第9話 眠剤と保健室

ほとんど学校に行けないまま、10月1日になった。精神科に行く日だ。私が書いた便箋を封筒に入れて持って行った。先生は本当にいい人だった。2回読んで、「本当につらかったですね…」と言ってくれた。涙が出そうになった。

その便箋を先生が読み終えた後、うつ病のチェックシートが渡された。私はそれに正直に答え、いろいろな質問にチェックをつけていった。結果として、うつ病であると言われた。夜眠れないということで、それほど強くない眠剤も出してくれた。


処方されたのはクロチアゼパム(抗不安剤)とベルソムラ(眠剤)だった。幸いその薬はすごくよく効いた。


眠剤を服用するようになり、夜眠れるようになった。最初の日は翌朝まで残っていたが、それは最初の日だけだった。夜眠れるようになると、死にたい気持ちは少しずつだが収まっていった。そして少しずつだが、学校に行けるようになった。もちろん一日中は無理なので、今日は午前だけ、明日は午後だけでも行ってみようと思えるようになった。行こうと思っても行けない日もあったが、それでも週2回くらいは学校に行けるようになった。嬉しかった。


一時間教室にいることが難しいので、保健室の常連になった。その学校は45分授業の3分の2、つまり30分、教室にいたら遅刻あるいは早退の扱いになる。遅刻あるいは早退が2回で、1回の欠席になる。こんなことに自然と詳しくなっていった。

どんなにしんどくても、まずは15分でも教室にいられるように頑張った。それは並大抵のことではなかった。15分いられたら、次は30分。大概このあたりでしんどくなるのだが、なんとか30分を持ちこたえられたときは心の中で拍手していた。さらに頑張れたら、45分を目指す。1日に1度くらいしか45分いられることはなかったが、そのときには涙が出そうなほどうれしかった。1日に2コマフルで受けられた日には、祝杯をあげたいくらいだった。もちろん未成年なのでお酒は飲めないので、家に帰るときには駅ナカのコンビニで大好きなコーンポタージュを買うことを自分に許していた。コーンポタージュを飲むと今でも泣きたくなるのは、そういうことだ。


10月も半ばになったころには、「留年」という文字がちらつくようになっていた。

前の高校では「君は甘えている」とよく言われたものだが、この高校ではそんなことはなかった。むしろ先生たちもできる範囲で私をサポートしてくれていたし、たとえ数分しか教室にいることができなくても、教室に行こうとするその姿勢を好意的に見てくれた。しかし留年は留年だ。情状酌量が認められるわけがない。仮に認められたらそれこそ大変なことだ。

このペースで休み続けていると、12月の前半には留年が決まるという。留年の話をするときには、先生は申し訳なさそうだった。少しずつでも復帰できそうにあった私にとっては衝撃的だった。前の高校ではたとえ底辺でも出席だけはできていた。その出席でさえ、いまは厳しいのだ。


先生は、たとえ内容が頭に入らなくても、指名されたときにうまく答えられなくてもいいから、それでも私が教室にいてくれたらいいとまで言ってくれた。前の高校だったらみんなの前で叱られていたものだった。

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