第9話 モーテルでの一夜

「……そんな変質者を見るような目で警戒するなっての。流石に傷つくぜ。さっきまでの威勢はどうしたんだよ?」


「う、うるさいわね! ほっといて頂戴! 部屋の真ん中からこっちには来ないでよ!? いいわね!?」


 モーテルの客室の中。入り口から奥側のベッドの上に縮こまるようにして座りながら、手負いの獣のように警戒心を剥き出しにしているティナ。入り口側のベッドに腰掛けるイサークは苦笑した。


「そっちに行けないと俺はバスルームを使えないんだが? 一晩中トイレも我慢しろって?」


「……っ! し、仕方ないわね。じゃあ私のベッドには絶対入らないで頂戴! 後は好きにすればいいわ」


「へいへい、了解しました、お姫様」


 イサークは肩を竦めるとテレビの電源を点けた。そして給油の時にコンビニで買ったビールの缶を開ける。今時ブラウン管の画像も粗いテレビでは、何人かの知識人や政治家たちが集って議論を戦わせていた、どうやら討論番組のようだ。



「…………」


 見るとはなしにテレビを見ながらも、ティナはチラッと横目でイサークを見つめる。体格が良く顎鬚も生えて一見して荒くれ者といった風情だが、やはりその目だけは非常に澄んだ吸い込まれそうな瞳をしていた。


(……それに実際頼りにはなりそうよね)


 あのギャングの男達を退けた腕前は素人のティナから見ても相当なものだった。それに連中の一人が銃を抜きかけた時にそれを制したあの威圧感……


 多分彼女には想像も付かないような危険な仕事の場数を相当踏んでいるのだろうと思われた。ティナは少し……本当にほんの少しだがこのイサークという男に興味を持った。それに彼に助けられた事は事実だ。その後もこうして同道して面倒を見てくれている。今も彼と一緒の部屋にいる事でティナは表面上の態度とは裏腹に、非常な安心感を得ていた。


 彼は間違いなく荒くれ者だが、同時に彼女を力づくで乱暴しようとするような男ではないと、ティナは何となくだが解った。もちろんそれを素直に態度に出すような真似はしなかったが。



(でも助けられた事は事実だし、お礼くらいは言っておくべきよね?)


 そう自分に言い訳したティナは、イサークの方に顔を向けた。


「ねえ、あの……。き、今日は、その、ありがとう。あなたのお陰で助かったわ」


「ん? ……なんだ、随分しおらしいじゃないか。憎まれ口はもう品切れか?」


 ニヤッと笑いながら皮肉を飛ばしてくる彼に、ティナは咄嗟に顔を赤らめる。


「……っ! うるさいわね! 憎まれ口の原因はあなたでしょ!? 人が真剣にお礼を言ってるのに、素直に受け取る事もできない訳!?」


「おー怖い怖い。その方があんたらしいがな。ま、どう致しまして?」


 イサークは肩を竦めながらも一応はお礼を受けてくれた。ティナは気を取り直して、彼に少しだけ抱いた興味の赴くままに聞いてみる。 


「ねぇ、あなた……この国の出身じゃないわよね? 生まれはどこなの?」


「なんだ、急に? 俺の事が気になるのか?」


 先程と同じような人の悪そうな笑みを浮かべて見返してくるイサーク。彼と目が合って急に落ち着かない気持ちになる。


「べ、別にいいでしょ? 一応これからしばらくは一緒にいる事になるんだし……人となりを知っておきたいと思うのは当然でしょ?」


「だが別に知らなくても仕事には支障ないだろ? 人には興味本位で聞かれたくない事情ってのもあるんだよ」 


「……っ」

 そっけない返答に何故かティナは胸が詰まった。確かに彼の言う通りだ。だが……


(な、何よ……別に詮索とかそんなつもりじゃなくて、ただ……)

「わ、私は、ただ……」


 ただ、何なのだろうか。結局興味本位という事に変わりはないのではないか。ティナはそれ以上何も言えなくなってしまう。彼に拒絶されたような気がして胸が苦しくなった。目尻に熱い物が込み上げ、涙声になってしまう。


 ティナは自分でも自分の心の動きが理解できなかった。今日会ったばかりの、しかもこんな無礼な男に拒絶されたから何だというのか。だが頭ではそう思っていても何故か胸の苦しさは無くならない。



