第10トイレ それならもう猪ちゃんと呼んでください

昨夜は鬼の理性を手に入れた俺。運ちゃんをウォーターベッドに放り投げることで、強制的に眠らせることに成功した。


そんなわけで、今日も平和な朝を迎えられるはず……。なんだけど。どうやら様子がおかしい。


ソファーで寝たはずの俺は、今まで感じたことが無いくらいの、清々しい目覚め方をした。

ありえない。だって、ソファーで寝た翌日の朝は、体中はバキバキで、ああなんで布団で寝なかったんだろうとか、しまいにはソファーなんて中途半端な物体を発明した、名前も知らない誰かに腹を立てたり立てなかったりするものだ。


まず最初に感じた違和感は、頭。

枕が無いので、起き上がるときに、妙な不快感があるのが常なのに、今俺の頭が感じているのは、絶妙な柔らかさと、ほのかに香る柔らかな……。女の子特有の匂い。


そして、その心地の良さに包まれて目を開けると……。

水色の髪の毛の美少女が、俺を覗き込んでいる。


あれ、俺、死んだんだっけ。

この子はもしや、女神様か?

だとすれば、きちんと挨拶をする必要がある。


「おはようございます。女神様」

「へ?私の正体、もう判明してるんですか?」

「え」

「そうかぁ女神さまかぁ……。いいですよね!女神様。私、憧れます。でも、女神様を名乗るには、私は少し幼なすぎるような気もしますよね……」

「あ、ごめん。今起きたわ。君は女神様じゃなくて、元水色便器の、運ちゃんさんだ」

「元ってつけるとアイドルグループみたいになるのでやめてください」

「なってないと思うんだけど。まぁいいや。えっと、何で運ちゃんは、俺の頭を太ももの上に乗せてくれちゃってるのかな」

「だって、聖ちゃんさんのこと好きですからね」


呼吸するように好き好き言われて、朝から胃が重たい。こんなヘビーな愛を、朝から摂取しないといけないのは、はっきり言ってしんどいな。いや嬉しいよ?嬉しいけど……。朝から恋愛映画とか見ないじゃないですか。そんな感じです。


「聖ちゃんさん。私の太ももどうですか?」

「すごい質問だ。えっと。うん。比較対象が無いからわからないけど、多分良いと思う」

「触りたいですか?」

「運ちゃん。キャラクターがどんどんブレてるんだけど。色々雑すぎない?あんなにツッコミしてたのにどうしたのさ」

「……あのですね。理由はわかりませんが、時間が経つに連れて、どんどん聖ちゃんさんのことが好きになっていきます。出会った時が百だとしたら……。昨日が千で、今は一万です」

「桁で上がっていくパターンなんだ」

「正直、やばいです。聖ちゃんさんを見ているだけで、胸がおかしくなりそうですし、その……。エッチな気分になってしまいます」

「運ちゃん?」


運ちゃんの手が、俺の上半身に伸びてきた。

特に目的地を定めるでもなく、ゆっくりと服の上から、撫でまわしてくる。


まるで、獲物をどう調理しようか考えているかのように。


……これは、マズくない?


「大変なことになっているようね」


そんな声と共に、綾ちゃんがワープしてきた。


「綾ちゃん。運動不足の解消はどうしたの?」

「わからないけれど、聖ちゃんの体が大変な目に遭いそうな予感がしたから、助けに来たのよ。ほらそこの発情娘。これを飲みなさい」

「え、あ、んぐ!」


目に見えないスピードで、綾ちゃんは運ちゃんの口に、何かをねじ込んだ。


すると、少しづつ乱れていた運ちゃんの呼吸が整っていき……。


「……えっと、すごく落ち着きました。ありがとうございます」

「それ、動物用の鎮静剤なのよ。人間が飲んだらアウトな奴だけど、これが効くってことは、あなたはきっとそこそこ強い生き物ね」

「昨日もそうでしたけど、サクッと危険物を私の体内にぶち込むの、やめてもらっていいですか?」

「おお。運ちゃんにツッコミが戻ってきた。ありがとう綾ちゃん」

「私にかかれば、こんなの朝飯前なのよ。というより、二人は本当に朝飯前みたいだけどね」

「そのうまいこと言ってやったぜ!みたいな顔やめてくださいよ。あと聖ちゃんさん。いつまで私の太ももに甘えてるつもりですか?」

「説教キャラまでは無かったはずなのにな。離れないといけないと思うと、寂しくなる太ももだよ」

「そういうのいいですから。ほら早く起きないと遅刻しますよ?私、せっかく学校に通うのに、二日連続遅刻なんて嫌ですからね?」


真面目だなぁ……。でも、大体の生き物は三日坊主って言葉が、オカルト研究部の辞書には載ってるし、せいぜい明日が限界だと思う。


「聖ちゃん、言ってくれれば私の太ももを貸してあげたのに」

「綾ちゃんはなんか生々しい太ももしてるから、頼みづらいんだよね。わかる?」

「わかるわけないじゃないですか。あの、そろそろ太ももから離れてもらえます?」

「いやいや。まだ二度寝してないんだけど。どういうつもりなの?」

「二度寝を生活の一部に組み込まないでください!綾ちゃんさんからも、何とか言ってあげてくださいよ」

「聖ちゃん。今日は午後から雨が降るらしいから、傘を持っていくのよ」

「大変有益な情報ですけど、そういうセリフのために時間を用意したわけじゃありませんからね?」


そうか、めちゃくちゃ晴れてるけどなぁ。

……二人分の洗濯物も溜まっていくわけですし。


「綾ちゃんさ、洗濯の魔法とかないのかな」

「毎年梅雨時期に言ってるわよ。洗濯魔法は加減が難しいの。失敗すると、国が一つ消し飛ぶわ」

「恐ろしい話です。聖ちゃんさん。コインランドリーが近くにあったじゃないですか。そこじゃだめなんですか?」

「コインランドリーね……。行ったことないんだよ俺。あそこ大丈夫なの?なんか下着盗まれるっていうじゃん」

「男性がそんなこと気にしてるの初めて見ましたよ」

「いや、運ちゃん昨日生まれたばっかりじゃん」

「そうですけど」


まぁ、最初からある程度、人に関しての記憶を保持している生き物は多い。

けれど、運ちゃんは自分の使命だけを忘れているなんていう、特殊な記憶喪失なわけだから、ちょっとした違和感はある。

俺が経験不足なだけで、こういうパターンは普通にあるのだろうか。


「そもそも、今は運ちゃんの下着だってあるわけだよ。何にも気にせず洗濯機に放りこんでたけどさ」

「……今、冷静になって、恥ずかしく感じてきました。あの私の服だけ別にしてくれませんか?」

「思春期の娘みたいなこと言わないでくれる?それこそコインランドリーで、余計にお金がかかることになるじゃん」

「聖ちゃんさんこそ、主婦みたいなこと言わないでくださいよ」

「いいじゃない。主婦と娘。私は何の役をしようかしら。やっぱり姑?」

「おままごとに姑を登場させないでくださいよ……」


なんて会話しつつ。

時計を見ると、今日もまた、遅刻確実タイムに突入していた。




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