第12話 瞑想(4)

(リリス………)

今も変わらずにいてくれる彼女の顔を思い描いた。

大きな翡翠の瞳で自分を見つめるその顔は昔と変わらなかった。

と、廊下から何か気配がした。

國充は、はっとして現実世界に意識を戻した。

誰かが足音を消し、気配を消し、歩いている。

(臣人か……)

部屋の前を通り過ぎようとした、その時、

「戻ったのか?」

襖越しに声が掛けられた。

臣人は嫌な顔をしながらその声を聞いていた。

「ああ…」

やっとの思いで返事をした。

「じいさん。ちょっと八角堂を借りるで。わいが出てくるまで構わんでほっといてくれ」

「臣人。」

「あん?」

「話がある。入っておいで」

今更、何の話があるんだと思いながら、臣人は襖を大きく開けた。

見るとそこには、湯飲み茶碗を持って座っている國充がいた。

臣人の方は一瞥もせずにまた口を開いた。

「大事な話だ。座れ」

いつものケンカごしではなく、穏やかな口調でそう告げた。

臣人はゆっくりと襖を閉めながら、國充の左手にあぐらをかいて座った。

國充は湯飲みを畳の上にすっと置き、手放した。

「バーン君のことだ」

「!」

臣人は驚いたように声を上げた。

「バーンの?」

「本人に知らせるより、お前に先に伝えようと思っての。まだ、確かな情報ではないんじゃが。裏の方でおかしな動きがある」

「どっちの裏だよ?」

「総本山と、それからバチカンの方と」

「!?」

臣人は目を丸くした。

密教界とキリスト教?

このつながりに、またそんな情報をどこからともなく得てくる祖父という存在に。

日本密教界の重鎮である祖父。

日本に戻った7年前はその力を頼ったのも事実である。

バーンはいるだけで魑魅魍魎を引き寄せる。

彼の陰の気に導かれるように集まってくる霊たちを退けるために臣人は円照寺を選んだ。

円照寺。

この場所は國充が寺を構えてから、何十年もかけて木々を使って強固に山全体に結界を施してある場所だった。

そこに仮住まいをしながら、バーンは日本での生活に慣れていった。

ヨーロッパで身につけた魔術を自分の意志で使えるように訓練された。

肉体的な訓練というよりはむしろ精神的な訓練だった。

使う呪文は違っていても、それを使おうとする意志は同じである。

國充と対峙するバーン。

昔あったこと思い出しながら目の前にいる祖父の顔を見つめた。

そんな祖父のいる密教界と自分たちが働いている学校を造ったカトリック。

2つの宗派でおかしな動きとは?

そんなことはお構いなしに、國充は言葉を続けた。

「バーン君を抹殺しようとする動きがある」

「………」

「ごく一部じゃがな」

臣人は言葉を失った。

抹殺。

殺すということ。

バーンの存在を無くしてしまうとすること。

それほど脅威なのだろうか?

彼らにとってバーンという存在は?

臣人はコブシに力を入れた。

腹立たしかった。

「無論、そんなことをさせるつもりはない」

國充は総本山の方は自分の力で抑えられると目で言っていた。

「が、バチカンの方は…な」

臣人お前の方でなんとかしろと言いたげだった。

ごく一部ということは暗殺もあり得るのだろうか?

「…………」

口を真一文字に結びながら臣人は黒いサングラス越しに國充祖父の横顔を見ていた。

國充は臣人の方を見なかった。

「それと、『銀の舟』が動き出している。」

「なんやてっ!?」

驚きを隠せなかった。

『銀の舟』という言葉に自分の耳を疑った。

この教団はもう随分前に解体したと思っていた。

それは思い込みだったのだろうか?

