第4話 肘をつねったおばさん
〽夏が来れば思い出す。。
とは、歌の文句ではないが、今でもふと思い出して苦笑することがある。
現在の自動改札機と違い、定期券が磁気カードで挿入口から定期券を挿入して、出口からそれを取り出すシステムだった頃の話である。
現在は定期券はICシステムでセンサーにポンとタッチさせればよいのでこのような事態は起きない。
それは八月のある通勤帰りの根岸駅の改札口での出来事。
暑くて、疲れきった私は半袖シャツ姿で朦朧(もうろう)としていた。
それに荷物を片手に持っていたので自分のポケットから定期券を出すのにやや手間取ったまま、
自動改札の入り口に定期券を差し込んだ。
後ろからすぐに年輩の女性が接近しているとは気が付かなかった。
改札口から出ようとして出てきた定期券を取ろうとしたが、疲れていたせいもあって、取り損ねた。
すぐさま再び手を出して取ろうとしたときである。
背後から鋭く叱責するような声で、「ちょっと。私の定期を盗らないで。」という声がしたかと思うと、私の右肘に激痛が走った。
なんと、後ろの声の主は私の右肘を嫌というほどつねり上げたのである。
驚いたのは私である。
「何をするんだ。」と、声を出そうとした。
けれど、驚きとあまりの痛さで声にならなかった。
勿論、無実の私の手には紛れもなく自分の定期券が握られており、その後に当の本人の定期券が申し訳なさそうに出てきた。
すると、かの声の女性は自分の定期券を手にしたと思うまもなく脱兎のごとく走り去ってしまった。
私は改札口の傍に呆然と立ちつくしていた。
この間、僅か数秒のことだった。あまりの彼女のすばやさとのろまな自分が災いして、私は彼女を咎める事も出来なかったのである。
後に残された私としては悔しいやら、腹立たしいしやら、やり場のない感情を持て余した。
このことはしばらくの間、他人に話したことはなかった。
月日が経ち、ある時、家族にこの事件の一部始終を話した。
そしたら、私の気持ちなどまるで無視して、女房と娘は二人して、腹を抱えて笑う始末である。
やっぱり、話さなければ好かったと反省し、またあの時の複雑な精神状態に陥ってしまうのである。
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