第20話 プリンセス・ティナ

 ティナ達はジープに戻り、クレンゲル達が乗るガントラックに合流してそのままビウディタを目指して南下していく。分隊は兵士達の多くが搭乗し、また物資も搭載しているガントラック一台に、それを先導して先頭を走る軍用車両一台という構成だ。先導用の軍用車両は『ハンヴィー』という名称で呼ばれる銃座の付いたジープの発展型のような頑丈な車両で、ジャングルのような悪路を走行するのに適した、アメリカ軍では比較的ポピュラーな車両との事。


 ガントラックは勿論ハンヴィーにも銃座に機関銃が付いており、ブローニングM2という名称の重機関銃らしい。因みに兵士達が持っているライフルはM4カービンというアメリカ軍で一般的に採用されている小銃だ。コンパクトで取り回しが軽く、市街地やジャングルでの戦闘に適しているのだとか。



 そのような話をティナは、ベルナルドや他の兵士達から聞かされていた。



 日が沈み、彼等と合流してから最初のキャンプ。手際よく簡易テントなどが張られ、キャンプの中央には煮炊きをする為の簡易的な窯が設えられる。歩哨役として何名かの兵士が交代で見張りに立つ中で、残りの兵士達は全員で窯を囲って手早く食事を済ませていく。いや、『普段なら』手早く済ませる。


「あの……ミス・トラヴァーズ。良かったらこのハムをどうぞ」

「うちの基地のコーヒーは即席とは思えない味なんですよ。是非飲んでみて下さい」

「カンザス州立大学か。生物学ってどういう事を教えてるんだ?」

「お父さんを無事に救出できるといいな。勿論俺は喜んで協力するよ」

「従兄妹がカンザスにいるんです。俺も何度も行きましたよ。いい所ですよね」

「あの……お好きな食べ物とかありますか?」


 しかしこの夜は、兵士達は一向に食事の場から立とうとしなかった。その原因は明らかだ。窯を囲んで集まる兵士達の真ん中にティナが座らされていた。兵士達は彼女を取り囲むようにして、少しでも彼女と会話しようとグイグイ身を乗り出して詰め寄ってくる。


 余りに近づきすぎる者には、彼女の隣にボディガードのように控えるイサークが割り込んで押し留める。しかし兵士達は懲りずに再びティナに近寄ろうとする。先程からこの繰り返しであった。



 奥手らしいケヴィンはこの輪の中に入ってこれないようで、外から眩しそうな表情でティナを見つめていた。アシュビーは大学に在学経験があり生物学も取っていたらしく、ライアンと意気投合しているようだった。ライアンも軍や特技兵の仕事に興味を持って、彼に色々と質問していた。


 分隊長のクレンゲルも部下達が余程目に余る行動を取らない限りは黙認する方向のようで、それに勇気づけられた兵士達は増々ティナに群がる。それを押し留めるイサークはまるで芸能人のSPにでもなったかのような気分であった。


 肝心のティナはと言うと、いざとなればイサークやクレンゲルがいるからと安心しているらしく、能天気にヘラヘラと笑いながら兵士達の話し相手をしている。周りは男達ばかりで、皆が下にも置かない扱いでチヤホヤしてくれるので満更でもない様子で、呑気に気分を良くしているようだった。


(全く……人の気も知らんで呑気なモンだな!)


 イサークは内心で毒づいた。彼が睨みを効かせているからこの程度で済んでいるものの、もし彼がいなかったら兵士達はもっと大胆にティナに密着して身体を触ったりしていただろう。そして一旦そうなれば、兵士達はもっと大胆になり『より本能的な状況』に容易く移行する事だろう。


 今もクレンゲルがどの程度で制止するのかの判断基準も解っていない状態なのだ。いや、こんな人里離れたジャングルの奥深くで、イサークのような庇護者もいない状態だったら、クレンゲルとてどうなっていたか解らない。何せ治外法権といって良い場所や状況なのだから。


 実は非常に危うい綱渡りのような現状なのだが、内心気が気でないイサークとは対照的に、男の生理や怖さを理解していないティナは至って呑気な物であった。



「へへへ、しかしあんたいい女だな。こんなジャングルの只中で、あんたみたいな女とお近づきになれるとは思わなかったぜ」


 その時イサークが最も警戒している男、ベルナルド伍長がズイッと距離を詰めてくる。イサークが反射的に牽制するような位置取りをすると、ベルナルドは彼を嘲笑うように鼻を鳴らした。


「……なあ。あんた、今までに付き合ってた男はいるのかい? どんな男がタイプなんだ?」


「……!」


 ベルナルドのニヤついた質問に、なんとはなしにイサークは緊張した。ティナがなんと答えるのか気になったのだ。他の兵士達やライアンも一様に注目する。 


「そうね……大学時代に付き合ってた男はいたわよ。でも頭は良かったけど余り頼りになる感じじゃなくて、結局二年くらいで別れたわ。だから私のタイプは……逞しくて頼りになりそうな強い男って所かしら」


「……っ」


 ティナは好みのタイプの話をした時に、何となく隣のイサークに視線を向けながら喋ったような気がした。いや、気のせいではない。確実に彼の方を見ながら言った。イサークの心臓が柄にもなく高鳴った。だが彼はそれを表に出す事なく無表情を装った。


 するとティナが一転して不機嫌というか、不満そうな表情になるのが解った。意識的なのか無意識なのか分からないが彼女が送ってくる秋波に、イサークは先程とは別の意味で、人の気も知らずに……と、毒づきたくなった。



「へぇ……頼りがいのある男がいいって訳か。解ってるねぇ。最近の女はナヨっとしたそれこそ女男みたいな奴を持て囃しやがるからな。その点俺は頼りになる事請け合いだぜ? 俺と付き合えよ。色んな意味で満足させてやるぜ?」