「6,いや7年前に壊滅したんやなかったんか?」

「正確に言うと『銀の舟』ではない。今は『混沌の杖』と呼ばれておるようじゃが。母体は一緒よ」

國充は静かに言った。

その口振りが臣人には勘に障った。

「何でそんなヤツらがまたバーンを狙うんや?」

『銀の舟』によってもたらされた7年間前の悪夢。

ラシスの死。

バ-ンの絶望。

自分の背負った罪業。

それがまた繰り返されようとしているのか。

『銀の舟』ではなく『混沌の杖』と名前を変えて。

「どうしても彼が欲しいんじゃろうな。右眼が。あの凶眼を持つ彼が……な」

臣人は言葉を失った。

バーンは人とは違う『力』を持っている。

もちろん自分にはない外見的な特徴も。

凶眼。

バーンの右眼。

金色の瞳。

その瞳を持つということが一体何を意味するのだろうか?

なぜそんなにバーンを欲しがるのだろう?

これほどまで執拗に。

「じいさん。」

沈黙していた臣人がようやく重い口を開いた。

「一体、バーンあいつのこと、どこまで知っとるんや?」

國充も同じようにしばらく沈黙した。

そして、

「儂よりお前の方が知っておろうよ。バーン君のことはの」

そう言われてみても納得はできなかった。

祖父はまだ自分が知らないことをいくつも知っているに違いないと確信していた。

「隠してることが……まだわいらに話しとらんことがあるやろ?わいらが知らんことで」

國充はリリスの顔を思い浮かべた。

自分が幼い頃のあのことを思い出していた。

臣人が生まれるずっと前の出来事を。

その出来事がなければ今の自分もなかっただろう。

そんな出来事。

「話すべき時が来たら、何もかも話すつもりじゃ」

自分の信念を貫いた結果が、今自分の目の前にいて『真実』を要求していた。

自分は臣人にとってあまりよい祖父ではないのかもしれない。と思いながら。

「今はまだ早い」

國充はそうきっぱりと言い切った。

立場を重んじているわけではなかった。

自分の想いを重んじているわけでもなかった。

ただ、『真実』を今、臣人に告げるのは早すぎると思った。

それだけだった。

それを告げること。

『真実』に臣人が耐えられるかが心配であったのも事実だった。

臣人が耐えられないということは、当然バーンもそれに耐えられない。

臣人がこの闘いのキーを握っているのだ。

なんとしても勝たなければならないこの闘いに。

そんなことはまだ臣人の知るところではないのだ。

「………」

臣人は不服そうに沈黙したままだった。

何で祖父はこうも奥歯に物が挟まったような言い方をするのか不思議だった。

まだ自分に足りない何かがあるのだろうか?

足りないとすれば、自分に欠けているものとすればそれは。

7年前の明日のこと。

今日、自分がここに来た理由。

今からしようとしていること。

「7年前の二の舞にならんように気を付けることだ」

と、臣人に苦言を呈するように言った。

その言葉に臣人はハッと我に返った。

「ああ。」

臣人は素直にうなずいた。

心に何か確固たるものがあった。

いずれ、こうなることはわかっていた。

『銀の舟』でなくとも、バーンを狙ってくる輩はいくらでもいる。

7年前のあの日、自分はバーンの防波堤になると誓った。

「そのための修行や」

ただ真っ直ぐに國充を見ていた。

孫のそんな様子、その気迫を知って國充はそれ以上語ろうとしなかった。

「…話はそれだけじゃ。あとは好きにするがいい。お前の気の済むように。この寺にあるものは何をどのように使っても、儂はいっこうに構わん」

「Thank you.じいさん。そうさせてもらうわ」

臣人はいつものようにヘラヘラと調子よく笑いながら素早く立ち上がった。

早くこの部屋から出ていきたかった。

國充に自分の心の内を見透かされるのは嫌だった。

「詳しい情報ことがわかり次第、また知らせる」

そういうとまた、畳の上に置いてあった湯飲み茶碗を取り上げた。

「今は自分の憂いを見つめ直すがよかろう…」

臣人は襖に手を掛け、國充に背中を向けながらその言葉を聞いていた。

そして静かに廊下に出て襖を閉めた。

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