第8話 契約成立!?
『てめぇっ!』
男達の一人がナイフを抜いてイサークに突き掛かる。ティナは思わず身体を竦ませるが、イサークは何ら慌てる事なく運転手を離すと、突き出されたナイフを躱してその腕を逆に掴み取った。
『……!』
『問答無用か。じゃあ仕方ねぇな』
イサークが力を込めると男の手からあっさりナイフが落ちた。イサークはそのまま相手の肘に下から掌底を当てるような感じで力を込めた。すると、
『ぎゃあぁぁぁぁっ!!』
男がイサークから身体を離してのたうち回る。よく見るとイサークに掴まれていた腕が折れている。ティナには何が起きたのか解らない程の早業であった。
他の男達はイサークが脅威と判断して一斉に動き出そうとする。しかしそれよりも早くイサークは地面に落ちているナイフを拾うと、近くの男に投げつけた。ナイフは狙い過たず男の肩口に突き刺さって男が悲鳴を上げる。
その隙にイサークはまるで獲物に襲いかかる肉食獣のような動きで、男達に飛びかかった。酒場で飲んだくれていた姿からは想像もできない俊敏さであった。
男達が繰り出してくるナイフやチェーンなどの武器を巧みに掻い潜って、反撃にその太い拳や脚が唸る。その度に男達が吹っ飛び、数が減っていく。
『クソっ!』
『……!』
焦った運転手が再びティナを人質にしようと掴みかかってくる。ティナは咄嗟に動けずに硬直してしまう。
「先生っ!!」
そこにライアンがタックルをかまして、運転手と一緒にもんどり打って倒れ込む。
「ナイスアシストだ、坊主!」
イサークが笑いながら残っていた男達を殴り倒す。
『くそ、てめぇ! 殺してやる!』
残った男の一人が懐に手を潜り込ませる。だがその手を外に出す前に……
『おい、そいつを抜いたらもう洒落じゃ済まねぇ。俺もお前らを殺さざるを得なくなるぜ?』
『っ!?』
男が硬直する。いつの間にか自分の目の前に銃口が突きつけられていたのだ。誰もイサークが銃を抜いた所を認識できないくらいの早業だ。そして先程までとは全く違うドスの利いた声と鋭い目線。
男は遅ればせながらイサークが自分達の手に負える相手ではない事を悟る。硬直したまま大量の冷や汗を流す男。
『この辺だと、お前らアロンソの所のモンだろ? 俺は何回かあいつの仕事を受けた事もあるんだ。ここで獲物を逃してもイサークって名前を出せばアロンソも納得してくれると思うぜ?』
『……っ!』
自分達のボスの名前を出された男達に更なる動揺が走る。殺気とも言えるイサークの凄みに気圧されていた男達にとって、イサークがボスと知り合いらしいというのはある意味で格好の逃げる口実となった。
『おい、ズラかるぞ!』
その中ではリーダー格と思しき男が合図すると、男達はほうほうの体で逃げ去っていった。
『おっと! お前はまだだ』
『ひ!?』
ライアンと揉み合いをしていて逃げ遅れた運転手が、遅ればせながら自分も逃げようとするのをイサークはその首根っこを捕まえて留める。
『俺の客を横取りしようとした迷惑料だ。車のキーを寄越しな』
『……っ!』
これ見よがしに銃口を運転手のこめかみに押し当てて脅すイサーク。その姿は運転手よりも余程たちの悪いチンピラそのものだ。先程までの颯爽とティナを助けた、タフな荒くれ者の面影は微塵もなかった。
「ちょ、ちょっと、何もそこまでしなくても……」
「お嬢さんは黙ってな。ここは平和なアメリカとは違うんだぜ? 裏稼業の連中と事を構えたんだ。逃げるための足は確保しとかなきゃだろ?」
馬鹿にしきった口調に再びカチンと来るが、それよりも台詞の内容が気になった。
「逃げるって……こいつらのボスと知り合いなんじゃないの?」
「知り合いっちゃ知り合いだが……悪い意味での知り合いでね。前にアロンソからアンタみたいな攫われた外国女の『運搬』を依頼された事があったんだが、指定された場所には行かずに大使館まで送り届けてやったのさ。それで取引がフイになったあいつとはそれ以来険悪でね」
「な……それじゃあいつらを騙したって事?」
ティナが唖然として問うと、イサークは肩を竦めた。
「別に騙しちゃいないさ。俺はアロンソの仕事を受けた事があるとしか言ってないぜ? それは嘘じゃないからな」
「……!」
ティナは絶句してしまった。何という男だと思った。腕っぷしだけでなく、とっさの機転も利いているようだ。因みにこのやり取りは英語なので運転手には聞こえていなかった。
「……助けてくれた事には感謝する。でも、何で僕達を助けた? 何を企んでる?」
ライアンが複雑そうな表情で礼を言いつつ問いかける。確かにそれはティナも気になっていた所だ。イサークは再び肩をすくめる。
