第2話 あの世からのお迎えの話
江戸時代のこと。
麹町に住んでいた、ある旗本がある日の勤め帰りに、ふと、道端に店を出していた易者が自分に投げかけてくる視線に気がついて足を止めた。
普段は易者など気にもしない御仁であったが、その日は何故か占いでも頼もうかという気になって易者のところへ近づいた。
「おぬし、先ほどから拙者のことを気にされていたようだが、拙者のことを占ってくれぬか。」
易者はあわてて手を振り遮るようにして言った。
「この占いを申し上げることはどうしても出来ません。悪いことは言いません。早く家にお帰りくださいませ。」
「それでは却って気になるではないか。悪い卦(け)が出ても気にはせぬ。是非、申してみよ。」
易者はやむなく答えた。
「貴方様の寿命のことでございます。」
「人は皆いずれ死ぬものよ。よいよい、遠慮に及ばず。それは何年後の話か?」
「今年のうちに・・・」
「今年の何月か?」
「今年、今月のうちに。」
「今年、今月の何日か?」
「今年、今月、今日のうちに。」
「さようか。刻限は知れようか?」
「今宵、子の刻(十二時)に。」
このことを聞いた旗本の何某は帰る道歩きながら思った。
「さても、不思議なことだ。自分のことなのに少しも死ぬなぞという気がしない。」
旗本が屋敷に着くと、娘が出迎えて心配そうに言った。
「お父様、いかがなさいました?顔色がたいそう悪うございますが。」
「なに、夕方の冷たい風に吹かれたせいであろう。白湯をひとつくれないか。」と言いながら旗本は書院に入っていった。
さすがに、旗本は眠れないままに机の前に座ったままであった。
娘は父の様子が気になって障子越しにそっと中の様子をうかがっていました。
夜はしんしんと深まり、庭の虫の音が止まった頃、一人の侍がこの屋敷の玄関を訪れた。
侍は誰に制止されることもなく、旗本の書院の障子を開けて入ってきた。
「久しぶりであった。」と言って現れた侍は三十年前に亡くなった父であった。
そう言われて、息子は一瞬呆気にとられたが、すぐに懐かしく思い。
「お懐(なつか)かしうございます。お若くなられましたなー。もう、私の方が余分に歳を重ねました。」
父は感慨深げに、頷きなどしていたが、その後で言った。
「ずいぶんと遠くから来たので腹がすいた。」
「それは気がつかないことで恐れ入ります。茶漬けなど差し上げましょう。」そう言って息子は父親に茶漬けを進めると、亡父は喜んで茶漬けを二杯も食べた。
そして、やおら息子に向かって言った。
「然らば、参ろうか。」
そのときであった。
廊下で心配していた娘が書院にすっと入ってきて、両手をついて言った。
「お祖父様、どうぞ、お一人でお帰りくださいませ。」
亡父は困った顔をして言った。
「それは困るぞ。」
「それでも、どうぞまげてお許しを。」とこの屋敷の娘は身を平らにして,しきりに頼むのであった。
そうこうするうちに子の刻になろうとしていた。
「いたしかたない。これで馳走の礼としようか。」といいながら、亡父は我が息子の髷をむんずと握った。そして座を立ちながら髷を引くとカツラのように髪がスッポリ抜けてしまった。
亡父が玄関から出て行くのを二人が見送って門口を出ると、一足ごとに影が薄くなり、やがて、消えて見えなくなった。
その後、この旗本は僧形のまま天寿を全うしたということだ。
杉浦 日向子 著 コミック「百物語」(「冥府の使者の話」)より編集しました。
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