第64話 初めて


「もー。ヒロさんヒドイ!そんな人だとは思いませんでしたー!」


 ナルは床にペタンと女の子座りしながら両手を振り回し、お怒りモードに突入していた。

 脱がしてくるのを抵抗し続けた結果だが、別に怒るようなことなのか?


「女の子にここまでさせといてー、恥をかかせるなんてー。この極悪人ー!」


「いや、恥をかかせるつもりは・・・」


「じゃあ、何でついてきたんですかー。この部屋の意味を知らないとは言わせませんよー!」


 確かに、サラヤから聞いていたけど、こうあからさまに正面から誘ってくるなんて、誰が想像つくんだよ。


「てっきり、ディックさんの部屋を片付けるのかと思って・・・」


「ディックさんの部屋の片づけはもう終わっていますー。私物なんてほとんどないからすぐ終わりましたー。残ってたのは書置きくらいですよー」


 ああ、たしかディックさんは書置きを残したと言っていたな。

 

「ディックさん酷いんですよー。見てくださいこれー」


 ナルがズボンのポケットから紙を取り出して、見せてくる。


 便箋のようだが・・・なになに。


『街へ行く。もう戻らない。あとは頼む byディック』


 短いすぎるだろ!もうちょい書くことなかったんですか?


 俺の表情を見て、共感してくれたと思ったのか、ナルが“そうでしょう”とばかりに、今度はディックさんへの非難を口にする。


「これだけしか書いていないんですよー。私達が一緒に過ごした時間はどうなったんですかー。もう会うのが難しくなるのにー」


 ナルは口をへの字にして、不満を述べているが、男の立場としては、理由が理由だから、つらつらと手紙に自分の思いを長文にするなんて、ちょっと難易度高いと思うな。

 まあ、一応ディックさんの弁護をしておこう。


「ディックさんも色々辛かったんだとじゃないかな。きっと、文字にはできなかったこともたくさんあると・・・」


「あの人は昔からデリカシーがないんですー!」


 おれの弁護の言葉はナルに打ち消されてしまう。鬱憤溜まってたの?


「私が初めてディックさんと寝た時、私に『お前が一番可愛い』とか、『お前を一生大切にする』とか、『一緒にスラムから出よう』とか、寝物語に話してくれてたのにー。次の夜に抱いた子にも同じセリフ言ってたんですよー!あの人ー!!」


 おおう、弁護の余地が無い。その話、ディックさんから聞いたな。あれはナルも関係者だったのか。

 

「あの後、女子内で結託して、2カ月くらい、誘ってきても無視してやりましたからー!」


 ナルは見えないディックさんにパンチを連打している。




 これだから女の子は怖い。敵に回すのは絶対避けなくては駄目だな。それに、そういった話を普通に実名を挙げてくるもの恐ろしい。もし、俺がナルに手を出していたら、一瞬で、チーム内にその情報が回るんだろうな。


 俺はこのチームを早々に離れるつもりだが、別に二度と会わない訳じゃない。親しくなったデップ達やザイード、トール、ジュード等に、会いに来ることだってあるだろうし、当然、サラヤ達女子メンバーにも会うこともあるだろう。


 その時に、ナルとかに手を出していたら、どうしても意識してしまうし、場合によっては、『あの人はなぜナルを見捨てて、1人スラムを出たのか』なんて非難されてしまうかもしれない。


 やはり、このチーム内で手を出すのは止めておこう。もし、手を出すのだったら、全く無関係な行きづりの女性か、お金と割り切ってくれる娼婦辺りにしておこう。





 それはともかく、荒ぶっているナルをなんとか鎮めなくては。何かいい方法は・・・

 

