第17話 蜘蛛ではない何か
「イサーク、そのマチェットで私が指示する部分を切り開いて欲しいの」
彼女は化け蜘蛛の死体を指差しながら信じられない事を言った。イサークは彼女の正気を疑った。
「おいおい……この化け物を解剖でもしようってのか!? 何の為に!?」
「……こいつは間違いなく父の研究に関係があるわ。あの研究室の惨状といい、研究成果をゲリラに軍事目的で提供するというのもこれを見れば頷けるわ」
「……!」
これがコンラッドの研究成果によって生み出された物だと言うのか。だが確かにそう考えると辻褄は合う。というか他にこんな常識外れの化け物が存在する理由を説明できない。
「あなたがやらないなら自分でやるわ。そのマチェットを貸して」
「ああ、待て待て! 誰もやらんとは言ってないだろ! あんたはクライアントだからな。指示には従うさ。 ……ったく! 正気の沙汰とは思えんがね!」
ぶつくさ言いながらもマチェットを取り出して化け蜘蛛に当てるイサーク。どうやらティナは父親が研究していた物の手がかりを知るチャンスに逸って、普段以上に大胆になっている様子だ。
「まず歩脚の構造から見てみましょう」
ティナの指示で化け蜘蛛の脚に刃を突き立てて切り開く。妙な色の粘液のような物が零れ出る。内部の組織がむき出しになる。イサークには気色悪い光景でしかなかったが、ティナとライアンにとっては違ったようだ。
「先生、これは……内骨格!?」
「ええ……いえ、違うわね。これは、多分……」
ティナはそう言って、その辺に落ちていた木の棒を使ってその内部組織を突つく。
「やっぱり……これは、一種の靭帯だわ。靭帯が変形変質して、内骨格の代わりを果たしているみたい。それにこの周囲の組織は……まるで脊椎動物の筋繊維のようだわ」
「じ、靭帯に筋繊維ですって!? そんな、あり得ない。それに仮にこれらが内骨格や筋肉の代わりになったとしても、あの運動量の説明が出来ません!」
「そう、ね……。書肺も見てみましょう。イサーク、こいつを裏返すのを手伝って」
ライアンの言葉に頷いたティナはイサークに目を向ける。ここまで来たら後は同じだ。イサークは無表情、無感情に徹して、指示通りに化け蜘蛛の身体を持ち上げてひっくり返した。元が節足動物とは思えない重量であった。
そしてティナの指示に従って、化け蜘蛛の腹部の上の方を切り開いた。やはり体液と共に気色悪い組織が露出したが、専門家の目には全く違った光景に見えるらしい。二人が驚きに目を瞠った。
「こ、これは……まるで」
「ええ……やはり脊椎動物、それも哺乳類の肺に近い形状だわ。変化した体組織に効率的に酸素を送れるようになっているはずだわ」
「……! それは、最早蜘蛛ではない別の何かですよ!」
「そうね。それでいて造網など蜘蛛としての性質も残している。節足動物と脊椎動物双方の特徴を兼ね備えた完全体といえる生物だわ」
「……っ!」
ライアンが息を呑んだ。イサークにも何となくこの化け物のヤバさは伝わった。それ以前に彼はこの化け物と死闘を演じたのだ。こいつは間違いなくどんな猛獣よりも危険な生物だ。
「父はどうやってこんな生物を作ったのかしら?」
「以前に聞いた『画期的なサンプル』とやらの成果でしょうか」
学者の性か、学術的な問題に思案する二人。だがイサークにはそれ以前の問題が気になった。
「おい、こいつの生態を調べるのも結構だがな。こいつをあんたの親父が作ったんだとして……あの研究室の有様はなんだ? あんたの親父はこいつを作ったはいいが、その制御に失敗したんじゃないのか?」
「きっとそうだわ。それがゲリラに囚われている理由なのかも……」
制御不能な危険な生物兵器を作り出してしまい、ゲリラに損害を与えたのかも知れない。それでゲリラを怒らせたという所か。
「だとするとこの化け物は他にもいる可能性があるぞ。こいつ一体だけで武装したゲリラに損害を与えられたかは怪しいからな。それにこいつにはゲリラと戦ったような痕跡はない」
確かに驚異的な生物ではあるが、それでも弱点さえ突けば拳銃で倒せた相手だ。ライフルなどの銃火器で武装したゲリラ相手に無双できる程ではない。それにこいつだけであの巨大な横穴を掘り開けられたとは思えない。ティナが頷いた。
「ええ、こいつは節足動物としての特性も兼ね備えている。もし徘徊性の蜘蛛の繁殖力をそのまま保持しているとしたら……」
「……い、いや、でも、交尾相手がいないなら繁殖の恐れは……」
ライアンが青ざめながらも反対意見を述べる。だがティナは楽観的な様子を見せずに頭を振った。
「節足動物なら雌雄で大きさが極端に違う種も珍しくない。もしこの化け物が野生の蜘蛛と交尾する能力を持っているとしたら……?」
「……っ!」
ライアンの顔が更に青くなる。イサークもこの化け物が何百匹も繁殖する様を想像して肝が冷えた。そんな事になったらジャングルの生態系は滅茶苦茶になるし、化け蜘蛛の攻撃性を考えたら人間にも甚大な被害を及ぼすだろう。
「何としてでも父を救出して、この化け物の被害を止めないと大変な事になるわ」
どうやら化け蜘蛛の事を知ってもティナに逃げるという選択肢はないようだ。それどころか増々コンラッドの救出に意欲を見せる。これは恐らくイサークが何を言っても聞かないだろう。一人でも行くとすら言い出しかねない。短い付き合いではあるが、それはイサークにも容易に推測できた。
(全く……本当に無鉄砲な女だぜ。無鉄砲だが……いい女だ。腹立たしいくらいにな)
彼女を一人で死地に赴かせる訳にも行かないだろう。イサークは内心で嘆息しつつも苦笑した。
「その意気は認めるがな。肝心のあんたの親父さんの居所についての手がかりが何もない状態だぜ? あの家を探していて何も手がかりは見つからなかったのか?」
イサークがそう聞くと、ティナは何かを思い出したようにハッとした様子になった。
「そう言えば……あの大きな横穴の壁面に『ビウディタ』っていう文字が書かれていたわ。文字の書かれていた場所といい文字の大きさといい、何も関係がないとは思えないわ」
「ビウディタだと?」
「ええ、何か心当たりはないかしら?」
「……ここからもっと南に下った地点に、一応住所上はビウディタという地名の場所があるが」
といってもジャングルの只中なのでほぼ形骸化している、あくまで地図上の住所に過ぎないのだが。
「決まりね。きっと父はそこにいるんだわ」
彼女の中には確信があるようだった。他に有力な手がかりがある訳でもないので、とりあえずの指針としては申し分なさそうだ。イサークは頷いた。
「いいだろう。じゃあ次の目的地はビウディタという事でいいな? ここからすぐに行ける距離じゃないから、今日の所は一旦ジープに戻って野営できる場所を探すぞ。ここはこの化け物の仲間がまだいるかも知れんと思うと、どうもゾッとしないしな」
この廃村には宿泊に使えそうな物資の類いも全く見当たらなかったし井戸も枯れ果てていたので、それなら自分達でキャンプした方がマシだ。物資は三人で一週間ほどは保つ量を買い備えてある。切り詰めればもっと保つだろう。まだ余裕はあった。
ティナ達にも勿論異存はなく、一行は日が暮れる前にジープに戻るべく、早々に廃村を引き払うのだった……
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