第9トイレ だって、おしりが触れるから

「ようやく二人きりになれましたね」

「何それ」


とはいえ、帰宅した俺たちは、確かに誰がどう見ても二人きりだった。

綾ちゃんはそのまま先生に連れてかれて、一緒に食事に行くらしい。哀れ綾ちゃん。でも綾ちゃんがなぜか先生に優しすぎるのがいけないんだと思うよ。


「私、聖ちゃんさんのことが好きです」

「いつのまに運ちゃんルートに入ったのかな俺。いやちょっと何でくっついてくるの」

「ダメですか?」

「ダメなわけあるか」


は、しまった。

あまりに運ちゃんが可愛いから、正直に答えてしまったじゃないか。

落ち着け俺。この子はトイレで生まれた生き物だ。可愛いけど、トイレで生まれた……。


「あの、聖ちゃんさんに、正面からハグしたいです」


トイレから……。

……まぁ、いいか。

いや、あるんだよこういうの。オカルト研究部をやってると。


運ちゃんみたいに、自分の使命を忘れてる子はともかく、例えば……。他人の恋を実らせるため、神社に住み着いてる生き物とかもいて、そいつの依頼を受けて、よく手伝うこととかあるけど……。やっぱりみんな、不安なんだよな。うん。

だから、その不安を少しでも解消してあげるのが、俺たちの役目でもあるわけでして。

いやいやいや。決して、目の前の女の子が美少女だからとか、目の前の女の子が美少女だからとか、目の前の……。そういうわけじゃないからね?仕事だから。給料もらってやってるんですよ。


なんて、誰も聞いてないはずの言い訳を、たっぷり並べたところで。


俺は運ちゃんを、優しく抱きしめた。


「どうよ」

「あの、すごくあったかい気持ちになります。聖ちゃんさんと、一つになっていくというか……。心が満たされて、気持ちが溢れてくる感じです」

「何そのポエムみたいなセリフ。運ちゃんにはまだ早いからやめて」

「……い、一旦やめましょうか。恥ずかしくて顔から屁が出そうなので」


多分興奮して、火と屁を言い間違えたんだと思う。でも俺から離れた運ちゃんは、そんなことには気が付いていないらしくて、顔が真っ赤なのは良いにしても、目がぐるぐるになっているのは、ちょっとアニメキャラが過ぎるんじゃないかと思った。

