第10話 自転車とコンビニ
ここで話を高校1年生のときに戻そう。高校2年生と比べてみれば比較的安定していたが、ひとつ言いそびれたことがある。
私が12月のある日、ちょうど16歳になる日に、私は自殺を図っていたということだ。
どの自殺未遂にもいえることだが、決して衝動的に行っているものではない。前々から死にたいという思いはあった。その背中を押した出来事があったのだ。それによって私は死のうと思うその思いを行動に移すことになる。
震災後、親は私に「そんなことは早く忘れなさい。君は些細なことに囚われて前に進めていない。こだわりが強く、どうでもいいことをなぜそこまで気にするのか」と何度も言った。忘れられるならとっくに忘れているだろうし、私にとってそれが「些細なこと」でないがゆえに私は苦しんでいるのに、それを全く認めようとしなかった。
震災前は親子関係は良好だった。むしろ周囲からも仲が良い親子だと思われていたし、それは事実だった。親は私を愛していたし、私も親を愛していた。
だが、その相互的な愛情は震災を機に変わってしまった。
私は震災後にいろいろな本を読んだ。震災前からも本は好きで、小学校の休み時間の8割は図書室で過ごしていたくらいだ。震災後に読んだ本はもっぱら「災害とトラウマ」に関する本だった。松井豊先生の「惨事ストレスへのケア」、飛鳥井望先生の「『心の傷』のケアと治療ガイド」などを筆頭に、数百冊にも及ぶ本を読み漁った。本だけではなく、論文もよく読んでいた。日本語のものだけではなく、英語でも興味があるものがあれば読んでいた。
それは私のためではなく、あの震災を被災した人のことが気がかりだったからだ。だから、私は災害後の精神疾患に対して、ある程度の知識はあった。
だから、私にいま起きている出来事は「病気の症状」であり―その病気がなんであるかを診断するのは医者であり私ではないので、○○病であるという断定はしていない―それは私が弱いからとか、そういうことではないことを理解していた。イギリスのSick not Weak(病気は弱さじゃない)というサイトを見ていたことで、その思いは強まった。その団体は精神疾患において、「その症状は病気に起因するものであり、あなたの弱さからではない」というような趣旨のことを発信している。その言葉に何度私が励まされたかわからない。
それなのに親はそれを認めようともせず、私に全責任があるように言ってきた。レジリエンス(困難をバネにする精神的な強さ)が弱いからだとも言っていた。レジリエンスが弱いのはそのとおりなので反論はできなかったが、心のどこかでは「これは私のせいじゃないのに!」と思っていた。
そうして私は自殺をしようと思った。家から自転車で1時間くらいのところに、大きな橋があり、その下は川だ。ゴールデンゲートブリッジは自殺の名所として知られる。そんな感じで橋の一番上から飛び込んで死のうと思っていた。仮に高さが足りなくて死ねなかったとしても、季節は冬だ。救助する前になんとか溺死できないものかと思っていた。別にその方法を選んだのに理由などなかった。たまたまそれが一番に思い付いたからだ。
私は図書館で勉強してくるといって家を出て、ひたすら自転車を走らせた。
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