第279話 決闘3
俺の視界に映る天井。
当然ながら全く見覚えのあるものではなく、つい思わず『知らない天井だ』と呟きたくなってしまう。
カイネルとの決闘にて、『どんなに頑丈な人間だって、耐えられない攻撃』によって転がされた俺。
食堂の中央に特設された決闘の為のリング。
さらにその真ん中で俺は仰向けにひっくり返っているところ。
「よっしゃ!これで俺の勝ち!」
「チッ、もっと早く仕留めろよ!遅すぎるだろ!」
「あーあ、アイツ、追加訓練決定だな」
「意外に持った方だろう。あの坊主の頑丈さは大したもんだ」
「手加減し過ぎたんじゃねえの?」
周りから聞こえる騒がしい雑音。
どうやら俺が気を失ってしまっていると思われているようだけど、当たり前だが全くもってピンピンしている。
超重量級の紅姫に、これでもかと踏みつけらても怪我一つしなかった俺だ。
どれだけ急所を狙われたって、意識を失うなんて在り得ない。
耐えられない攻撃と言うのは、おそらく脳を揺らす衝撃のことなのであろう。
顎の先端を叩いて脳を揺らす。
ボクシングで言えば『チン』。
首の筋肉から遠い顎の先端を狙う攻撃は、衝撃を逃がすことができず容易に意識を刈り取ってしまう。
さら駄目押しとばかりのこめかみへの左フック。
完全にテンプルに入ったアレは、直接脳へ振動を与える一撃。
それも顎とは逆方向で時間差をつけての連続技。
どう考えてもノックアウト間違いなしのコンビネーションであったに違いない。
つまり、普通の人間だったら当分起き上がってこれない程の攻撃だったと言える。
どんな人間でも脳を揺さぶられたら耐えられるものではない。
つまり、俺が普通の人間だったらここで負けていたということか。
よく考えれば、今回の決闘は完全に向こうの土俵に乗せられたと言える。
格闘技なんて全然に身についていないのに、未来視上の記憶に残る残滓だけを頼りに真似をして、何の良い所を見せずに転がされた。
それに決闘前につい話し込んじゃって、相手を傷つけたくないなって思ってしまった。
これも所謂勝負前の心理戦に負けたという意味じゃないかな。
向こうが意図したものではないにせよ。
だが・・・
さっきの一発で目が覚めた。
もう手加減はしてやらない。
だって、人間であるヒロは負けたのだ。
なら次なる相手は闘神である俺の出番だろ。
ダンッ!
腹筋と足の反動だけで一瞬で立ち上がる。
「お、起き上がった!」
「馬鹿な!」
「えっ!アイツ、ピンピンしている・・・」
「完璧に入ってただろ!なんで立ち上がれるんだ?」
「鉄板を入れている?いや、頭に入れられるわけがない!」
「頑丈過ぎるだろ!」
俺が急に立ち上がったことで周りの喧騒が静まり、代わって俺の耐久力への言及が呟かれる。
「ヒロ!!」
「ヒロさん!!」
エンジュとユティアさん。
おそらく先ほどまでは悲壮な表情であったのだろうが、俺が立ち上がったことで、今は歓喜の感情を露わにしている。
そんな彼女等を安心させる為に親指を立てて見せる。
「ヒロ・・・」
俺の名を安堵の表情で呟くエンジュ。
良く見ればその目尻に涙の跡が見えた。
これは・・・多分俺の罪だ。
さっきからエンジュに心配をかけっぱなしだ。
カイネルに絡まれた時も、エンジュは俺を庇ってアイツに言い返してくれた。
俺が黙って何も言い返さなかったからだ。
だいたいあの時、なんで俺は言われっぱなしで黙っていたのか?
