第27話 忌まわしき過去

 手錠で拘束されているティナは抗う事も出来ずにヴァイスに抱き寄せられる。


「ヴァイス、よせ! 娘を離せ!」


「わざわざおびき寄せた獲物を離す馬鹿はおるまい。娘が大事なら『ABCS抗体』の在り処を教えろ!」


「予備などない! 何度も言っているように、あれはほぼ偶然の産物と言っていい物なんだ。再度作る事も出来ない」


「とぼけるな! お前も科学者の端くれなら、その『偶然の産物』に対して興味を抱いて再現を試みたはずだ。あくまでしらばっくれる気か? 今まではお前を殺せば蜘蛛共が暴走するというので大人しくしていたが今は違う。俺達はお前の『泣き所』を手に入れたんだからな!」


「ぐぬ……!」


 ヴァイスの合図で部下のゲリラがティナにライフルを突きつける。それを見たコンラッドが呻く。


「早く本当の事を言ったほうが娘の為だぞ?」


 ヴァイスがそんなコンラッドを余裕の体で嗤いつつ、ティナを自身の膝の上に抱き上げてその身体をまさぐる。胸や剥き出しの太ももに無遠慮な男の手が這う感触に、ティナは全身総毛立った。


 後ろ手に手錠を掛けられている両手を拳に握りしめ、目をギュッと瞑って必死に汚辱に耐える。



 ――ガシャンッ!



 その時、一際大きな金属音が鳴り響いた。見るとイサークが鉄格子を殴りつけた音のようだ。


「ヴァイス……その薄汚い手を今すぐに離せ! さもないと貴様を縊り殺してやるぞ!」


 その目も、表情も怒りに震えるイサークが吠える。もし鉄格子が無ければ一直線にヴァイスに飛び掛かっていたであろう様子だ。だがヴァイスは余裕の体でイサークの必死さを嘲笑う。


「何だ、イサーク。随分この女に入れあげてるようだな? 流石に十年もあればダニエラ・・・・の事は吹っ切れたか」


「……っ! 貴様……!!」


 ダニエラという名前を聞いたイサークは、一瞬大きく目を見開いて割れんばかりに歯軋りする。一方唐突にイサーク絡みで別の女性の名前を聞いたティナもまた目を見開いた。


「ダ、ダニエラ……?」



「何だ、イサークから何も聞いていないのか? まあ、それも当然か。かつて自分の手で恋人を殺した事など話す訳がない」



「……っ!?」

 ティナは驚愕してヴァイスとイサークを交互に見やるが、イサークは悲痛な表情で顔をしかめつつも否定する事はなかった。その事実に更に衝撃を受けるティナ。


「くくく、その男は当時同じデルタフォースの隊員であり恋人でもあったダニエラという女を、自分の手で殺したんだよ。そして俺は軍法会議でそれを証言して、イサークは晴れて有罪。だが『正当防衛』が認められて除隊だけで済んだ奴は、アメリカから離れて中南米に移り住んだという訳さ」


「…………」


 イサークは詳しく語らなかったが(当然語れる訳がない)、彼がアメリカを出たのにはそんな背景があったのか。ティナは言葉もなかった。


 彼にかつてダニエラという名の恋人がいた事。そして何らかの事情でその恋人を殺したらしい事。その事実を知ってしまったティナの動揺は大きかった。



「……上層部と一緒に俺を嵌めるのに加担したお前こそ、なんで軍を辞めてこんな所でゲリラのリーダーなぞやっている? 俺が三年前にコンラッドを送り届けた時に貴様は居なかったはずだ」


 イサークは敢えてティナとは目を合わせずに、ヴァイスを睨みつけながら問い質す。ヴァイスではなくコンラッドがその質問に答える。


「……彼がやってきたのは今から二年ほど前の事だ。そして彼は……彼は軍を辞めてなどいない。ここでゲリラのリーダーをやっているのは……『任務』なんだ」


「な……に、任務?」


 ティナだけでなくベルナルドら兵士達も目を剥いていた。だがイサークだけは得心したように唸っている。


「そうか……シークレットオペレーション"カオス"……。対象国家の政情を意図的に乱して安定させない為の特殊任務か。噂だけは聞いていたが本当にあったとは」


「そういう事だ。お前もデルタフォースを除隊していなければミッションの辞令が出ていた可能性はあったんだぞ? だが勘違いするなよ。コンラッドの件はステイツとは関係ない。俺はただの使い走りの兵士で終わる気はない。『ABCS抗体』を使ってこの地に俺の王国を築いてやる。歴史に俺の名を刻んでやるんだ。それが出来ればもう軍など知った事か」


「……!」


 ヴァイスが元々この地に赴いたのは『任務』だったのだろうが、そこで彼はコンラッドの研究内容を知って野心を抱いたのかもしれない。



「さあ、余計なお喋りはここまでだ。コンラッド、もう猶予はないぞ? 『ABCS抗体』の在り処を教えろ。娘が大事ならな」


 ヴァイスが自ら拳銃を抜き放ってティナに銃口を突きつける。最後通牒という意思表示か。コンラッドもそれを悟って諦めたように大きく嘆息した。


「……『マザー』のいる洞窟の奥に、複製に成功したサンプルのいくつかを保存してある。それが全てだ。他にはない」


「ふ……ははは! やはり隠し持っていたんだな! 最初から素直に言っていれば娘を巻き込む事も無かっただろうにな!」


「ぬぅ……!」


 哄笑するヴァイスにコンラッドが低い声で唸る。ヴァイスはティナに銃を突きつけたまま椅子から立ち上がった。



「よし、今まで散々待たされたんだ。これから早速『マザー』の洞窟へ行こうじゃないか。いよいよ『力』が手に入るぞ!」


 ヴァイスは嗤いながら部下のゲリラに牢屋を見張っておくよう指示すると、当然のようにティナを引っ立てていく。娘を人質に取られているコンラッドは渋々といった様子で従い建物から出ていく。ヴァイスが牢屋にいるイサークやベルナルド達を振り返る。


「お前らは俺が『ABCS抗体』を接種して『マザー』を意に従わせられると確信が出来たら、真っ先に『マザー』の餌にしてやる。『マザー』が兵隊を産む為には新鮮なタンパク質が大量に必要なのでな」


「……!」


 それだけ告げると後は振り返らずに建物を出ていくヴァイス。ティナは彼に引っ立てられて建物から連れ出される直前、牢屋を振り返ってイサークと目が合った。


 イサークもまた鉄格子をひん曲げんばかりに握りしめながら彼女の方を見つめていた。だが彼と目が合ったティナは、先程のヴァイスの話を思い出してしまう。イサークが恋人を殺したのだという話を。


「……っ」

 何故かそれ以上イサークと目を合わせる事が出来ずに、顔を逸らしてしまうティナ。そしてそのままヴァイスに引っ立てられて連れ出されていった。


 イサークはその後ろ姿をまんじりともせずに見据え続けていた……

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