第4話

 「おじさんっ!」


 息せき切って例の金魚すくい屋に到着するや、私はお金を店主に突き出した。


 「悪いけどもうしまいなんだわ。すまんね、嬢ちゃん」


 打ち上げ花火が上がりきった時点で、祭りの行程は全て終了だった。活気のあった境内は随分と人が減り、露店の多くも撤退の作業に取り掛かっている。


 「お願いします!」


 それでも私は頭を下げた。


 「どうしてもやらなくちゃいけないんです。会わせてあげなきゃいけないんです」


 顔を上げて店主に向かって再び、


 「……お願いします」


 店主は僅かに渋い顔を見せたが、やがて了承してくれた。

 私の熱意に折れたのか、それとも涙を堪えて頼み込む女子高生を憐れに思ったのか。いずれにせよ、私は交渉に勝ったんだ。なら理由はどうだっていい。



 店主からボウルとを受け取り、ビニールプールの前でしゃがむ。



 …………いた。


 和金や出目金に交ざって一匹の優魚が泳いでいる。改めて見ると、違和を感じるほどに立派な姿をしていた。



 「嫌いじゃなかったのか?」


 背中に夏生の声が飛んでくる。


 「そんなこと言ってない」

 「え、でも苦手だって――」

 「うるさいっ」


 彼の言葉を断ち切ってを沈めた。息を止め、ゆっくりと金魚を追いかけていく。


 金魚の背後をとった。あとはこのまま――。


 「えいっ!――あ、あれ?」


 一気にを持ち上げた。

 しかし金魚は私の行動を先読みするかのように、するりとその場から逃げていった。

 残ったのはポタポタと魚臭い水を滴らせる、穴の空いただけ。


 「次こそっ」


 そう言って得物を持ち替える私だったが、その後も金魚の尾ヒレを掠めることさえ叶わず。


 「ヘタだなぁ」

 「黙って!」


 いつしか隣にいた夏生からそんな野次をもらう。


 最後なのに。

 今夜がまた、彼との別れになるかもしれないのに。

 ケンカなんてしたいわけじゃない。だけど焦る気持ちが私を苛立たせる。


 金魚たちを会わせてあげることに意味なんてないのかもしれない。これはただ私のわがままで、自己満足で。そのせいで夏生との間に気まずい空気が漂っている。告白だってまだ……。


 「ごめんね」俯き呟いた。


 「ごめんね、怒鳴っちゃって。私、どうかしてた」


 夏生が訊ねる。


 「なんであれがそんなに気になるんだ?確かに珍しい金魚っぽいけど、何だか肩入れっていうか、すごく気に掛けてるような……」


 私は頭を振り、


 「あの金魚にじゃない。そっちの子」


 夏生が持つ金魚袋に眼を向けた。


 「この子たちはずっと一緒だった。だけど私たちのせいで、その子はこの先独りぼっちになる。それってとても辛いことでしょ」


 手に持つを見つめる。


 「だから私が何とかしなきゃいけないの、絶対に。心の穴はどうやったって埋まらないから……もう、哀しい想いはしたくない」


 私の想いが入り混じる。

 あぁ、やっぱり自己満足なんだな、これって。

 疵口を和らげようと別の行為から得た達成感で心を誤魔化す。そうすれば過去を思い出すたび、後悔の川で溺れないよう良心のつたにしがみつくことができる。


 私の話を聞くと夏生は深く息をついた。それから店主のおじさんからを受け取る。


 「貸しイチな」


 そう言って彼は金魚たちが泳ぐ水面を覗き込んだ――の持ち方がなってないだの、水との抵抗を意識しろだの、金魚の泳ぐ方向を考えろだの、憎まれ口を叩きながら。


 「


 余計な負荷が掛からないよう斜めにを入れると、水面と平行を保つ。紅白の金魚の動きを窺い、他の金魚の群れから外れたところで近付く。

 右に左に旋回しようとする金魚の壁となるよう、手首を僅かに動かしながらを傾ける。徐々に金魚は逃げ場を失い、夏生に翻弄されるがままに紅白の金魚が水面から姿を現した――。

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