第16話 化け蜘蛛
屋外に出た彼は素早く周囲に視線を走らせた。とりあえず見える範囲にあの化け物はいない。だが油断はできない。あの化け物は彼の銃弾を受けたはずなのに死んでいないのだ。
(六フィート以上ある巨大クモだと!? ふざけんな! 出来損ないのホラー映画の世界かってんだよ!)
イサークは内心で毒づいた。あれは明らかに作り物ではなかった。暗さで大きさを錯覚したなどという事もあり得ない。あの地下室の横穴の大きさがそれを証明していた。当然だが彼も今まであんな化け物を見たことはなかった。
油断なく周囲を警戒するがあの化け物の姿は見当たらない。死にはしなかったが銃弾を受けて怯んではいたので、もしかしたらそのまま逃げたのかも知れない。
イサークは、ふぅぅぅ……と息を吐いた。安全が確認できたらティナを連れて、さっさとこんな危険な場所からはおさらばするべきだろう。
ティナ達のいる家の中に戻ろうと踵を返したイサークだが、ガササッ!! という音が聞こえて硬直した。そしてゆっくりと視線を上に向けて……自分が出てきた家の屋根を見上げた。
「……っ!」
建物の屋根にへばり付くようにして、あの化け蜘蛛がイサークを見下ろしていた。その不気味で巨大な黒いガラス玉のような目が確かに自分に向けられているのを感じた。
「ちぃぃっ!!」
イサークは舌打ちして飛び退りながら、ベレッタの銃口を化け蜘蛛に向ける。ほぼ同時に化け蜘蛛がギギィッ! と再びあの奇怪な叫び声を上げて屋根から跳躍した!
ベレッタが連続して火を吹く。イサークは化け蜘蛛の動きに合わせて正確に銃弾を当てる事に成功していた。しかし化け蜘蛛は僅かに身じろぎしながらも、お構いなしに飛び掛かってきた。
「うおおっ!?」
イサークは引き攣った悲鳴を上げながら横っ飛びにそれを躱した。そのまま地面を転がるようにして素早く体勢を立て直すが、化け蜘蛛もその沢山ある毛の生えた脚をワサワサと動かして素早く方向転換すると、再びイサークに巨大な牙を剥いてくる。
「くそっ!」
イサークは毒づきながらも連続で銃の引き金を引くが、やはり化け蜘蛛は致命傷を受けずに、それどころか増々怒り狂って襲いかかってくる。化け蜘蛛の動きはゾッとする程早く、逃げ切れないと判断したイサークは咄嗟に銃を捨てて露払い用のマチェットを抜き放つ。
化け蜘蛛の牙をマチェットで受け止める。その直後凄まじい力がマチェットに加わり強引に引き倒されそうになる。この化け物相手に押し倒されたりしたらお終いだ。イサークが渾身の力で踏ん張ると一時的な膠着状態となる。
(こいつ……なんて力だ! このままじゃマズいな……!)
押し倒される事は防げたが、化け蜘蛛の力は強く弾き返す事が出来ない。僅かでも力を緩めたら即押し倒されるので、飛び退って逃げる事ができない。化け蜘蛛の持久力がどの程度か解らないが少々分の悪い状況だ。イサークの額に冷や汗が滲む。その時……
「おい、化け物! こっちだ!」
叫び声と銃声が重なる。同時に化け蜘蛛が苦痛を感じているかのように身悶えして、鍔迫り合いから身を離した。イサークは銃声がした方に目を向けた。そして驚いたように目を瞠る。
建物の入口から銃を構えているのはライアンだ。先程の声と銃声は彼の仕業だ。声を聞いた瞬間に解っていたのでそれ自体に驚きはない。イサークが驚いたのはライアンの背中に隠れるようにしながらも、こちらに青白い顔を向けているティナがいた為だ。
ギギギィッ!! と化け蜘蛛が怒りの叫びを上げながらティナ達の方に向き直った。そしてその八本の脚をワサワサと動かして、今度は彼女達にターゲットを変更して襲いかかる。
「ち……! おい、何してる、馬鹿! 早く逃げろ!」
主にティナに向かって怒鳴るが、彼女はそれを遮るように逆に怒鳴り返してきた。
「腹部なら銃弾が通るわ! 腹部を狙ってっ!」
「……っ!」
考えるより先に身体が動いた。彼は自分が放って地面に落ちているベレッタに飛びつくと、片膝立ちの姿勢で銃を構えた。その銃口の向けられた先には、ティナ達に襲いかかる為にイサークに背後を向けている化け蜘蛛の姿。その大きく膨らんだ腹部が的を晒している。彼は躊躇う事なく銃の引き金を連続で絞った。
ギッ! ギギッ!! ギギィッ!!
