第11話 瞑想(3)

あれからどれほど経っただろうか?

時計すら店内になく、時間そのものが無意味のように思われた。

少年はそのあとすぐに店を出ていった。

店内にはまた彼女一人っきりになってしまった。

お客の姿は全くなかった。

それでも彼女はそれを気にするふうでもなく、麻布でグラスを磨いていた。

静かにドアベルが鳴った。

音の方向に顔を向けて、彼女は思わず驚きの声を上げていた。

「あら、」

そこには白い胴衣に黒い袴の、年の頃は5,60歳の男性が彼女を見つめて立っていた。

「お久しぶりですね」

旧知の仲らしかった。

男性はその声を聞いても表情を変えることなく、張りつめた雰囲気で近づいてきた。

きびきびとした動作でカウンター席のひとつに腰を下ろした。

そのまま二人は黙り込んでしまった。

リリスは飲み物の準備を始めた。

数種類のリキュールをシェーカーに入れ、小気味よく振り始めた。

その彼女の手つきを懐かしそうに見て、目を細めた。

「変わりないかい?」

何も言わずにリリスはうなずいた。

カクテルグラスに白濁した液体が注がれた。

彼女はグラスの足に指2本を添えるとすっと前に差し出した。

「ありがとう」

しゃがれた声で男性が呟いた。

彼女は持っていたシェーカーを手放すと彼の前に立った。

「あなたがここにいらっしゃったということは、やっぱりあの少年がそうなんですね~。」

男性はグラスを手に取ると、くいっと冷えた中味を胃に流し込んだ。

「やはり、お見通しか。君に隠し事はきかないな…」

「そうですか」

(彼があの男性ひとの孫だったのですね…)

そういえばよく似ていた。

あの少年の顔が脳裏に浮かんだ。

一重の目元も、目鼻立ちもあの男性にそっくりだった。

彼女は遠い昔に起こった出来事を思い返していた。

目の前にいる人物も今の自分と同じくらいの年齢少年だった。

あの頃。

「………」

「彼の名前は?」

臣人みと。もっとも名字は葛巻だがね。孫として育てているんだ」

「息子さんの方はどうなさったんですか~?」

「あの件の後始末でいまだに日本中を飛び回っているよ。儂もほとんど会っとらん」

「……國充さん」

「もちろん、臣人もな。・・・あいつはほとんど両親の顔を知らん」

「そのせいか少々ひねくれて育ってしまったようでな、手を灼かされているよ」

グラスの中味を一気に飲みきった。

リリスは彼の言葉の本心を口にした。

困ったふうには聞こえなかった。

かわいくてかわいくて仕方がないといったふうだ。

「その成長を見るのも本当は楽しみなくせに。素直じゃないですね~。もう~」

「儂が育てたんだから当たり前といえば当たり前か」

「そうですか……彼が」

リリスはちょっと目を伏せた。

「臣人を、そんなふうにしか育てられなかった儂を笑ってくれ」

「そんな……」

「術と業だけを厳しく仕込んでしまった」

「國充さん」

「いずれ儂らの闘いを引き継いでいかねばならん子じゃ。そういう意味では、あやつの父親も…」

暗い表情で國充は言葉を切った。

「………」

リリスもうつむいた。

確かに、あの時、自分たちはガーディアンズ・ゲートを封印しきれなかった。

敵は地の利を失い、自分たちは仲間を失った。

あの計画は阻止できたが、あの悪夢が再び甦ることは間違いないのだ。

今から何年後かに、必ず。

一度はこの地から手を引いたように見せかけた敵が必ず姿を現す。

「運命…そうですね。運命かもしれませんね……」

長い回想から目覚めたリリスが独り言のように言った。

「あの子・・・ただ寂しいだけなんですよ~」

「………」

國充はそんなことを言う彼女の顔を愛おしそうに見つめていた。

「本当は甘えたいのにうまく表現できないんじゃないかしら~」

「それは、母親がそばにいなかった所為かな?」

「だからといってご自分を責めてはいけませんわ~」

「………」

「いい子ですよ、あの子~」

やさしく微笑んだ。

「ただちょっと素直になれなくて、乱暴者のふりをしているだけで、本当はやさしい子ですわ~」

「ケンカばかりしているがな」

「それは誰に似たのかしら~?」

くすくすっと二人で笑い合ってしまった。

空けたグラスを差し戻しながら、國充は当初の目的を思い出した。

「リリス」

「はい?」

「頼みがある」

「いいですわよ。私にできることなら何でも」

そのグラスを下げながら、彼の顔を見ていた。

臣人あいつの居場所をつくってもらえんだろうか?」

「居場所?」

「逃げ場と言った方が正確かもしれんが」

ちょっとリリスは考え込んだ。

あの少年の様子をもう一度思い返していた。

あの目つき。

あの雰囲気。

それに、

「そうですね~……メンタル面でのケアが必要かもしれませんね」

「儂がやるとどうしても力尽くになってしまうから、どうもいかん」

「………」

國充は短いため息をついた。

「こんな事、頼める筋合いじゃないんだが」

リリスは『そんなことないですわ』という言葉を言えずに飲み込んだ。

「わかりました~」

「すまん。」

男性は椅子から立ち上がり、背中を向けた。

「久しぶりに、美味かったよ」

「ええ。」

「臣人のことで何かあったらすぐに連絡をくれ」

「はい。」

その背中を見送ることが何だか嫌になっていた。

こんな短い時間で行ってしまう彼を引き止めてしまいたかった。

「あ、國充さん?」

「!」

急に呼び止められて彼は振り返った。

止まり木の向こう側に立ち尽くす彼女が見えた。

どこか淋しそうに見えた。

「あ、いえ……なんでも」

頬を赤くしてうつむいていた。

彼は彼女が何を言いたいのかわかっていた。

だがそれを実行することができないこともわかっていた。

同じ想いでも別々の道を歩んでいかなければならなかった。

それが彼女を守ることになると信じていた。

「リリス、」

弾かれたように顔を上げて彼を見た。

「信じないかもしれないが、儂はあの時と何も変わっとらんよ」

彼女を見つめる目は優しかった。

そう言い残すと國充は店を出ていった。

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