確かに元の世界ではどんな理不尽な言いがかりをされたって、愛想笑いを浮かべてやり過ごすだけだった。
反論するのが面倒くさいとか、言い返しても無駄だとか理屈をつけて自分を誤魔化していた。
前の世界ならそれで無難に生きていけたのかもしれないが、この世界はそうではない。
強さを誇示しなければ、生きていけないのだ。
それは今、俺が庇護しているエンジュ達にも影響することだ。
「余計なことを考え過ぎたかな・・・」
ポツリと口の中だけで呟く。
正しく白兎の言う通りだ。
周りの目とか、疑われるかもとか、決闘に応じた時点でそれは無視すべきだった。
それに下手に未来視での経験をトレースしようなんてするから、余計に分かりやすい攻撃となってしまった。
今の俺のスタイルは天衣無縫、身体の頑丈さを活かしたセオリー無視の攻め方にあったはず。
まだアテリナ師匠と勝負をした時の方がマシだっただろう。
「おい、ヒロ。無理するな。立ち上がれたのは驚いたが、お前は今、脳震盪で目の前がグラグラしているはずだ。もう戦いなんてできるわけがない。さっさと降参しろ」
立ち上がった俺へ向けられるカイネルからの降伏勧告。
俺を気遣う様子も見受けらることから、やはり気の良い男のようだ。
でも、悪いけどもう手加減してやらない。
別に殺すつもりや大怪我させることはないけれど、無様な負けっぷりを晒すことは避けられないぞ。
「大丈夫だ。続行可能だよ。全然効いてない」
努めてにこやかな笑みを向けてやる。
平気なことをアピールするように両足を揃えて軽くその場でジャンプ。
「む?打点がずれたのか?まあ、多少のやせ我慢はあるにせよ、本当に平気そうだな。しかし、無理はするなよ。あとでぽっくり行くときもある」
「ははは、それは怖いなあ。じゃあ、さっさと終わらして、エンジュに膝枕してもらって休憩するよ」
「あぁ!・・・ちっ!言うじゃないか。もうどうなっても知らんぞ!」
もう一度俺に向かって構えを取るカイネル。
右拳を腰に溜め、大きく股を前後に開いた体勢。
今までの型とは違い、攻防一体の構えから、攻撃重視への構えということだろう。
それに対し、俺はだらりと両腕を下げ、完全に無防備なスタイル。
「はあ?お前、一体どういうつもりだ?」
俺の戦いの構えとは思えない体勢を見て、不審げに問いかけてくる。
「さあね。試してみなよ。この世にはどう考えたって理不尽っていうモノがあることを教えてやろう」
さっきカイネルに言われたことをアレンジして返してやる。
「はん!そうかい。では、見せてもらおうか!その理不尽っていう奴を!」
吼えるように叫び、カイネルはその勢いを持って、拳を腰に溜めて真正面から突きかかってくる。
それは今までフェイントを多用した攻撃とは真逆。
大振りで一撃を狙った大雑把で直線的な攻撃。
たとえオークの装甲ですらぶち破りそうな渾身の正拳突き。
それを俺は躱そうと言う素振りすら見せず、真正面から顔面で受け止めた。
ドンッ!
「ヒロ!」
「ヒロさん!」
「やった!決まった!」
「これでフィニッシュ!」
「いくらなんでもこれで・・・」
「で?」
俺は鼻血すら出てない涼しい顔でただ一言の疑問形を口にする。
「な、な・・・」
驚愕で顔を歪めるカイネル。
先ほどまでの多少なりと躱したり防御していたりの間を縫って当たった一撃ではなく、正真正銘、真正面から体重が乗った一撃。
それを受けて微動だにせず、なお且つ余裕の笑みさえ浮かべている少年。
長年戦場を渡り歩いていた猟兵ですら自分の目を疑う光景。
「これで終わり?大したことないね」
今までのお返しとばかり挑発してやる。
これくらいの意趣返しは構わないだろう。
「くっ!くっそ!」
一旦、後ろに飛びのいて体勢を整え、また拳を振り上げ俺に殴り掛かるカイネル。
「オラオラオラオラオラオラッ!!」
ドンドンドンドンドンドンドンッ!!