 ベルナルドが半分冗談で半分本気のような口調でティナに言い寄る。彼女は少し驚いたように目を丸くする。


「あら、随分ストレートに来るのね?」 


「俺はどっかのムッツリスケベと違って自分の気持ちに正直なんでね。あんたに一目惚れしたのさ」


 明らかにイサークの事を揶揄する物言いに彼の眉はピクッと吊り上がるが、口に出すのはすんでの所で堪えた。ティナは一目惚れしたと言われ悪い気はしていないようだが、しかしきっぱりと首を横に振った。


「駄目よ。南方軍の兵士と付き合うなんて出来ないわよ。私、遠距離恋愛とか無理だし」


 彼等がアメリカへ帰れる事は滅多にないはずだ。お互いの生活スタイルやライフサイクルが違いすぎて、まともな交際など不可能だろう。だが言われたベルナルドはニヤついたまま肩を竦める。

 

「ま、確かにそうかもな。だがそれは横のタフガイも同じ事だぜ?」

「……!」


 その指摘にイサークよりも、むしろティナが若干息を呑んだ。



「俺には解る。そいつは俺達の同類……いや、もっと色々とヤバい事に首突っ込んでる奴だ。そんな奴があんたと仲良くアメリカに帰って平和に暮らせるか? 断言しても良い。無理だね。そいつこそあんたとは住む世界が違うのさ」



「…………」

 イサークは無言を貫いて反論しなかった。何故ならまさにベルナルドが言った通りだからだ。それこそが彼が今までティナの気持ちを理解しながら、わざと気のない態度を取って一定以上距離を縮めようとしなかった理由だからだ。


 そんな彼を見やるティナが目を見開いた。何かに思い至った様子であった。イサークは内心で舌打ちした。ベルナルドが余計な事を言ったせいだ。だが当の彼はイサーク達が決して結ばれる事がないと確信しており、意地の悪い笑みを浮かべている。


「まあ、そんな訳だ。あんたも難しい事考えずに、俺と一夜限りの後腐れない関係って奴を……」



「バンデラス! もう充分だ!」


 そのタイミングでそれまで黙っていた隊長のクレンゲルが怒鳴った。流石にティナに対して直接的な肉体関係を仄めかすような内容は看過できなかったという所か。彼が制止してくれて良かった。でなければイサークはベルナルドを殴り付けて確実に乱闘に発展していた事だろう。或いはクレンゲルはそれを見越して制止したのかも知れない。


「さあ、食事はとっくに終わってる。いつまでも馬鹿面晒してないで、とっとと就寝に入れ! 最初の哨戒はリックとブロンだ! 次はヤンセンとウリベ! 二時間ごとの交代だ!」


 クレンゲルが立ち上がって指示を出す。流石に隊長に命令されてはベルナルドも他の兵士達も従わざるを得ない。渋々ではあるが窯の後始末をして休息の準備に入る為に散っていく。




「イ、イサーク。私、その……」


「いい。何も言うな。あんたと俺はあくまで傭兵と雇い主だ。それ以上でもそれ以下でもない」


「…………」


 イサークの拒絶の態度に、しかしティナはこれまでのように不機嫌になる事がなかった。彼の態度の『理由』を知ってしまったから。イサークはそれを悟って内心で嘆息した。もし大胆になったティナがこれまで以上に秋波を送ってくるようになったら……正直耐え切れるか解らない。



「さあ、もう夜も遅い。あんたはあっちのテントで寝るんだ。俺達はいつものようにジープで……」


「駄目。あなたも一緒にテントで寝て頂戴」


「……っ! 何を言い出す!?」


 イサークが目を剥くと、ティナは少し悪戯っぽい表情で笑った。


「だってテントに私一人じゃ、いつ彼等が夜這いを掛けてくるか分からないでしょ? 特にあのベルナルド伍長はそういう事してきてもおかしくなさそうだし」


「……!!」

 確かにその可能性が全くの皆無とは言い切れないのが怖い所だ。勿論イサークが一緒のテントに入ればその危険は防げるが、あの狭いテントに同衾するというのはツインベッドのモーテルで同室になるのとは訳が違う。彼の『理性』が耐えきれなくなる可能性がある。それは絶対にあってはならない事態だ。例え当のティナが『それ』を望んでいたとしても。


「……同衾はしない。代わりにテントの入口にジープを停めて、そこで坊主と二人で寝る事にする。それで充分夜這いの牽制にはなるはずだ」


 それに正直今の状況で彼女と同衾などしたら、兵士達のやっかみが酷い事になりそうだ。これから共同で作戦に当たらなければならない身としては、不和の原因は極力作りたくない。それを説明するとティナはとりあえずは納得してくれた。



「……解ったわ。でも……無事に父を救出してこの事件を解決できたら、その時ちゃんと話をしましょう。勝手に身を引いて、報酬だけもらって逃げるなんて男らしくない行為は許さないわよ?」


「……はぁ、解ったよ。俺もその時はあんたに話したい事があるんで丁度いいさ。さあ、話が纏まった所で、明日に備えてさっさと寝るんだ」


 いずれにせよそこで彼女にはきっちり納得させないといけない。そう決意したイサークはティナをテントに向かって追い立てる。


「はいはい、急かさなくても行くわよ。……おやすみなさい」

「ああ……お休み」


 就寝の挨拶をしてテントに入っていくティナ。それを見届けるイサークの眼差しは、自分でも無意識の内に暖かく穏やかな物となっていた。





「…………」


 ティナに気を取られ、兵士達やベルナルドにばかり注意を払っていたイサークは気づかなかった。先程の彼とティナの距離が縮まったやり取りを、離れた所からライアンが思い詰めたような昏い眼差しで見据えていた事に。

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