化け物が苦悶の叫びを上げる毎にその腹部が破れて体液が零れ落ちる。イサークはマガジンの残弾を撃ち尽くす勢いでひたすら引き金を引き続ける。
銃弾が当たる度に激しく身悶えしていた化け蜘蛛が、やがて一声大きく叫んだかと思うと、まるで潰れるようにして地に沈んだ。
「…………」
撃ち方を止めたイサークはそれでも油断なく銃口を向けたまま倒れた化け蜘蛛に近付く。怪物が再び動き出す気配はなかった。念の為つま先で化け蜘蛛の脚を小突いてみたが反応はない。どうやら完全に死んだようだ。
「ふぅぅ……! 一体何だったんだ、コイツは!?」
銃を下ろして詰めていた息を吐き出したイサークは当然の疑問を口に出す。
「こっちが知りたいですよ。というかこんな生物が存在できるはずがないんだ。外骨格の節足動物がこんな大きさ、重さになったら自重だけで潰れてしまう。ましてやあんなに速く、力強く動く事なんて……」
ライアンも銃を下ろしながらかぶりを振っていた。
「だが現にこいつは生きて動いていた。俺は危うく殺されかけたんだぞ。この化け物は間違いなく本物だ」
「あんたに言われるまでもなく解ってる。だからこっちが知りたいくらいだと言ってるんだ」
イサークとライアンが非建設的なやり取りをしていると、後ろから近付いてきたティナが化け蜘蛛の死体の側に屈み込む。どうやら腰が抜けていたのは治ったらしい。そういえばさっきの指示も的確だった。一応『専門家』の面目躍如という所か。だが……
「おい、何やってんだ? 危ないから触らん方がいいぞ」
ティナは化け蜘蛛の脚に触って、びっしりと生えている毛を一本抜くとまじまじとそれを観察していた。一応ハンカチで手を包んで触っているが、イサークとしてはこんな得体の知れない化け物に自分から触ろうとするなどとんでもない事だ。
「この刺激毛……。それにこの形状。何となくそんな気はしていたけど、この化け物……ルブロンオオツチグモの特徴に似ている気がするわ」
「ルブロンオオツチグモ?」
イサークがオオム返しに聞き返すと、ティナではなくライアンが補足してきた。
「その名称よりゴライアスバードイーターと言った方が一般人には解りやすいか? 世界最大級のタランチュラだが、それにしたってどんなに大きくても全長一フィート程度だ。節足動物としては本来それで充分に最大級なんだ。先生……それを踏まえた上で、本気でこの化け物がルブロンオオツチグモだと仰るんですか?」
半信半疑の様子でライアンが問いかけるが、ティナには確信があるようだった。
「間違いないわ。父はこの家に住んでいた。あの地下室は父の研究室だったのよ。そこに大量に張られた蜘蛛の巣はこの化け物の作った物。そしてあの横穴も……」
彼女の中ではそれらは明確に繋がっているようだ。その思案する横顔が美しくてなんとはなしに見惚れていたイサークだが、彼女が急に彼の方に顔を向けて見つめてきたので、イサークは内心を知られたのかと思って一瞬動揺した。だが彼女がその可憐な唇から発したのは甘い言葉ではなく、それとは正反対の物だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます