第4話 遠のいていく道

高校1年の夏季休暇が明けたころから、だんだん課題を提出することができなくなっっていった。集中できないほか、学校に行くだけで疲れ切ってしまうからだ。朝起きられないのは相変わらずのことだったが、階段については、すごく早く家を出ることで遅刻はせずに済んでいた。課題というのは、当たり前だが、やらなければやらないほど溜まっていくものだ。1週間遅れの課題が2週間遅れになり、1か月遅れになり、やがて全く提出できなくなっていった。

得意だった英語は勉強をしなくても成績は落ちなかったが、その他の科目は、通知表で1こそもらわないものの、散々だった。とくに数学と物理では、赤点になることもしょっちゅうあった。赤点になると追試がある。中学時代には想像すらできないような世界だった。不本意のことだからこそ、追試は屈辱的だった。

さらに、授業にもついていけなくなった。その高校は、授業は予習ありきで進んでいくスタイルをとっていた。予習してあることを大前提に、先生は課題の答え合わせなどをしていく。私は答えることができなかったので、先生には嫌われていた。


まるで駅伝の最後尾を見失わないように走る選手のようだった。予選である中学時代には周囲からも期待され、トップに追い付け追い越せで走っていたのに、退会本番になると平均的な位置からのスタート。やがて集団に追い抜かれ、気づいたら最後尾にいた。

その最後尾の中で、別の友達ができた。彼女は成績は良くなかったが、努力家だった。そんな彼女と「今回も追試だね!」と笑いながら、それでもお互いのベストを尽くしていた。


そんな日々が続き、その高校には留年という制度がないに等しかったので、こんな私でも2年生に進級できそうだった。ただ、先生は今後の負担を考え、偏差値を5落とした学校に転入することを勧めた。親もそれに同意していた。選択肢はなかった。私は、1年次を最低の成績でもいいから修了することが目標になっていた。


私の体調は悪かったが、特につらかったのは、慢性的な疲労感と、朝起きられないことだった。それでもなんとか毎日学校に通っていた。それは私に残された、「○○高校生としてのプライド」だった。


1月2月は全く課題も出さず、授業も聞いてはいたものの参加はしていないような状態だった。とにかく「席に座っている」ことが目標になっていた。家に帰ると疲れ果て寝込む。勉強などする時間と心の余裕はなかった。それでも本当にぎりぎりの成績で、1年次を修了することができた。

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