第12話 桜とともに散る単位

12月には17歳の誕生日を迎え、年が明けるころにはなんとか毎日学校に行けるくらいに、体調が戻ってきた。眠剤を服用してから生活リズムが戻り、激しく落ち込むことも減ってきた。

ただ、あくまでも薬を服用することは対症療法にすぎない。根本的な原因は何一つ変わっていないのだ。例えるならインフルエンザウイルスを殺さずに、解熱剤を使って熱だけ下げているようなものだ。


よく眠れるようになり、死にたいという思いも減ってきて、残ったのは「恐怖」だ。主治医に震災のことを打ち明けていないので、当然それに対する手は何も打っていない。主治医は遠回しに言ったが、抑うつ状態は減ってきているが、その分不安症状が目立っているため、全般性不安障害という見立てをしていたようだ。ただ私が「全般的」な不安を持っているわけではないことは、明らかだった。


このころに私を支えていたのは、私の無謀すぎる夢だった。その夢については詳細は語らないが、私には行きたい大学ができた。いままでの模試の志望校の欄にとりあえず惰性で「旧帝大」と書いていたが、そこでは私の学びたいことが学べないと知った。志望校では私の学びたいことが学べ、住みたい街に住むことができる。志望校のある街のことが、私は好きだった。

問題は語学力だ。その志望校は海外にあるため、私は言語を学ばなければならない。しかも英語圏ではない。いままでの英語力が活かせるとは思っていたが、その国の言葉を一から学んだ。

両親は「病気の症状が少しでも収まるなら、夢はあったほうがいいし、生きたいならその大学に行きなさい」と快諾してくれた。ただ、語学学校に通うだけの体力がなく、語学学校に行けるなら学校に行くので、私は書店にある本で勉強した。


当たり前のことだが、大学に入るには高校を卒業しなければならない。高校を卒業するためには、単位をとらなければならない。全日制高校で単位制高校ではない場合、単位を意識することはほぼない。私の高校は単位制ではなかった。学年制だった。つまり2年次の課程を修了しなければ、3年次には進めない。


「原級留置」は目の前にあった。要は留年のことだ。このころには先生は「欠席時数カード」を作ってくれた。現代文はあと5時間休んだら留年。数学Ⅱはあと3時間、体育はあと6時間といったようなものだ。私の高校ではたとえ1つでも欠席時数をオーバーした科目があれば留年が決まるようになっていた。

留年には2つの理由がある。成績不振と欠席時数だ。私の場合高校を変えたこともあり成績はよかったが、欠席時数が課題だった。


結局何とか1月下旬までは持ちこたえたものの、数学Bの単位を落としてしまった。これにより留年が決まった。

しかしそれ以外の科目は大丈夫だった。大丈夫ということは、評定の数字が2以上だということだ。


留年が決まると、次の進路を探さなければならない。原級留置したままもう一度2年生をやり直すか、単位制の高校に転校するかだった。前者を選んだ場合、卒業までにもう1年かかることになるが、愛着がある今の高校にいられる。後者を選んだ場合、単位さえとれば卒業ができる。しかも私が落とした単位は数学Bだけだったため、単位制高校に進学すれば、それ以外の単位は互換性があるため有効になる。


卒業が送れるということは、前に述べた志望校に入学することが1年遅れるということだった。それだけは嫌だったので、私は3番目の高校に進学することになる。偏差値は45程度で、単位制の高校だ。

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