第18話 召喚(4)

と、風も何もないのに何かの音が聴こえてきた。

よく耳を澄ませなければ聴こえないくらいの音だった。

金属と金属がぶつかるような甲高い音。

魔法陣中央の杯がある方から音がし始めた。

彼の視線は魔法陣中央にある杯へと注がれた。

よく見るとネックレスは揺れてはいなかった。

つまり杯にペンダントトップがぶつかって音を出している訳ではなかった。

しかし、耳には甲高い金属音が残りつつ、リンリンという音が途絶えながらも聴こえてきた。

次第に音は大きくなっていった。

その音は一体どこからやってくるのかと思いながらバーンは耳を澄ませた。

空気を揺らしながら?

いや、空気は振動していなかった。

杯が何かに叩かれながら?

いや、杯が振動している訳でもなかった。

その音は現実の音ではなかった。

急に刺すような痛みが走った。

バーンはハッとして左耳を手で押さえた。

ムーンストーンのピアスの付いた耳を手で押さえた。

その音は左耳が聴いていた音だった。

右耳には何の音も感じられなかった。

リーン…リーン……という金属音が次第に違う音へと変化していった。

遠くで誰かが自分の名を呼んでいた。

繰り返し、繰り返し。

それは人の声に聴こえた。

懐かしい声に聴こえた。

その声に聞き覚えがあった。

聞きたくて聞きたくて、待ち焦がれていた声に聞こえた。

あの日以来聞くことができなくなった声だった。

それはまさしくの声だった。

亡くなった彼女、ラシス・シセラの声そのものだった。

バーンは自分の耳を疑った。

手で左耳を覆うようにして、他の音を遮断するがその声は消えなかった。

むしろ、どんどんはっきりしてくるのだった。

バーンは前髪で両眼を隠しながらうつむいた。

次第に大きくなるその声に意識を集中した。

自分の体の中にどこからともなく、まばゆい『光』が入り込んだような錯覚に襲われた。

(バーン………。バーン…。ごめん。

でも、よかった。バーンが無事でいて。

気がついたら身体が勝手に動いていた。

だから、自分を責めないで。

ね?

こうなったのは私のせいだから。

あなたが悪いんじゃない。

『何でここに来たんだ!』って怒られそう。

あなたのそばにいたかったの…。

一緒にお祝いしたかったの。

とっても大切な日ですもの。

しかも私とバーンにとっては初めての特別な日よ。

あなたがこの世に『生』を受けた日。

あなたの17回目の誕生日。

『お誕生日おめでとう』って直接、言いたかった。

バーン? 泣いてるの? どうして?

泣かないで…何も怖くないよ。

誰も、あなたを傷つけたりしない。

何も、悪い事なんて起こらないわ。

強迫観念あんなことを信じちゃダメよ。

そんなこと、うそなんだから。

そんなこと、有り得ないんだから。

バーン…?

そこに……いる?

なんだか寒い…よ。

あなたの顔が霞んで見えなくなっていく。

まだまだ話したいことがたくさんあるのに。

伝えたいことがいっぱいあるのに。

いざっていう時に言葉にならない…。

どうしてだろうね。

…私ね、____だった。

あなたと同じ時間を共有できて。

同じ時間を過ごすことができて。

本当の『あなた』を知ることができて。)

その声にうつむいていた顔があがった。

7年前、自分が彼女を抱きしめていた場所に視線を移した。

そこは、その白い線で描かれた魔法陣の中心。

石畳の上。

ネックレスがかけられた杯が置かれた位置だった。

(17歳のお誕生日おめでとう。

…大好きよ、バーン………。)

「ラティっ!!」

思わずバーンは彼女の名前を叫んでいた。

そこには、もういないはずの彼女の名を叫んでいた。

バーンの名を呼ぶその声を最後に、辺りはまた沈黙と静寂に支配された。

その声を最後にもう彼女の声は聴こえなくなっていた。

あれだけ聴こえていた金属音も。

「ラティ………」

バーンはゆっくり立ち上がると、魔法陣の中央に置かれた杯に歩み寄った。

ひざをついて、しゃがみ込むと杯の縁に掛けられたネックレスを大切に大切にしながら両手で取り上げた。

今にも泣きだしそうな顔でそれを見つめていた。

「もっと…」

両手でそれを包みながら、額に押しあてて眼を閉じた。

「もっと…聞いていたい…君の声を」

それは叶わぬ事だとわかっていた。

しかし、そう願わずにはいられなかった。

(君の「言葉」 君の「本心」

ラティの…残留思念。

死の間際に、君が思っていたこと…

声にならなかった君の「想い」を…

あの時、俺の顔を見つめながら思っていたことを……

俺の腕の中で思っていたことを…この石畳がずっと記憶していたんだ…な)

ネックレスを持った左手をゆっくりと下ろし、右手を石畳の上に置きながら、やさしい顔つきになっていた。

そこにラティがいるかのようにやさしい視線を向けていた。

石は人の「思念」を吸収しやすい。

あの時の「言葉」をずっとこの石は記憶して保管していたのだ。

召喚の儀式、魔法陣を敷いたことでこの場が浄化、活性化し、ラティが身に付けていたネックレスというフィルターを通して再生された『言葉』。

バーンは握りしめていた手をゆっくり開き、銀のネックレスを見つめた。

ペンダントトップが動いて、リーン……と微かに鳴った。

さっき聴いた音と同じ音だった。

「俺も…君のことが好きだよ」

不意にバーンはそうつぶやいた。

思っていたことがそのまま自然に言葉になった。

素直な感情気持ちになっていた。

7年前。

彼女にどうしても伝えられなかった『言葉』。

このことだけは彼女の前で、決して口にしてはならないと思っていた『言葉』。

自分の嘘偽りない『本心』。

彼は再びネックレスを持つ手を閉じた。

「昔も…今も…これからもずっと……」

もういない彼女に贈るように、バーンは十字架に口づけした。

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