今と昔のはなし、そして里守(里守)
フレディオヤジ
第1話 馬の骨
「みやび」(雅)と言う言葉と、「ひなび」(鄙び)という言葉があります。
今も昔も都会が華やかで、賑やかで、何事も勝っていて、田舎はつまらなく、退屈で劣っていると考えるのは都会の人。
「みやび」(雅)という言葉は元来「みやこびている」から転訛したもの、つまり都風とか、都らしいというもので、京の都の華やかさを表現したものです。
一方、「ひなび」(鄙び)は鄙が田舎という意味で、田舎じみたとか田舎らしいと言う、地方をある意味で蔑視した表現です。
ところが、地方の人も生半可な都会人の知恵や知識をあざ笑うように彼等に大きなホラ話をしては煙に巻くことも見かけます。
これはその話の一つ。
昔、奥州のあるところに都から役人がやって来ました。
その役人の口癖、「こんな鄙びたところに来てつまらない。周りの男も女もまるで雑草か、獣のようだ。雅など望むことも出来ない。」
と、ため息をつくばかり。
この役人もまた、都の全てにくらべ地方の全てを軽蔑していました。
そのくせこの役人、何のとりえもなくて、歌を詠むでもなく、花を活けるでもなく、舞を舞うでもない、無芸、無趣味な男でした。
仕事といっても格別出来るわけでもなく、しかも、もとからやる気もない。
「退屈だ。退屈だ。」と言って過ごしていました。
退屈なのはこの役人自身です。
こんな役人の唯一つの楽しみは宇治から取り寄せたお茶を飲むことでした。
あるとき、花泉(はないずみ)の里というところを訪れました。
その日はとても暑くて、喉が渇き、家来に命じて水を汲ませました。
家来は、「ここの泉は甘露の味がすると評判でございます。」と、うやうやしく竹筒に汲んだ水を差し出しました。
「ふん。京の水には敵うまいが。」と、例によって都を自慢しながらその水を口に含みました。
すると、どうでしょう。
たとえようもなく美味(おいし)しかったこと。
かすかに甘く、芳しく、喉ごしが良く、伝え聞く甘露とはこのことかと密かに感心しました。
役人は思いました。
この水でお茶をいれたらどんなに美味(うま)いことだろうかと。
さっそく、家来に命じてこの水を沢山汲ませ、屋敷に持ち帰りました。
その水でお茶を入れて飲んだところ、美味いことはこの上なく、都のどんなに高貴な人でさえも口にすることはあるまいと思うほどでした。
それからというものこの役人は家来に命じてはその泉の水を取り寄せました。
迷惑なのは家来達。
雨が降ろうが、風が強かろうが、雪が積もろうが泉の水を毎日家来に汲ませる始末。
しかも馬で行くと、馬の糞や尿の匂いが水にうつるなどと、歩いて行かせるのです。
役人の屋敷から泉まで歩くと朝から晩までかかります。
家来達は毎日うんざり。
さて、ある日のことです。
役人が気紛れに家来に言いました。
「あの水が湧く泉を見てみたい。十日後に案内してくれ。」
家来達は相談しました。
「あの泉は大きな池になっている。主人が見たら、あんなに湧いているのなら沢山汲んで来てお茶だけでなく、飯を炊くのにも使いたいとか、風呂にも使いたい、あるいは都に献上したいなどというかもしれない。あの泉を見せたくないものだ。」
すると、家来のうちの一人が言いました。
「主人は都から来たあの通りの人だから、私に任せてもらえれば水汲みの苦労も無くなるとって置きの良い考えがある。」
そして、十日が経ちました。
役人は家来を伴って泉を見に出かけました。
里に着くと、里人達が大勢集まって大騒ぎしていました。
役人は家来を通じて騒ぎの原因を問い質しました。
家来が答えるには、数日前のこと、たくさんの狼が里に現れて馬を襲い、喰い尽し、そのうえ骨を咥(くわ)えてあの泉に捨てたということです。泉の水は生臭くて飲めなくなったそうです。
これを聞いて、役人はほんとうにがっかりしました。
それでも泉の様子が知りたくて家来に泉を案内させました。
泉は深い森の中にこんこんと湧き出る大きな池でした。
家来は主人に言いました。
「池のほとりに近づくのは途中の道が険しくてそれに狼がいるかもしれず危険です。どうかここからご覧下さい。」
役人は下りも険しそうだし、狼も恐ろしいので、遠くから眺めるばかりです。
池の中には何か白い切れ端が散乱して浮いていました。
「あの池の中に散乱している白いものはなんだ。まるで、木の小枝が浮いているように見えるが。」と役人がたずねると。
家来はこの時騒がず。
「さすがは都人(みやこびと)の殿様。」
「あれは小枝であろうが。」
家来の賞賛に自信を持って畳み込むように聞くと、家来もこれに応じました。
「殿の眼力恐れ入ります。まるで白い小枝のように見えます。しかし、この時季に枯れ木のような白い枝があのように多量に水に浮くことも不思議でございます。殿の広く深い学問の知識から、なんと思われますでしょうか。」
都人とか、深い学問の知識などと、家来に持ち上げられたのが原因でしょうか、すっかり舞い上がった役人の方が勝手に思い込んでしまいました。
「そう言えば、不思議なことだ。今は夏だ。それに生木のように瑞々しい。やはり馬の骨であろうかの。」
「この地の古老も殿と同じことを申しております。小枝のように水に浮いていますのは理由があるそうでございます。それは狼どもが馬の骨をしゃぶり尽し、馬の魂までも吸い取ったのであのように軽くなったそうでございます。」
役人は本当に信用して、納得したとばかりに何度も肯きました。
これには周りの家来も、里人も吹き出すのを堪えるばかりです。
そして、家来はさも悲しそうに続けました。
「あのように狼が骨を咥えいれたのでは泉の水も生臭くて飲めたものではありません。
血に汚されているのでこれから何十年も飲めないと思います。」
役人はとてもがっかりして、肩を落とし、トボトボと帰って行きました。
帰りの道々、役人の家来たちと里人はうつむきながら声も出さず笑いました。
そして、役人一行の姿が見えなくなると、「都のお人は馬の骨も木の枝も見分けがつかないと見える。家来にすっかり騙されて、骨が水に浮くものだと思った人がいたのは初めてだ。」
と、里人の一人が言いました。
すると、長老が。
「あのような都人が役人でお出でになるから、我等の話も信用していただけるのだ。都人のお役人様は我等にとっては良いお役人様だぞ。」
みんなは手を打ち合い、ドッと笑いました。
この里はほんとうに幸せな里でしたとさ。
今も「馬の骨」の名は残っていますが、泉が残っているのか明らかではありません。
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