第7話 第一印象は最悪で

 とりあえず話は聞こうという事になり、イサークから酒場の中に入るように勧められた。ティナはおっかなびっくりといった様子で、イサークに先導されて酒場に踏み込む。


(う……!)


 安い酒や味付けの濃い料理の匂い、それに大勢の男達の熱気がムワッと押し寄せて、ティナは一瞬人いきれしそうになった。それと同時に酒場の中にいた他の客や従業員の目線が自分に一斉に注がれたのが解った。


 酒場には他に女性客が殆どおらず、妙に人相の悪い男達ばかりであったのだ。やはり真っ当なバーではないらしい。そんな中でティナのような場違いな白人の女がいきなりやって来れば、それは大層物珍しいだろう。


 品定めするような無遠慮な視線を向けられてティナは若干怯む。だがそこにその視線を遮るような形でライアンが間に入ってくれた。物凄い目で周囲を威嚇している。先のタクシーでの一幕からしても彼はポーズだけでなく、やる時は本当にやる男だ。ティナはライアンの陰に隠れてちょっと安心した。



「ちょっと散らかっちまってて悪いな。さっきのガキ共を『教育』してやってたんでね」


 イサークが英語でそう笑って、横倒しになったままのテーブルの一つを掴むと、結構な重さがありそうなそのテーブルをヒョイと立て直してしまった。その見た目通りにかなり膂力がありそうだ。


 無理やり直した席に座る三人。ライアンは未だに警戒したような視線をイサークに投げかけている。しかしイサークはそれを気にも留めず、じっとティナの目を見つめてくる。彼女は再び妙に落ち着かない心持ちになった。



「それで……あー、ヴァレンティナだったか? あんたみたいなお嬢さんが俺に一体何の用があるってんだい?」


 いきなりのファーストネーム呼びに同席しているライアンの目がピクッと吊り上がるが、ティナは早く話を進めたかったのでそれを制した。彼女は無言で父から送られてきた手紙を取り出してイサークに渡した。


「何だ、こりゃ? 手紙? 今どき?」


 戸惑いながらも手紙を読み始めたイサークは、すぐに眉根を寄せてしかめっ面となった。それからティナに向き直った。


「……お嬢さん、悪い事は言わねぇ。ジャングルに分け入ろうなんて考えないこった。遭難や獣の危険だけじゃない。この国のジャングルは、反政府ゲリラといえば聞こえは良いが実際には他に行き場をなくしたゴロツキや犯罪者共による武装グループの根城みたいなモンだ。今のご時勢であんな所に好んで行く馬鹿はいねぇ。どうしてもってんなら大使館に相談しな」


 静かに諭すような口調になるイサーク。だがこの反応は予想できていた。


「勿論真っ先にそれを考えたわよ。でもこの国に住んでいるあなたの目から見て、大使館がまともに捜索してくれると思う?」


「む……そりゃ、まあ……」


 イサークは苦い顔になった。勿論彼も大使館が現地の司法と癒着して腐敗している事など百も承知だろうが、こちらがその事を知らなければそれで煙に巻けるとでも思っていたようだ。だがそうは行かない。


「その手紙の送り主は……十年以上行方不明になっていた私の父なの」


「……!」

 イサークが少し目を見開く。


「父の現在の写真も同封されていたわ。間違いなく父は生きている。そして私に助けを求めているの。誰が何と言おうと私は父を探しに行くわ。あなたにはその道案内を頼みたいのよ。力になってくれるっていうのはそういう事よね? 勿論報酬は支払うわ」


「……俺の仕事は安くない。支払いは必ず純金か宝石のみだ。しかも行き先がジャングルとなりゃ、相場の倍は頂かないと話にならん。あんたに払える額じゃないよ」


「何年掛かっても必ず支払うわ! だから……」


「悪いが後払いも分割も一切無しだ。この国じゃそれが常識だぜ?」


「……っ!」

 にべもない態度にティナは言葉に詰まる。手紙にはイサークに会えと書いてあって、他に何の指針もない状態なのだ。てっきり会いさえすれば、無条件で協力してくれるものと思い込んでいた。それがいきなりこんな所で躓いてしまうのか。


(ていうかちょっと一方的過ぎない!? 何よ、馬鹿にして……。そんなに忙しそうにも見えないし、協力してくれたって減るものじゃないでしょう? 私に払えないと決めつけたり……見た目通りの失礼な人だわ!)


