第26話 『ABCS』

 集落の奥にある一際大きな建物。恐らくリーダーのヴァイスの『屋敷』だと思われる。その建物の奥には鉄格子付きの牢屋のようなスペースがあり(ヴァイス曰く規律を乱した者や脱走しようとしたものを捕らえておく為らしい)、そこにイサークやライアン、そして生き残った兵士達が閉じ込められていた。勿論全員武装解除されている。


 そしてその牢屋の前、イサーク達からも見える位置に置いてある机にヴァイスとコンラッドが差し向かいで腰掛けていた。


 ティナだけは立ったままで、後ろ手に金属の手錠を掛けられてヴァイスの脇に控えさせられていた。その後ろには銃を持って彼女を監視している部下のゲリラがいて、いつでも彼女を殺せるという事実をコンラッドやイサーク達に知らしめていた。



「さあ、コンラッド。俺の言いたい事は解っているな? 娘の命が惜しかったら『ABCS抗体アンチ・ABCS』の在り処を教えろ。まだいざという時の為の予備を隠し持っている事は解っている」


 ヴァイスが口火を切る。コンラッドは苦い顔で唸り声をあげる。


「……抗体を手に入れてどうする気だ?」


「聞くまでもなかろう? 俺自身が抗体を摂取する。そしてあの蜘蛛共を残らず俺の支配下に置くのだ。勿論『マザー』も含めてな。いくらでも繁殖可能な最強の兵力だぞ? こんなジャングルの奥地で遊ばせておくなど馬鹿げてる」


「お前こそ馬鹿げてる! これは1人の人間が持つには過ぎた力だ! 際限なく繁殖させれば、ジャングルから溢れ出して国を覆い尽くす事だって不可能じゃない。この国の王にでもなる気か!?」


 糾弾する口調になるコンラッドに対してヴァイスがせせら笑う。


「こんな死にかけの国など眼中にない。俺は蜘蛛共を使って、このジャングルに新しい王国を築く。『ABCS抗体』さえあれば可能な事だ」


「馬鹿な……そこまで狂っていたか」


「俺を狂わせたとしたら、それはお前だコンラッド。お前の『ABCS』が全ての元凶だよ」


「……!」

 コンラッドが顔を歪めた。激しい後悔の表情が浮かんでいた。ティナはもう我慢の限界だった。



「さ、さっきから一体何の話をしているの? パパ! 『ABCS』って何の事!? あの化け蜘蛛達は本当にパパが作ったの!?」


「ティ、ティナ、私は……」


 娘の視線と問い掛けを受けてコンラッドが動揺する。するとヴァイスが可笑しそうに肩を揺すった。


「娘に嫌われるのが怖くて説明できんか? なら俺が代わりに話してやろう。丁度いい。イサーク、お前達にも聞かせてやる。何故お前にこの女をここまで連れてこさせたかに興味があるだろう?」


「……っ!」

 牢屋に入っているイサークが無言で歯ぎしりする。勿論その横ではライアン達も聞いている。ヴァイスはそれらの反応に構わず楽しげに喋りだす。




「事の起こりは十年以上前に、コンラッドがメキシコでフィールドワーク中に偶然発見した……『未知の生物』。それが全ての始まりだった」


「未知の生物……?」


 ティナが目線を向けるとコンラッドは諦めたように頷いた。


「そうだ……。ユカタン半島のチクシュルーブ・クレーター内における独自の生態系を調査している最中だった。そこで私達の調査チームは、全く見たこともないような奇怪な生物の死骸と、何らかの……『乗り物』と思しき構造物の残骸を発見したのだ」


「の、乗り物、ですって……?」


 父が何を言っているのか分からずティナは困惑する。



「……更にその生物は、明らかに『衣類』と思われる物を身に着けていた。私達は……討議の末、暫定的にだがその生物を『地球外生命体』、つまりはエイリアンと仮定した」



「…………は?」


 唐突に話が飛躍して、ティナは父の正気を疑った。だがコンラッドは至って真剣な表情のままだった。彼女の反応を面白がるようにヴァイスが再び説明を引き継ぐ。


「コンラッドが言っている事は本当だ。そしてその生物から採集した血液は、地球上の生物に反応すると凄まじい細胞増殖作用を引き起こす事を発見したのさ」


「細胞増殖作用……!」


 ティナはあの化け蜘蛛達の巨体を思い起こした。何となく嫌な想像が頭を駆け巡る。


「だがその調査チームには政府筋の人間も含まれていてな。あるいはアメリカ政府は最初からあのエイリアンの事を把握していて、その調査のつもりだったのかも知れんが……。いずれにせよ政府はコンラッド達民間の学者にこの件を一切口外しない事と、死骸を含めたエイリアンから採取したサンプルを全て政府が接収する事を約束させたのさ。そして……ここからが面白い所だ」


