第17話 召喚(3)

「唯一の賢者、唯一の永遠なる者、唯一の慈悲深き者よ、汝に永遠の称賛と栄光あれ」

バーンは持っていたワンドで石畳を何度か突いた。

鈍い音が響き渡った。

「汝、ラシス・シセラにかく奥深くまで汝の聖域に入ることを許したり…」

月光しかないはずのこの場所に、何かが見えてきた。

真冬に見ることができる朝日に輝くダイヤモンドダストのように、何かがキラキラとその図形の中にあった。

バーンはそれを視認すると、さらに呪文を続けた。

「されば、神聖なる霊の名前と力に於いて、われ汝らを召喚す。

汝ら、宇宙の物見の塔の天使たちよ。

われ神聖なる名に於いて、責務を負わせん」

(ラティ……頼む。)

「…このラシス・シセラの天球を守るべし」

(俺の声が届くのなら……。

俺の全身全霊をかけて君を召喚する)

「……かれをあらゆる邪悪と不均衡から遠ざけよ。」

(君が存在いるなら、この世界のどこかに存在いるならこの場に、俺の前に現れてくれ)

「……われは道を準備する者、光の救済者なり」

(一目でいい、君が存在しているって事を俺に信じさせてくれ)

「…闇より…光り、現れよ!」

(ラティ……!!)

バーンは両眼を見開いたまま、魔法陣から視線を動かさなかった。

その言葉を発するや見えていた光は急に消え失せてしまった。

今まで無風状態だった庭に一陣の風が吹いた。

バーンの身体が小刻みに震え始めた。

身体の中心から外側に波が広がるように、その震えが次第に大きくなっていった。

指の自由が利かなかった。

握力が全くなくなってしまったように手が自然に開いた。

持っていた白い帯のついたワンドが、音をたてて石畳に転がった。

その音に呼応するかのように今度は右手で掻きむしるように胸を押さえて、その場にひざをつき倒れ込んだ。

心臓が苦しかった。

体中の血が逆流するほど動悸が速くなっていた。

空を見上げた。

さっきまでの青白い月の代わりに深紅の月が見えていた。

目の前がレッドアウトになっていた。

見えているものが全て血で染まったように赤くなったのだ。

同時に呼吸も覚束なくなっていた。

吸うことも、吐くこともできずにいた。

胸に大きな石を置かれたように重苦しくて潰されそうになっていた。

何がどうなったかわからないまま、石畳の上でもがき苦しんでいた。

身体をこわばらせて、固く眼を閉じた。

この状態を冷静に分析しようと試みた。

どこを辿っていっても自分の放った術がそのまま自分に返ってきたのだ。

召喚は失敗した。

「ラ……ティ…」

呼吸もままならないなかで、彼女の名を呼んだ。

切れ切れの声で彼女の名を呼ぶ以外できなかった。

バーンは床に額を付けて伏せながら、コブシを悔しそうにぐっと握りしめた。あの時と同じように石畳は冷たかった。

(やはり、呼び寄せられない。

これほど全身全霊で召喚したのに、何の手応えも…なかった。

見えないまでも何処かに感じられるはずなのに。

感じとることも、呼び寄せることもできないのか!?

もう…彼女の『魂』はかけらも残っていないのか!?)

ようやく浅い呼吸ができるほどになってきた。

身体の震えが治まってきていた。

身体中から吹き出た汗がどんどん体温を奪って冷たくなっていった。

(あの時に、俺が『見たこと』が事実…なんだ)

固く閉じていた両眼を悔しそうに開けた。

膝を折っていた体を起こし、石畳の上に置いた自分のこぶしを見つめるしかなかった。

どうしても認めたくなかった。

7年前に自分の眼の前で起こったことを。

この現場であった出来事を。

(『魂』の完全なる……消滅。

魔族達に引き裂かれてしまった彼女の『魂』は、もう二度と…

この世のどこにも彼女は…いない…のか!?)

バーンは首を激しく振った。

(いやだ、信じたくない。信じるものか。俺は。

ラティ…)

1%の…可能性も存在しなかった。

この変えようのない冷たい『現実』に直面したバーンは我を失った。

どんなにいつもの冷静さを取り戻そうとしてもできなかった。

抑えようのない動揺と後悔が彼を支配していた。

いつもの彼からは想像がつかないほど、感情が高ぶっていた。

表に、表情にそれが出ていた。

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