 するとイサークが、はぁ……と溜息を吐きながら頭を掻いた。


「……アメリカだよ。お前さんと同じ、な」


「え……?」


「といってももう十年近くまともに帰ってはいないけどな。これでも昔は軍人だったんだぜ? まあそこで色々あって軍にいられなくなっちまってな。今じゃこっちの生活にすっかり馴染んださ」


「…………」


 急に話してくれる気になったイサークにティナは目を瞬かせていたが、彼が自分に気を遣ってくれたんだと知って、真剣に聞き入っていた。と、今度はイサークが身を乗り出してきた。



「アメリカって言っても広い。俺はテキサスの南部出身だが、アンタはどこから来たんだ? ……待て、言うな。訛りからして中西部……カンザスかネブラスカ、サウスダコタ辺りか?」


「……! よ、よく分かったわね。カンザスよ。そんなに訛ってるかしら?」


 ティナは驚きながらも、彼が彼女の事に興味を持って質問し、しかも言い当ててくれた事に若干の嬉しさを感じていた。


「訛りってのは自分では中々意識できないモンだしな。そうか、カンザスか。良い所だ。あの辺りはアメリカの中でも割合穏やかな方だよな。ま、だからあんたみたいな隙の多い女が出来上がるんだろうが」


「う……」


 今日だけで何度危ない目に遭ってライアンやイサークに助けられたか解らないので、流石のティナも反論できずに俯く。


「ははは、まあいいって事さ! 女はそれくらいの方が可愛げがある。辺に荒んでピリピリし過ぎた女は相手してて疲れるからな」


「……っ!」

 ティナは息を呑んだ。彼の言った『可愛げがある』という言葉に心臓が跳ねたのだ。恐らく彼は特に意識せずに言った台詞なのだろうが。


(ど、どうしちゃったのよ、私? 確かに……ある意味、物凄く男らしい男ではあるけど……。今日会ったばかりよ? 私はそんなに軽い女じゃないわ)


 自らの心の動きに戸惑うティナ。だがイサークはそんな彼女にはお構いなしに手を叩いた。



「さあ、今日はもう遅い。どうする? 寝る前にシャワー浴びておくか?」

「……っ」


 イサークが部屋の奥にあるバスルームに顎をしゃくる。ティナは大いに悩んだ。蒸し暑い南米の気候に加えて、今日一日駆けずり回ったので、正直汗を流してさっぱりしたい誘惑は非常に強かった。


 だがイサークと同室という状況で裸になって入浴するのは、かなりの心理的抵抗があった。ティナは激しく逡巡した。その状況を想像して胸の動悸が高鳴った。


「ああ、何を気にしてるかは解るぞ? 安心しろ。俺はもっとおしとやかな女が好みでな。お前みたいな男の言う事を聞かないで無茶ばかりするような女は好みじゃないから、間違っても変な気起こしたりはしねぇよ」


「……っ!」


 心底興味なさげなイサークの態度に冷水を浴びせられたような心持ちになったティナは、眦を吊り上げた。


「お生憎様! 私だってアンタみたいな無礼で無精な男、好みじゃないのよ! お互いタイプじゃなくて安心したわ! 私が汗流してる間しっかり見張ってなさいよね!」


 怒り心頭に発したティナはそう怒鳴ってから、バスルームに入って叩きつけるように扉を閉めた。やはりあんな男に胸が高鳴ったように感じたのは何かの間違いだったのだ。


 ティナは腹立たしい気持ちを抱いたまま乱暴に服を脱いでいく。彼女はその時イサークがどんな表情でいるのか想像する事さえしていなかった。



*****



 バスルームからシャワーの音が聞こえてくる。今壁の向こうではティナが……あの美しい女が一糸纏わぬ姿でいるのだ。その光景を想像してイサークは何とも言えない煩悶さを抱える事になった。


(ち……この俺とした事が、まるでティーンにでも戻ったかのようだぜ)


 自分の感情を知られたくなくて、彼女に殊更そっけない態度を取った。根が単純らしいティナはそれを全く疑う事無く、機嫌を悪くしてバスルームに入っていってしまった。


(これでいい。あの女と俺とじゃ住んでる世界が違い過ぎるからな)


 ティナ達の素性は、ここに来るまでの途上で車の中で聞いていた。イサークとは違って日の当たる場所が似合いの女だ。一時の感情で彼女を抱いたりすれば、後々になって面倒な事になるだけだ。だからイサークは自分の中に湧き上がった感情を封印する事に決めた。

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