第10話 冒険の準備

 イサークと隣のベッドで落ち着いて眠れるか心配だったティナだが、自分でも意外な程ぐっすりと眠れた。色々あって疲れていたというのも勿論あるが、イサークが入り口側に寝ていてくれていたからというのも(ティナ自身は認めたくないものの)事実であった。 


 朝になるとライアンがやってきて、イサークと交代でシャワーを浴びていた。イサークが入浴中ライアンに、昨晩何もされなかったかとしつこいくらいに聞かれた。 


「……大丈夫よ、ライアン。彼、私はタイプじゃなくて全然興味ないらしいから」


 昨日のやり取りを思い出してティナは胸が痛んだが、それを表には出さないようにして平静を装って笑った。



 その後はモーテルを出て途中で簡単な軽食を食べつつ、ひたすら南下を続ける。イサークがかなり飛ばした事もあって、その日の午後にはベネズエラの南部、アマソナス州の州都であるプエルト・アヤクチョに到着していた。


「ジャングルに入ろうってんなら、ここがその前哨拠点みたいなモンだ。必要な物はここで調達していくぞ」


 イサークの指示に従って、旅に必要と思われる物資などを買い揃えていく。このプエルト・アヤクチョは州都だけあって人口十万人を超える街と言える規模のコミュニティであったが、これより南に下ればそこはもう深いジャングル。細い支道のような道の先に、村と言って差し支えない規模の集落が点在しているだけで、最低限の宿泊施設や診療所すら無かったりするらしい。


 それを聞いたティナはゴクッと生唾を飲み込み、慌ててライアンと共に物資や必需品の買い集めに奔走した。ジャングルに隣接した玄関口とも言える街の為か、そういったキャンプ用品や携帯グッズなどは比較的容易に集める事が出来た。応急用の医療品なども可能な限り買い揃えておく。


 問題は移動手段……つまり車であった。あの運転手から『拝借』した車はタクシーとして使っていた物なので、基本的に普通の乗用車であった。


「こいつで走れるのは精々舗装されている所までだ。道なき悪路を進む場合も考えると心もとないな」


 というイサークの意向に従って、この街で唯一営業しているレンタカーのディーラーに赴く。



「あの店はジャングルの走行に適した車が割と揃っててな。といっても俺が最後にジャングルに入ったのは二年くらい前の事だからなぁ。あの店主がまだやってりゃいいが」


 そう呟きながら車を走らせたイサークは、街の外れにある古びたカーショップに入る。『ゴメスのカーレンタル』と書かれた看板が掲げられていた。鉄条網で囲われた広めの敷地の中にはアメリカではとうに型番落ちしたような中古の車が何台も並べられていた。奥に事務所と思しきプレハブの建物があったが、誰も接客に出てくる気配が無い。


「ふん、あのじいさん、まだやってるみたいだな。しかし相変わらず真っ昼間から飲んだくれてやがるな?」


 イサークは自分の事を棚にあげながら車から降りる。ティナ達も後に続く。


「……あの車なんか泥が撥ねたままじゃないですか。管理は大丈夫なんですか、この店?」


 ライアンが車のラインナップを見ながら眉を顰めている。そもそも車が並んでいる敷地もアスファルトなど無く土がむき出しだ。


「アメリカから来たばっかのお前さん達には馴染みが薄いだろうが、この辺じゃこれでも上等な方だぜ? 後、間違ってもフラビオ……ここの店主の前でそんな事言うなよ?」


 イサークはそう忠告してから事務所のドアを開ける。


『動くなっ!』

「……!」


 スペイン語での警告と共に銃のグリップを引く音。ティナとライアンは硬直する。だがイサークは両手を挙げながらも余裕を崩さない。



『おいおい、随分なご挨拶だな、フラビオの爺さん? 思ってたより更に元気そうで安心したぜ』



『何? お前は……』


 訝しむような声。ティナは恐る恐るそちらに顔を向ける。事務所の奥のデスクから立ち上がってこちらに散弾銃を構えている男がいた。顔中皺と髭と傷だらけの老齢の男性だが、イサークに負けないくらいの体格であった。そのガタイの良い老人の目が見開かれる。


