第12話 ジャングルでの心得
翌日、一行はプエルト・アヤクチョを出立して、一路かつてイサークがコンラッドを送り届けたという場所に向けてジャングルへと潜っていった。一口にジャングルと言っても余程深部に入り込まなければ、舗装はされていないものの車が通行できるような道が存在していた。
ティナ達はイサークが運転するジープに乗って、土がむき出しの支道を南下していく。まずはプエルトアヤクチョの側も流れていたコロンビアとベネズエラの国境を兼ねた大河、オリノコ川に沿って南下を続ける。
道は意外に広く右手にオリノコ川、左手にジャングルの木々を見ながらの車上の旅となり、意外といっては失礼だが美しい景色も多く、ティナは観光気分で目を奪われていた。尤も舗装されていない道をジープで走るので、揺れが馬鹿にならずお世辞にも快適とは言えなかったが。
途中休憩に川のほとりでジープを停車させたが、この川にはオリノコワニという固有種の巨大ワニが生息しているらしく、イサークからは絶対に水辺に近づかないように念を押された。呑気に川の広さに感動して水を手で掬おうとしていたティナが慌てて飛び退ったのは余談である。
更に南下していくとオリノコ川とアタパポ川の二つの川に分岐するポイントに差し掛かり、三角州の部分にあるサン・フェルナンド・デ・アタパポという小さな村で一泊する事となった。
オリノコ川を渡って三角州と行き来する定期船に車ごと乗って村まで移動する。
人口が二千人いるかどうかというような小さな集落で、ホテルも一つしかなかった。ここでジープの給油と最低限の物資の補給を済ませておく。ここにも露店に近い装いでアレパを売っている店があったが、街で食べた物に比べるとかなり大味であった。
*****
「さて、明日はいよいよジャングルの奥地へ入り込む事になる。今までは川沿いに進んでたから開けてたが、内陸に入り込んだらそうもいかなくなる。車が通れるくらいの道がまだ残ってる事を祈ってろよ?」
半分モーテルのような小さなホテルの一室に集まった三人は、明日からの移動に備えて打ち合わせをする。
「他に何か注意しておくべき事はあるか?」
ライアンの質問にイサークは肩をすくめる。
「そうだな。まあかなり天気は変わりやすくて、急に土砂降りになる事がある。木が生い茂ってるから実際にはそこまで雨で行動を阻害される事はないが、厄介なのは雨によって危険な獣の足音や気配が事前に察知しにくくなるって所だな」
「獣ですって? た、例えば……?」
ティナが反応すると何故かイサークは少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「オリノコ川の流域なら一番注意するべきはオリノコワニだが、こいつは川から離れればまあ問題ない。内陸部に行けば一番危険なのはジャガーだな。木の陰や枝の上なんかに潜んでいて、獲物が何も気づかずに近付くと一気に飛び出して襲ってくる」
「……!」
「普段でも厄介だが、大雨の時なんかは俺でも奴等の気配を察知できん事がある。道が残ってるよう祈ってろってのはそういう意味も含めての事だ。道をジープで進んでる分には襲われる危険性は低いからな」
「…………」
それはつまり、もしジープで進めるような道がなく徒歩で進まざるを得なくなった場合は、常にジャガーに注意を払う必要が出てくるという事か。ティナは暗澹たる気持ちになる。しかしイサークは楽しげな表情で追い打ちを掛ける。
「後は映画なんかでも有名だが、南米を代表する大蛇……アナコンダだな。ジャガーより数は少ないがその分万が一遭遇した時はより厄介かも知れん」
「……っ!」
ティナが身体を震わせる。蜘蛛や昆虫は平気なティナだが、足のない生き物が非常に苦手で、蛇はその最たる例であった。当然アナコンダのような大蛇など以ての外である。
「奴等は大きな川だけじゃなく、小さな支流や水たまりなんかに潜んでいる事もある。喉が渇いたり水浴びしたいなんて理由で迂闊に近付いたら、バシャアアァァァンッ! てなモンだぜ?」