 前の世界の職場では、女子社員を怒らせた時は大抵甘い物を差し入れすることで、リカバーすることが多かったが、この世界でも通用するかな。


 現代物資の召喚の乱用は避けるべきだが、これ以外に甘い物を仕入れる手段を持っていないからなあ。


 仕方無い。また、前に居た所から持ってきた数少ない貴重品と言い張るか。

 前にサラヤから約束は解除してもらったし。これくらい問題ないだろう。



「ナル、俺さ、ちょうど甘い物持ってるんだけど・・・味見してみない?」


 ナルのシャドウボクシングがピタッと止まって、顔を俺に向けてくる。


「ヒロさーん。女の子の機嫌が悪くなったらー、とりあえず甘い物をあげときゃー、機嫌が直るーって思ってません?」


 眉をぎゅっと中央に寄せて睨むような眼をしてくるナル。

 意外に鋭いな。ポヤポヤしているけど、侮れない読みをしてくる。


 サラヤは普段しっかりしているけど、時折危なっかしくなるところがある。でも、ナルはいつもニコニコ癒し系で無害そうだけど、こうやって鋭いところを見せることがある。結構いいコンビなのかもしれない。


 まあ、読まれてようがいまいが、元の世界からの甘味に耐えられると思うなよ。


 胸ポケットに手を入れ、召喚するのは「低糖フルーツキャンディ(甘さ控えめ)」だ。


「さあさあ、そんなしかめっ面しないで、お一つどうぞ」


 袋紙を破って中から苺味キャンディーを取り出し、指で挟んでナルの口に持っていく。


 しかし、ナルは目の前に持ってこられた赤く透き通る晶石のような物を見て、腕を組みながら不審げな表情で俺を見返してくる。


 怪しげなものと見られたかな。でも、ここは押し切らないと。


「ナル。約束してたよね。美味しい物をあげるって。フルーツブロックじゃないけど、とってもあまーいシュガードロップみたいなものだよ。ぜひ味わってほしい」


 ここまで、言われてナルも観念したのか、腕組みを解いて、口をあーんと開けてくる。

 

 ちょっと、ドキドキしてしまうな。なかなかにエロいぞ、このシチュエーション。



 

 ひょいっ ちゅぱっ




 恐る恐るナルの口にキャンディーを入れた瞬間、口を閉じられて、ナルの唇と舌で指先を舐られる。



 !!!



 指先に感じた生暖かくて湿った感触。

 背筋がゾクッてしてしまう。


 コイツ、なかなかやりやがる。絶対にただの癒し系じゃないな。


 俺がナルのポテンシャルに戦慄していると、ナルが愉悦の声を上げ始める。



「はわわあわあわあわあー」



 さっきまで、機嫌が悪そうにしかめっ面をしていたナルの顔がふにゃあという感じで崩れていく。



「はわわわあああ、ふぉれ、あまあああい!!はわはわああー」


 おいおいおい、ナル、ヨダレ、ヨダレが垂れてるぞ!


 俺に指摘されて、口を手で拭いながら、生まれて初めて食べるキャンディーを味わうナル。


 顔から崩れ出し、だんだん体にまで及びつつある。

 ぐでーと後ろに倒れて壁によりかかり、体を完全に弛緩させている。



 完全にキャンディーの虜になってしまっている。今ならおっぱい揉んでも気づかれないかも。


 そんな邪なことを考えてしまうくらいの無防備だ。

 いや、しませんよ。本当に。

  

 あんまりナルの無防備っぷりを見続けるのも悪いので、視線を外して、部屋を見回してみる。

 




 小さめの窓が一つ。外の光が入り込んできていて、灯りをつけなくても十分明るい。

 床は厚手の絨毯のようなものが敷いてあり、十分横になって寝れそうだ。

 部屋の隅には柔らかくて清潔そうな布と、使い捨てるにはちょうどいい紙が何枚も重ねて箱に入って置いてある。

 何に使うんでしょうね?



 ぐるっと部屋に視線を回していると、ナルが床に置いたディックさんの書置きが目に入った。


 床に座り込んで、書置きを拾い上げて、手に取って眺めてみる。

 書置き自体は元の世界の便箋に近い。紙の質はあんまり良くないけど。

 便箋に意外と丁寧な文字で先ほどの文章が綴られている。

 ディックさんはこれをどんな思いで書いていたのだろうか。

 

 ナルが言っていたようにもう会うことはできないだろう。知り合いが物乞いをやっているところなんて見たくないし、向こうも絶対に見られたくないはずだ。


 物乞いから出世を目指すと言ってたが、そんなに簡単には行くわけがない。それには実力だけでなく、奇跡とも言っていい程の幸運が必要なはずだ。

 

 俺ができるのは、精々ディックさんに幸運が訪れるのを祈るくらいか・・・




 幸運・・・を招く・・・祈り?