『……まさか、イサークか!? 随分久しぶりじゃないか』


 老人……フラビオはそう言って銃を下ろす。ティナとライアンはホッと緊張を解いた。


『約二年ぶりくらいだが、覚えててくれたか。しかし入ってきた客にいきなり銃を突きつけるとは穏やかじゃねぇな?』


 イサークが皮肉気に口の端を吊り上げながら問うと、フラビオは全く悪びれずに肩を竦めた。


『白人でこの辺まで来る奴は珍しいからな。ここらも増々物騒になってきてるんで最低限のセキュリティって奴だ。悪く思うなよ? 悪いのは全部ゴタゴタやってる政府の馬鹿どものせいだからな』


 フラビオが嘆息する。今この国ではまともな統一政権すら立っていないのが現状なのだ。経済と共に治安は悪化する一方で、こうした辺境の街々ほどその余波を受けやすい。



 フラビオがティナの方をジロジロ見てきた。


『しかしここに来たって事はまたジャングルにでも入るつもりか? 解ってると思うが、今そんな女連れでピクニックに行けるような場所じゃないぜ、あそこは』 


『今じゃなくたって、いつだってそうだろ? この女自身がどうしてもジャングルに入りたいってんだから、俺はあくまでその案内役を務めてるだけさ』


『この女が? 何だってまた……』


 珍獣を見るような目つきでティナを観察してくるフラビオ。ティナは若干ムッとして言い返した。


『失礼な目つきでジロジロ見ないで頂戴。どんな理由だって関係ないでしょ? ここにはただ車を借りに来ただけよ。今店はやってるの? やってないの?』


 きつい口調で言い返すティナにフラビオは目を瞬かせた。イサークが苦笑した。


『ま、という訳だ。ジャングルに分け入るに当たっておススメのヤツはあるかい?』


 イサークに促されて商談に入る。



『これなんかどうだ? かつてこの国の軍で採用されてた四輪駆動だ。型落ちだが頑丈さは保証付きだぜ?』


 フラビオがそう言って紹介したのは、迷彩柄のかなり武骨なジープであった。後部座席には銃座と思しき設備まで備わっていた。勿論機関銃は取り外されていたが。タイヤの大きさや太さも、今まで乗ってきた車の倍ぐらいはありそうだ。トランクも広く、かなり大量の物資を詰め込めるだろう。


『ほぉ……M151か。使い勝手は良さそうだな』


 イサークが顎に手を当てて頷く。



 他にもいくつか見てみたが、結局最初に紹介されたジープ、M151が一番良さそうだという事になって、それを借りる事に決まった。だがフラビオが提示してきた金額は相場の倍以上の物であった。


『おい、ふざけんなよ、爺さん。いくら何でもそりゃ吹っ掛けすぎだろ。足元見ようってのか?』


 イサークが凄むが、フラビオはどこ吹く風といった様子だ。


『馬鹿言え。こりゃ保険って奴だ。今のご時勢にジャングルへ乗り込もうってんだ。車が無事に帰ってくる保証なんて無いだろ? それを考えたら充分良心的な価格だぜ。嫌なら他を当たんな』


『ぬ……!』


 痛い所を突かれたイサークが唸る。ジャングルの過酷さは彼も充分承知している。正直車を五体満足で必ず戻せるという保証は出来ない。フラビオが笑った。


『まあこいつはあくまで保険だから、もし車が無傷で帰ってきたら半額は返金してやるよ。良心的だろ?』


『…………』


 確かにそれならそこまで理不尽という訳ではない。以前にも利用した事があるので、車の品質に問題ない事は解っている。この辺りが落とし所だと判断したイサークが頷いた。


『……そういう事なら、まあいいだろ。商談成立だ』

『へへ、毎度あり』


 桁だけ見ると物凄い大金の紙幣を大量に支払ってジープをレンタルした。これでジャングルへの足は確保できた。今日はこの街で宿を取って明日出発という事になった。ティナの強い希望で安さよりも質重視の(この街では)高級ホテルを宿泊先に選ぶ。



 先にチェックインだけ済ませ、夕食にはフラビオお勧めの店で伝統料理の「アレパ」を食べた。トウモロコシの粉で作られたパン生地に肉や魚など様々な食材をトッピングして食べるベネズエラの料理だ。様々な種類のアレパがあるらしく、イサークやライアンは豪快にチーズをたっぷりと挟んだ牛肉のトマト煮のアレパを頼んでいた。ティナは少し軽めにオニオンを和えたツナを挟んだものを選んだ。


 給仕は肌も露わな服装の若い女性達であり、男二人は露骨に目を奪われていた。どうやらフラビオのお勧めなのはこれも理由だったようだ。ティナが大きく咳払いして彼等の注意を自分に向ける。特にイサークには少し強めの肘打ちもかましておいた。

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