第8話 電車と坂と精神科
高校2年生の9月。このほかの症状に、希死念慮があった。希死念慮とは「死にたい」と思うことを指す。夜眠れず、学校にも行けず、引きこもりのような生活を送っていた。食欲もなく、ごはんは昼と夜だけ。昼は野菜ジュースとヨーグルト程度だった。廃人のようだった。人間であることをあきらめた人のようだった。死にたくて死にたくて仕方なかった。
特に夜は大変だった。昼間は音楽を聴いたり、ほとんど内容はわからないものの本を読んだりしてなんとか正気を保っていたものの、夜になるとその不安はより強くなった。毎晩あの地震の光景が脳裏にはっきりと浮かぶ。
「この天井が落ちてきて、私が生き埋めになったら…」と考える。その思考は絶対に消えない。考えたくなくても考えてしまう。考えるだけで動悸がする。目眩がする。気が変になる。死にたくなる。どうしようもなかった。
流石に親が見かねて、10月1日に精神科の予約をとってくれた。私は第1話で述べた通り発達障害で児童精神科には通っていたのだが、そこは主に小中学生のための場所だった。中学2年生になると特に発達障害の症状もなかったため、通院をやめた。ただ、児童精神科に行っていたため、精神科に行くことに抵抗はなかった。
震える手と混乱する頭で、なんとかここまでの経緯をまとめて便箋に書いた。5枚くらいだったと思う。家族や先生の偏見を恐れ、地震のことは一言も書かなかった。この拷問のような症状のほかに、周りから見捨てられたら、私はもう命を絶つしかできなくなる。このころには毎日のように自殺の方法を考えていた。もし先生がやぶ医者だったり、まともに話を聞いてくれなかったりしたら、近くにある高層ビルから飛び降りよう。そうしたら私はやっとこの苦痛から解放される。楽になれる。そう思っていた。
家から学校までは、普通電車で3駅だった。やがてその電車にも乗れなくなった。なぜなら、電車は揺れるからだ。また、電車は密閉された空間だ。私は電車が脱線することを恐れているのではなかった。電車にいることで、私はまるで生き埋めになっているかのように思っていたのだ。怖くて仕方なかった。ホームに立っているだけでも、反対車線に電車が来るとホームは激しく揺れる。そのたびに動悸と目眩がする。嫌な記憶が蘇る。あの映像が再生される。あの映像が再生されたら、私は身動きがとれなくなる。その場に固まる。そう、まるで震災のニュースを見ていたあのときのように。
仮に電車に乗ることができ学校に着いたとしても、学校へ向かう道には勾配の激しい坂がある。その坂は「○○坂」(※○○は学校の名前)と呼ばれるほど険しいもので、普通の人でも立ち止まらないと上り切れないものだ。やがてその坂を上ることすらできなくなった。
学校に戻れるなら戻りたかったが、もう授業はかなり先まで進んでいるだろう。だが、授業なんかよりもずっと前の段階に、私はいるのだ。学校に行くことすらできずにいた。
季節は10月になろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。