息もつかせぬ連続攻撃。
拳と蹴りを織り交ぜ、嵐の様な連打を繰り返す。
しかし、その連打を小雨にも感じないような軽い足取りで前に進む俺。
「ど、どうなってるんだ・・・アイツ?」
周りの観客の一人が呟く、
おそらくその言葉が全ての観客の意見を代表していたのかもしれない。
辺りが驚きのあまり静まり返る中、カイネルが繰り出す打擲の音だけが食堂に響き渡る。
「は、は・・・は・・・」
俺が前に進む度に、カイネルは後ろに下がりながらも攻撃を加え続けている。
その顔はすでに恐怖で引き攣っていたが、それでも攻撃をやめようとはしない。
俺はただ無防備に歩いているだけ。
殴られても蹴られても、全く怯む様子もなく進んでいく。
例えは悪いが、痛みを感じないゾンビに襲われている気分であっただろう。
どれほど攻撃をしても平然と向かって来る敵。
それは精神的圧迫感に加え、攻撃手への動揺も引き起こす。
「あっ!」
ドン
あまりにも無造作に前に進む俺に、カイネルはついに体勢を崩し後ろへと倒れ込む。
今、この時、仰向けにひっくり返った様を晒しているカイネル。
ここで俺が踏みつければ、ジ・エンドだけれど・・・
まあ、それはやり過ぎか。
では・・・
ガシッ
俺は後ろに倒れ込んだカイネルの両足を両手で掴み、両脇に抱えようとする。
「クソッ!離せ!」
ガンッ!ガンッ!ガンッ!
足を抱え込む俺の手や腕を何発も拳が叩き込まれるが無視だ。
「つ~か~ま~え~た~!」
ニヤリとした笑みをカイネル見せつけてやり、そのまま両足を両腕で抱えて立ち上がる。
「離せ!離せ!」
足を動かそうとするが、万力ごとき俺の握力で捕まえられていて逃れられるわけがない。
「さあ、たーんと俺の攻撃を召し上がってくれ!」
カイネルの両足を抱え、そのままグルグルと身体を回転させる。
プロペラの羽のように身体を振り回されるカイネル。
これぞ元の世界のプロレスの見せ技の一つ、『ジャイアントスイング』だ!!
ブオオオオオオオオオオォォォォォォ
俺の身体を軸に、抱えたカイネルの身体を振り回す。
以前、堕ちた街で瀝泉槍を回転させた程ではないが、それでも扇風機並みのスピードは出ているかもしれない。
風が巻き起こり、床に落ちが紙くずが舞い上がる。
俺の大技に会場中が静まり返り、誰も声を発しようとはしない。
生身の人間がここまで回転運動に巻き込まれることは無いはずだ。
あまりの現実感の無さに度肝を抜かれているのだろう。
「ひゃあああああああああああああ!!!!」
ただカイネルの悲鳴だけ食堂中に響き渡り、やがて・・・・・・・
カクン
完全にカイネルが白目を剥き、力が抜けた状態となる。
このスピードで振り回されたら、いかに歴戦の猟兵とはいえ、遠心力で気を失ってしまうのが当たり前だ。
まあ、これくらいで勘弁してやるか。
万歳のポーズで力無く振り回されるだけのカイネルを見て、回転を徐々に緩めてやり、勢いが落ちた頃合いでゆっくりと床に降ろしてやる。
コロコロコロ
慣性の法則に従い、ダランとした状態のまま横に数回転がるカイネル。
そして、仰向けで動きを止め、そのままピクリとも動かない様子を晒す。
やはり白目を剥いたままで。
「審判!」
「・・・・・・ああ」
仕切り役の団員が倒れているカイネルに近づき、顔や目の色を確認する。
首に手をやり、脈をとり、瞼を開けて目の反応を確かめて・・・
あ!
カイネルの奴・・・、股の部分が染みだしている。
そりゃあれだけ振り回したんだから、失神して漏らしても仕方が無いか。
しかし、これは余りにも不憫な・・・
キョロキョロと周りに目をやれば、注目されているのはカイネルの容態を見ている審判の人だけ。
これくらいは構わないか。
今なら染み始めたばかりだから至近距離の俺以外気づかれていないだろう。
こっそり指二本を口に当てて小声で口訣を唱える。
「水行を以って命じる。水分よ。痕跡なく消え続けよ」
徐々に範囲が広がりつつあった染みが跡形も無く消え去る。
ふう…、これも武士の情けだ。
俺が後始末をし終えた時、
「続行不能!試合終了!」
審判役の団員が宣言。
それと合わせて食堂内にどよめぎが湧き立ち、嵐のような歓声が巻き起こった。
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