「さあな。何となくだ。アンタ達がみすみす死にに行くって解ってて、放っておくのも寝覚めが悪かったんでね」
そう言って彼は歯を見せて笑った。笑うと意外な程気さくで無邪気な印象となり、ティナはまたあの胸の動悸を感じた。
「ああ、ただし勿論ボランティアじゃない。アメリカ人なら報酬は米ドルでいい。大負けに負けて五千ドルだ。それ以上は一セントも負けん」
「ご、五千ドル!? 高すぎるわ! せめて三千ドルで……」
「話にならん。ジャングルへ踏み込もうってんだ。本来は最低でも一万ドルは貰わなきゃならん案件だ。アンタ達は貧乏そうだから出血大サービスで五千でいいと言ってるんだ。というか一セントも負けんと言ってるだろうが」
また貧乏人扱いするイサークにティナは目を吊り上げた。
「貧乏で悪かったわね! どうせ大学のしがない助教よ! でも見てなさいよ! その内学会をひっくり返すような論文を書いて、有名になって必ず教授になってやるんだから。残りのお金は出世払いで払ってやるから、今は二千ドルに負けなさいよ!」
「何年後の話だ! というかちゃっかり三千から二千に下げるな! 五千ドルだ! 交渉は受け付けん!」
「何よ! 見た目はそんなタフガイの癖して心が狭い男ね! そんなだからモテないのよ!」
「モテないとか決めつけるな、ヒス女! こっちは今日も朝から女抱いてんだぞ!?」
「はん! どうせ金で買った女でしょ!? さもしい男ね!」
「何だと!?」
売り言葉に買い言葉。ティナに煽られて、イサークもいつの間にか彼女と同レベルで言い争っていた。全然関係ない話題に逸れて子供のような口喧嘩をしている二人を、ライアンと運転手は唖然として見つめるのだった……
*****
その後何とか『交渉』がまとまった一行は、運転手の車を『拝借』して代わりにイサークがその車を運転してカラカスを後にした。因みに運転手はその場にふん縛って放置だ。
イサークによるとそのアロンソという男は、カラカス北部一帯のギャングを取り仕切っているらしく、カラカスから離れてしまえば問題ないとの事。
その後は国道をひたすら南下していく。もう時刻は夜だった事もあって、途中の街で給油を兼ねて一泊する事になった。イサークが見つけた安いモーテルに泊まる事になったが、ここで部屋割りについてライアンとイサークの間で意見が割れた。
「馬鹿を言うな! 先生は個室に決まっているだろう!?」
「あんな目に遭ってまだ解ってないのか、坊や? ここはお前らの常識の通じる国じゃないんだ。こんな女を一人にしたら襲ってくれと言ってるようなモンだ。俺達は常にお嬢さんの部屋を見張ってなきゃいけなくなるから碌に休めなくなるぜ? だが一緒の部屋に泊まればその問題は解決する」
「……っ。部屋に厳重に鍵を掛けておけば問題ないだろう!?」
「だがここのオーナーはマスターキーを持ってるだろ? つまりはそういう事だ」
「……っ!」
従業員すらいつ牙を剥いて襲ってくるか解らない。片時も油断できない、誰も信じられない。ティナは改めてとんでもない国に来てしまった事を自覚した。そして実際にそういう可能性がある以上、ティナ自身も怖くて個室で一人になるのは気が進まなかった。
「ラ、ライアン……私なら相部屋でも問題ないから。一人だと逆にゆっくり寝れなくなりそうだし……」
「……! せ、先生……解りました。……おい。先生に変な真似をしたら、僕がお前を殺してやる。解ったな?」
ライアンがイサークを睨みつけて警告する。部屋はツインまでしかないので誰か一人はあぶれる。そしてティナを確実に守るならイサークの方が安心という訳だ。それはライアンも認めざるを得なかった。イサークは肩を竦めた。
「安心しな。こんな無駄に気ばっかり強いドケチ女に、間違っても変な気は起こさねぇよ」
「はあ!? ドケチはどっちよ!? こっちだってあんたみたいな礼儀も知らないチンピラなんてお断りだわ!」
「おーおー、そりゃ双方合意が出来て一安心って所だな」
イサークは皮肉気に口を歪めると、荷物を持ってさっさと部屋に歩いて行ってしまった。
「あ、ちょっと! 待ちなさいよ!」
まだ話は終わっていないとばかりにその背中を追いかけていくティナ。彼女自身は意識していなかったが、イサーク相手だと変に取り繕うことがなく彼女自身の素が出ている様子であった。
ライアンはそんな彼女の後姿を複雑そうな表情で眺めていた……
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