第5話 古い鏡

年を経た道具には魔物が棲(す)むという。

ガラスの鏡が古くなると端の方から錆びて茶色になり、それがばい菌のように広がってしまいには真ん中だけが映るようになり、それを覗くとまるで怪しい世界を見ることがある。

そんな鏡にも魔物が棲むのだろう。

普段、鏡は自分の姿かたちが左右反対ではあるがそのままに映る。

まぎれもなく自分の姿かたちが鏡の中にあるのだ。

それは誰も疑うことはない。

鏡は鏡だ。

生まれてこの方、疑いもしなかった。

けれど、あれはどうだったのだろうと、今でも思うことがある。

それは、今から三十年近く前のことだ。

新婚間もない頃、場所は北の都、札幌、私は勤め先の古い社宅に住んでいた。

間取りが2k(ツウケイと読む、居間、寝室と、台所が付いた)、それに浴室と便所の狭い社宅だった。

そこにはペチカがあって、他にペチカの炬(たき)口(ぐち)があり、そこは便所と浴室への通り道ともなっていた。

便所の左側に洗面台があって古びて、周りが赤く錆びた鏡が掛けてあった。

季節は秋だと記憶している。

職場の仲間と飲めもしない酒を飲み、夜中になって、喉の渇きと尿意に目が覚めた。

どこからか入り込んでいる月の明かりを頼りに便所に行き用を足した。

洗面所に行き、手を洗い、顔を冷やし、水を飲んだ。

鏡を覗くと、自分の顔が見えた。

鏡の中の自分は自分を見つめていた。

こんな時間に止せば良いのに冗談めかしいことを始めた。

まじめな顔をするとまじめな顔でこちらを見た。

眉間に皺をよせると、やっぱり皺を寄せていた。

「アカンベェ」すると「アカンベェ」で応えた。

鏡の顔の世界を楽しむようなことをした。

時間にして数十秒。

それに飽きて、そこから離れて後ろ向きになり寝室に戻ろうと思った。

その時、背後から自分に呼びかける声がしたような気がした。

気味の悪さに耐えて振り返ったが誰もいない。

なにげなく、また振り返って鏡の中を覗いた。

驚いた。

それ以上に恐怖が自分を襲った。

鏡の中には背中越しに振り返る自分の顔があると思った。

そうではなかった。

鏡の中の私は正対した姿でこちらを見ているではないか。

鏡の中ではこちらを見てにやりと笑った。確かに笑っていた。

そして、そいつはこちらへ向かって手を伸ばしてきた。

焦った私はその場から逃れようとした。

眼に見えない力が私の足を捉んでいて動けなくなった。

気持ちが動転し、私は声も出せず、心の中では溺れるように空間をかきむしり、必死にもがいた。

そこから先は覚えていなかった。

気がついたのは自分の布団の中であった。

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