 

 


 待て、仙術にも幸運を招くようなものはなかっただろうか?

 ドンピシャなものはなくても、それっぽい術でカバーできないか。

 今までの仙術の行使を見ると、その辺りは非常にあいまいなところがある。

 いくつかの事項を組み合わせれば、ディックさんへ幸運を招くくらいはできるでのはないか。


 ディックさんが書いた書置きを見る。


 これを使えば・・・これだけじゃなくて、他にも幸運の要素を組み合わせて・・・






「ヒロさーん。これ、もの凄く美味しかったですー。こんなに甘いのー、初めてでしたー。もっとありませんかー」


 キャンディーを舐め終えたナルが四つん這いで俺に迫ってくる。

 その姿は獲物を狙う猫ような仕草だ。

 エロい!なんか捕食されてしまいそう。


「いや、さっきのが最後の一個なんだ。当分手に入れるのは難しいかな」


「えー、そんなー。本当ですかー?。本当にホントですかー」


 うわ、座り込んでいる俺の太もも辺りを手で擦ってくるナル。

 あ、ちょっと微妙なところにまで手を伸ばさないで。


「もう一個くれたらー。私がヒロさんにー、もっと凄いことしてあげちゃいますよー」


 それにはスゴク興味あるけど、キリが無いからこれは突っぱねないと。


「本当に今は持っていない。でも、また、ナルが美味しい物を食べられるようにがんばるから、それまで我慢しておいてよ」


「うーん。うーん。しょうがないですねー。じゃあ、次も期待してますよー」


「ああ、任せておいてよ。あと、ナル、このディックさんの書置き、俺が貰っても構わない?」


「え、その書置きですかー?もうサラヤには見せましたしー。別にヒロさんが持っていても大丈夫だと思いますー」


「ありがとう。ディックさんにはちょっとお世話になったんだ。だからこの書置きでちょっとしたおまじないをしようと思ってね」


「そうなんですかー。じゃあ私からの分もお願いしますー。昔のことは気にしなくてもいいんでー、がんばってくださいーって。ああ、それからー・・・」


 ナルが突然四つん這いのまま、座っている俺に顔を寄せてくる。


 


 ちゅるっ



 唇に感じたにゅるっとした感触。ほんのり苺の甘い香り。


 顔を離したナルはしてやったりという感じのイイ笑顔。


 「ふふ、これは甘いものをくれたお礼ですー。続きがしたかったらいつでも言ってくださいねー」


 

 俺は突然の出来事に思考が一時停止する。

 キスをされてしまった。しかもちょっとだけ大人のキス。

 


 ナルはそんな俺の様子に満足したような笑みを浮かべてながら立ち上がり、俺を置き去りにして部屋を出ていこうとする。


「じゃあ、ヒロさん。私はこれからお仕事ですのでー」


 ドアを開けて部屋を出る瞬間、俺を振り返ってもう一言。


「ヒロさんの初キッス、私が奪っちゃいましたねー。これは皆に自慢できそうですー」


 さりげなく爆弾を落としていくナル。これは絶対、さっきの恥をかかせた仕返しだろう。


 冗談だよね。みんなに言い回ったりしないよね。



 ウバッタ?ウバワレタノカ!



 お前はいいから!ちょっと黙れ!

 それに、初キッスじゃないから!元の世界じゃあキスまでだったら・・・いや、この世界でこの体では初キッスなのかな。



 思わず、唇に手を当てる俺。

 

 おいおい、キスくらいでなんでここまで動揺するんだよ?

 やはり精神年齢も姿相応に若返っているのかな。

 それにしても・・・



 女は恐ろしい。今回はそれに尽きるな。

 

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