まさか、トイレから出てきたから、屁にしておきました。なんて、気の利いた返しを飛ばせる状態でもなく。

屁なんて出てるわけないだろ。とツッコミたくなるくらいには、運ちゃんは良い匂いだった。


「確かに私にはまだ早すぎるのかもしれません。聖ちゃんさんは、全然動揺していないのに、こっちだけこんなにドキドキしているのも……。納得いきませんね」

「まぁ、もうずっと長いこと、綾ちゃんと一緒にいるからなぁ。毎日あんな美少女巨乳戦士見てたら、感覚もマヒするってもんよ」

「そうですか……。えっと、聖ちゃんさんは、綾ちゃんさんに告白しないのですか?隣から見ていても、お二人はとてもお似合いだと思うのですが……」

「……してるよ。告白。もう五回も。全部断られてるけど」

「ご、ごめんなさい。私、お腹が空きました」

「強引な誤魔化し方だし、まだ晩御飯というには早すぎるから、台所にあるせんべいでも齧ってなよ」

「わかりました。齧ります」


台所に向かう運ちゃんは、純粋無垢で。

なんとなく、昔の自分を思い出してしまう。


綾ちゃんに初めて告白したときの自分とか、多分こういう感じだったんじゃないかなって。まぁもう小学校五年生の時のことなんて、曖昧でしかないんだけどさ。


ニコニコ顔でせんべいを齧りながら戻ってくる運ちゃんを見てると、なんとなく癒される。ペットに近い感覚だなこれ。


「聖ちゃんさんも食べます?せんべい」

「俺、あんまり好きじゃないんだよね。それ、先生が勝手に置いてったやつだから」

「……置いてった、ということは、先生はこの家に来たことがあるんですか?」

「来たことあるっていうか、よく来てるね」

「……それって、私と聖ちゃんさんが一緒に住んでるの、バレちゃいませんか?」

「ああうん。バレたところでノーダメージだから。どうせあの人、うち来たらアホみたいに飲んで記憶飛ばして、綾ちゃんにワープで強制送還されるだけだし」

「教師としてその姿は大丈夫なんでしょうか……」


トイレから出てきた女の子に、教師としての在り方を問われる阿岸先生は、多分大丈夫じゃない。本当に反省してほしいと思う。


「で、運ちゃんさ、そろそろ何か思い出してきた?」

「全然ダメです。私の中ではっきりしていることは……。聖ちゃんさんが、好きだという事実だけですね」

「その顔を赤らめながら、ベタな少女漫画みたいなセリフ吐く技、めちゃくちゃ効くから本当にやめてくれる?」

「だって、好きなんですもん。しょうがないじゃないですか。私もやめられるならやめたいです。でも……。もう。聖ちゃんさんが悪いんですよ!」


真っ赤な頬にプク顔を添えて……。

無意識でやっているからこそ生まれる、本当の可愛さ。


「……まぁ、あれだな。とにかく俺が運ちゃんに手を出しそうになったら、迷わず殴り倒してくれ。死んでも綾ちゃんの蘇生魔法があるから大丈夫だ。なんなら心臓にナイフを突き刺してくれてもいいよ」

「サラッと怖いこと言わないでくださいよ。私、別に襲われても抵抗しませんからね?聖ちゃんさんの好きなタイミングでやってください」

「あのさ運ちゃん。なんか淫乱お姉さんみたいなキャラクターになってるから。自分で方向を修正してくれる?」

「い、淫乱じゃありません!純愛です!混じり気のない恋心じゃないですか!」

「だから、そういうセリフやめようってさっき俺と約束したよね?そういう悪い子は」

「お仕置きですか?」

「……いや」

「お仕置き、してくださいよ。いいですよ。聖ちゃんさんなら、どんなムチでも愛だと私は捉えます。これが本当の愛のムチです。違いますか?」

「それは明確に違うと言えるな」


何て、長い長い会話のキャッチボールを続けている間にも、運ちゃんは俺の腕をふにふにしてきたり、頬をつんつんしてきたり、それはもうやりたい放題で。


……これは、俺の理性がいつまで保たれた状態にあるのか、賭け事が始まりそうだな。


「運ちゃん。さすがに唇触るのはやめてくれよ」

「……これを、こうして」

「おいおい」


運ちゃんは、俺の唇に当てた人差し指に……。自らも、優しくキスをした。

そして、こちらの反応を確かめるかのように、横目でチラチラと視線を送ってくる。


「……間接キッス、ですよね?」

「運ちゃん。可愛すぎるからマジでやめてくれ。一体どうしちゃったんだよ。最初はそんなキャラクターじゃなかっただろ?」

「でも、本当は一目惚れだったのかもしれません。思い返すと、聖ちゃんさんを好きでなかった時間が見当たらないので」

「よくそんなに息をするように、可愛いセリフが言えるよね」

「私の生まれた理由って、聖ちゃんさんに、愛を囁くためということはないですかね?」

「囁くっていうボリュームじゃないけど、まぁありえなくはないよ。ただ、それならそのための記憶を保持していないのが不自然かな」

「……そういうのって、必要なんでしょうか」


俯いた運ちゃんは、何か言いたそうだ。

少しだけ、言葉を待ってみる。


「私が、ただ聖ちゃんさんのことが好きで、色々してあげたくて……。それが。生まれてから目標になったんじゃ。ダメなんでしょうか。例え他に使命があったとしても、思い出せない以上、今の気持ちを行動する一番の理由にしてもいいはずですよね」

「……気持ちはわかるけどさ。俺たちの仕事は、君みたいな生き物と、正しく接することなんだよ。だから、自分の正体もわからないなんて子は、早く元の状態に戻してあげたいし」

「もし、聖ちゃんさんが、綾ちゃんさんを好きじゃなかったとしても、同じセリフが返せましたか?」

「知らないよ。だって、綾ちゃんのことを好きじゃない自分なんて、考えたことないから」

「……聖ちゃんさんこそ、少女漫画みたいなセリフ吐いてるじゃないですか」

「う、うるさいわい。ご飯行こうや」


不覚にも照れてしまった。情けない。

それを誤魔化すようにして、俺は立ち上がり、先に外に出ようとする。

そんな俺の手を、運ちゃんは自然に握ってきた。


……まぁ、いいでしょこのくらいは。

この子の使命がなんであろうと、俺が女の子と手を繋ぐ権利くらいは、国に認められているはずだ。


「……聖ちゃんさんの手、あったかいですよね」

「運ちゃんの手も、電動便器くらいあったかいよ」

「もう!もっとまともな例えをしてくださいよ!」


プンプン怒るから、手の温度まで上がってしまいそうだけど……。

温度の誉め言葉としては、実は最上級なんだよね。

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