 ヴァイスの揶揄するような言葉に、コンラッドが顔を歪めて居心地悪そうに襟元を緩める。


「コンラッドはその時には既に、その血液サンプルが持つ可能性の虜になっていた。政府に全て接収されたらもうこのサンプルを研究できない。そこでコンラッドは政府に見つからないようにサンプルの一部を冷凍保存して隠しておいたのさ。そして五年以上の歳月を掛けて政府の目を逃れて、最終的にサンプルを回収してジャングルに逃げた。そう……イサーク、お前にガイドを依頼してな」


「……!!」

 イサークが眉を上げた。それが父がジャングルへと向かった背景だったのだ。



「その間に学会から追放されたりとか色々あったらしいな。だがこいつにはもうそんな事どうでも良くなっていたのさ。そして解凍したサンプルの研究を続け、遂に『ABCS』……エイリアン・ブラッド・セル・ソリューションを作り出す事に成功したのだ。そこまでは良かったんだが、コンラッドは少し成果を急ぎすぎた」



 ヴァイスが睨みつけるような眼差しで見据えると、父はバツが悪そうな表情で目を逸らした。


「ま、俺たちも伊達や酔狂でコンラッドの研究に協力していた訳じゃない。二年以上も経って、もうそろそろ何らかの成果が欲しい所だと彼に催促していた部分もあったんでな。『不幸な偶然』が色々重なった結果、あの化け物……『マザー』が誕生してしまったんだ」


「マザー……」


 名前からしても恐らくあの化け蜘蛛達の大元の母体となった個体だ。そういう存在がいる事はティナも予測していた。恐らくそれが、父が『ABCS』とやらを直接投与した個体なのだろう。



「でも……実験に失敗したなら、何故あの化け物達はパパに従っているの?」


 人の意のままに動く化け物の群れ……。どのような原理でかは不明だが、ある意味で生物兵器としては『完成』していると言ってもいいのではないだろうか。ヴァイスが同意するように頷いて手を叩いた。


「まさにそこが本題で、お前をここまでおびき寄せた理由でもある。コンラッドはサンプルの研究を進める中で、俺達にも隠して特殊な抗体を開発していたんだよ。大方危険なサンプルを扱うに当たって自身の安全策の為に作ったのだろうが。まあそれが『ABCS抗体』という訳だが……」


「……私自身このような効果は想定していなかった。『マザー』から身を守る為に咄嗟に抗体の事を思い出して、それを自分の身体に打ち込んだんだ。そうしたら……」


 コンラッドが頭を抱えるような姿勢でかぶりを振る。ヴァイスが忌々しそうに顔をしかめる。


「まさか抗体を打ち込んだ者の意に従うようになるとはな。正確には『マザー』がコンラッドに従っていて、子蜘蛛はマザーの意に従っているという状態のようだがな」


「……単に襲われないだけでなく、『マザー』を通じてその子供達も意に従わせられる。私がそれに気付く前に、暴走した蜘蛛達によって罪もない小集落の人々が犠牲になってしまった」


「……!」

 それがクレンゲル達が調査していた集団失踪事件の真相だったのだ。イサークと同じ牢で話を聞いていたベルナルドが低く唸る。



「だが蜘蛛共が制御できると解ったのは極めて朗報だった。ある意味でこれ以上無い優れた生体兵器だ。だと言うのにコンラッド……貴様は俺達に蜘蛛共の『指揮権』を渡さず、それどころか俺達を蜘蛛共に監視させたな? これは重大な契約違反だぞ」


「こんな物は想定していなかった! これは、一人の人間が持つには危険過ぎる力だ! ましてやお前のような野心を抱いた凶悪な犯罪者に渡せば大変な事になる」


「ふん! 今更善人ぶるな! お前らに監視されていて密かに手紙を出すのが精一杯だったが、あの手紙と写真は想定以上に役立ってくれたよ」


「……っ!」


 ヴァイスが嗤いながら、傍らに立つティナを抱き寄せる。父への慕情に付け込まれてまんまと罠に嵌ってしまったティナは、悔しさと悲しさに涙が零れそうになり歯噛みして堪えた。

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