イサークは手で蛇の頭を模してティナに向かって噛み付くような動作を取る。ティナは小さく息を呑んで縮こまってしまう。
「おい、先生を脅かすんじゃない。面白がってるだろ、あんた?」
「ははは、悪い悪い! 反応が可愛かったんでついな。ただジャガーやアナコンダが危険だってのは紛れもない事実だからな? とりあえずジープから離れるような事態にならない事を祈っとけ」
「……!」
おどけたように笑うイサークは、そうしているとかなり若々しく見えた。また彼が何気なく言った『可愛かった』という言葉にピクッと反応してしまうティナ。そしてすぐにそんな自分を腹立たしく感じた。
「まあ後は昆虫なんかの節足動物の類いにも毒を持ってる奴等が多いが……その辺は俺よりあんたらの方が詳しいんじゃないか?」
「まあ……そうね」
確かに節足動物はティナの専門なので知識としては知っている。ただ彼女はどちらかと言うと研究肌でフィールドワークの経験が少ないので、実地でその知識を役立てられるかには不安があった。
「まあ野生動物としてはそんな所だが……何よりも危険なのは『人間』だって事を肝に命じておけ」
「……!」
イサークが真剣な表情と口調になる。
「ジャングルの奥地へ入る程、外からは分かりづらくなる。つまり、ゲリラ共の格好の隠れ場所になるって訳だ。そもそもが俺らはゲリラの居場所を探して進む事になるんだから、最も警戒すべきは武装ゲリラの連中だ。奴等はテリトリーに入り込んだ者は全て軍や警察の回し者だと見做して問答無用で撃ってくる場合が多い」
「……っ!」
そんな危険極まりない連中がジャングルとは言え、国内に多数潜伏しているのだ。ティナは改めてこの国の異常性を認識した。
「奴等は街のギャングや犯罪組織と結託して手に入れた軍の横流しの武器で武装してやがるケースが殆どだ。ライフルやサブマシンガンだけじゃなく、ナパームやグレネードなんかも持ってる危険極まりない武装集団だ。……それを踏まえた上で敢えて聞くが、本当に親父さんを助ける為に、この武装集団のテリトリーに踏み入る覚悟があんたにはあるのか?」
誤魔化しや虚勢を許さない鋭い視線でティナを射抜くイサーク。彼女もそれを受けて真剣な表情になる。
「……私が勝手に行く訳じゃない。父が私に助けを求めているの。なら……どんな危険地帯であろうと私に躊躇う理由は無いわ」
ティナとイサークの視線がぶつかり合う、やがてイサークの方が溜息を吐いて目を逸らした。
「……ふん、本気だって事は解った。なら俺は契約通りあんたらを護衛し案内するだけだ。俺からの話はそれだけだ」
「イサーク……ありがとう」
ティナは素直に礼を言った。彼女だけがいくら意気込んでも一人では何も出来ない。イサーク達が協力してくれればこそだ。
「先生、僕もいますよ? 必ず先生のお父上を救出してアメリカに帰りましょう」
「ええ、そうね。私の問題なのにこんな所にまで付き合ってくれて、あなたも本当にありがとう、ライアン。感謝しているわ」
「……っ。い、いえ、僕なんかで良ければいつでも……」
ライアンが恐縮して顔を赤らめてしまう。イサークが何故か若干面白くなさそうな表情で咳払いした。
「おほん! さて、それじゃ明日は早いし、ここらでお開きにしてとっととお休みしないか? 明日からはそもそもベッドで寝られる機会自体あるか解らんしな」
「イサーク? え、ええ、そうね。私も明日に備えてそろそろ眠りたい所ね」
実際に早く寝たいのは確かであったが、もしかしてライアンを頼りにしていると言った事でイサークが嫉妬したのだろうかと、そんな事が気になるティナであった。
因みにホテルの従業員がティナの部屋を覗こうとしてイサークに叩きのめされるという一幕があったのは余談である。
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