ここがややこしい。記憶も思い出も消え去ってるのに、持ち主への愛情だけが、しぶとく生き残っているのだ。


「まずは十秒離してみよう。ほら。アレルギーを克服する時もさ、徐々に慣らしていくじゃん」

「……わかりました。じゃあ、十秒だけ」

「はい、離すよ~。十、九、八……。運ちゃん、よだれ垂れてるから。口抑えて」

「はぁ……。はぁ……。うぐぐぐ」


なるほど。これは確かにキメてると思われても仕方ないかもしれない。意味が違うけど、まさに、キメ顔と言える状態だった。


「ゼロ!はぁ!聖ちゃんさん、その腕もらいますよ!」

「なんかの漫画で使われてそうなセリフだな……。あのさ運ちゃん。気持ちはわかるけど、それで授業受けてたの?」

「どうなんですかね……。途中から記憶が無くて、気が付いたらここに帰ってきてました」

「泥酔エピソードみたいだけど、その枠はもう阿岸先生が抑えてるから。運ちゃんは純粋恋愛乙女枠で頼むよ」

「あの、今更なんですけど、私の正体がハンカチなんだとしたら、改名してもらえませんか?」

「例えば?」


そうですね。なんて言いながら体を揺らす運ちゃんと、それに伴って連動する俺の右腕。

緩やかなカップルの日常の一コマのように思えるが、俺がこれをやりたい相手は、別にいるんだよなぁ。


……綾ちゃん、体調大丈夫なのかな。

どうしても帰ってくれって言われたから、そうしたけど、でも……。


昔は、魔法風邪を引いたときは、あれもこれもできなくなる綾ちゃんを、俺が手助けしていたこともあった。思い出すな。あの頃はよかった。


「あの聖ちゃんさん。ボーっとしちゃって、どうしたんですか?」

「ボーっとしてるように見えて、色々考えてるんだよ」

「そうですか。ちなみに私は、ハンカチからとって、ハンカちゃんとか思いついたんですけど、どうです?とっても可愛いでしょ?」

「あ、ごめん。考えてたっていっても、そっちじゃないや」

「もう!目の前にこんなに可愛い女の子がいるんですよ?何でそんなに冷静でいられるんですか?しかも、手まで繋いじゃって……」

「だって、もうハンカチだってわかっちゃったからなぁ。もちろん可愛いとは思うけど」


……あれ。

そうだよな。この子、ハンカチなんだよな。

だとすると、俺の手に執着しているのは、やっぱり疑問なんてないけれど。


綾ちゃんに鎮静剤を打たれる前の行動が、説明できてなくないか?

いくら俺のことが好きだとしても、性的な欲求は抱かないはずだ。


「……運ちゃん。一つ訊いてもいいかな」

「はい。なんですか?」

「運ちゃんは、俺の手が好きなの?それとも、密着できていれば、どこでもいいのかな」

「は、恥ずかしい質問しますね。どうしたんですか聖ちゃんさん」

「ちょっと真面目に答えてほしいんだけど」

「そうですね……。確かに、くっつくことができるのならば、箇所はどこでもいいかなぁと思ってます。例えば、抱きしめあってるだけでも十分ですし」


やっぱりそうだ。

この子がハンカチだとしたら、例え変異種だとしても、存在の矛盾がさすがに激しいんじゃないかと思ってしまう。


俺の頭の片隅にずっとある、一つの結論が、存在感をどんどん増していっている。


「運ちゃん。俺ちょっと、もう一回綾ちゃんの家に行くよ」

「え?そんな。私まだキメてる最中なのに!」

「自分からその表現を使ったら終わりだよ?いやごめん。どうしても今綾ちゃんに会わないといえなくなったんだ俺」

「……もうっ。しょうがないですね。大好きな人の背中を押してあげるのも、私の務めですから」

「なんか勘違いしてると面倒だから、先に行っておくけど、告白しにいくとかじゃないからね?」

「え、そうなんですか?私てっきり……。……え、じゃあ、私お留守番する必要あります?一緒に」

「それはやめておこう」

「どうしてですか!もう!聖ちゃんさんのバカ!綾ちゃんさんの家でも、アメリカでも宇宙でも行ってしまえばいいんです!そして十分以内に戻ってきてください!」

「めちゃくちゃ言うじゃん……。でもいいや。ありがとう。ちょっと行ってくるよ」

「本当にちょっとですからね?ちょっとってわかりますか?このくらいですよ」


人差し指と親指を使って、ちょっとを具現化されても、いまいち伝わってこないところがあるんだけど。言ってる場合じゃない。


早く、綾ちゃんに会いに行かないと。

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