 ティナは内心でイサークの態度にむかっ腹を立てていた。確かに大学の助教という立場ではお世辞にも裕福とは言えない現状であったが、それを初対面の無礼な男に指摘されるのは面白くない。



「先生、行きましょう。時間の無駄です。尤もらしい事を言っていますが、要はジャングルが怖いから行きたくないという事なんでしょう。タフガイ気取りは外見だけで、実態はただの臆病なチンピラです。こんなゴロツキの手を借りずとも僕が先生を守って見せますよ」


 ティナ以上にイサークに悪感情を抱いているらしいライアンが椅子から立ち上がりながら彼女を促した。イサークの態度に苛立っていたティナは頷いて、これ見よがしに軽蔑した視線を彼に投げかけてから立ち上がった。 


「そうね。力になってくれるって書いてあったからどんな人かと思ったら……とんだ期待はずれだったわ」


 しかし彼等の精一杯の侮蔑にもイサークは何ら堪えた様子もなく、苦笑してかぶりを振った。


「全く、勇ましい事で……。俺はおたくらの為に警告してるんだがなぁ。親父さんの事は気の毒だが、悪い事は言わねぇ。今すぐアメリカに帰るんだな」


 相変わらずヘラヘラしたままのその態度に増々苛立ちを募らせたティナは、場所代替わりの紙幣をテーブルに叩きつけた。


「お生憎様! さっきも言ったように私は誰に何を言われてもやめるつもりはないの! お邪魔しました!」


 肩を怒らせながら酒場から出ていくティナ。ライアンももう一度イサークに侮蔑の視線を向けてからティナの後を追って酒場を後にする。



*****



「やれやれ……若いねぇ。忠告はしたからな」


 そんな彼等の姿を見ながらイサークは肩を竦めると、再び飲みかけの酒瓶に手を伸ばした。


 と、その時、ティナとライアンの後を追うように酒場から出ていく客が目に入った。イサークはティナ達と話しながらも、いつもの習慣で常に酒場の客の出入りは把握していた。彼の記憶が確かならあの客はティナ達よりも後から入ってきた客だったはずだ。妙にこちらを伺う様子なのが気になっていたが、それは単にティナの外見に目を奪われているのだと思っていたが、もしかしたらそれ以外にも意図があったのかも知れない。


 当然というかティナ達は、自分達の後を尾行する男の存在には気づいていない様子だ。イサークは盛大に溜息を吐いて頭をガリガリと掻いた。


「はぁ……ったく。気づいちまった以上、見て見ぬ振りも出来ねぇかなこれは? 世話が焼けるぜ」


 ボヤきながらも椅子から立ち上がったイサーク。彼の脳裏には先程まで目の前で話していたティナの美貌が浮かび上がっていた。あの真っ直ぐに自分を睨み据えていた気の強そうな目が忘れられない。


(……死なせたり、誘拐されてどっかの変態に売られるには惜しいからな。世の中の為のボランティアってヤツだ)


 そう自分に『言い訳』しながら、イサークは手早く支払いを済ませて酒場を後にしていった。



*****



「とりあえずジャングルに向かうなら南下しないといけませんね。この街から出る足を探しましょうか」


 ライアンの提案に従って、とりあえず表通りに出ようと歩き始めた時だった。二人の前に男が三人程立ちはだかった。皆嫌らしい笑いを浮かべてティナを見つめている。


『……! おい、何だお前達は? 僕達はそこを通るんだ。どいてもらえないか?』


 ライアンがティナを庇うように前に出て、スペイン語で男に向かって喋る。その手はジャケットの内側にしまってある銃に伸びていた。不穏な気配に慄いたティナは思わず何歩か後ずさって……


「きゃっ!?」


 ガバッと後ろから誰かに抱きすくめられた。むせ返るようなニコチンの匂い。



『へ、へへ……久しぶりって言うべきかなぁ? よくも俺達をコケにしてくれたなぁ?』



「……っ!」

 聞き覚えのある声にティナは戦慄した。それは酒場に入る前に別れたはずのあのタクシー運転手であった。二度と彼女達に関わらないと約束した舌の根も乾かぬうちに、復讐の為に仲間を連れて戻ってきたらしい。それともあくまでティナに執着しているのか。後ろにもやはり三人ほどの仲間がおり、運転手を入れれば七人の男達に取り囲まれる事となった。


「先生!? くそ、こいつら……!」


 ライアンは咄嗟に銃を取り出して構えるが、運転手は素早くナイフをティナの喉元に這わせる。ティナは恐怖で硬直した。


『おっと。その物騒なモンを捨てな。この姉ちゃんを傷物にしたくなかったらな』


『……こんな往来で堂々と誘拐でもする気か? 僕達が抵抗すれば騒ぎになるのは避けられないぞ?』


 精一杯の抵抗でライアンがそんな風に牽制するが、運転手は鼻で笑った。


『ははは! ここが『往来』だって? 周りを見てみろよ! 皆こっちに気づいてるが、誰も助けたり通報しようってやつもいないだろ? お前ら外国人がどうなろうと誰も気にしないのさ。それにこの辺りを管轄してる警官達には賄賂をたっぷり渡してあるんでな。仮に通報する物好きがいたとしても、そもそも警察がここには来ないのさ』


『……っ!』

 ライアンが悔しげに顔を歪める。運転手の言う通りこのうらぶれた通りを歩く人々は誰も我関せずの態度で、こちらの騒ぎを無視している。ティナは絶望に顔を青ざめさせた。やはりこの国は狂っている。自分達のような平和に暮らしてきた人間が踏み入っていい場所ではなかったのだ。


『さあ、さっさと銃を捨てろ!』


 運転手がこれ見よがしにナイフをティナの喉や頬に突きつけて催促してくる。万策尽きたライアンは獣のように唸りながら、それでもゆっくりと銃を捨てようとして……



『あがぃっ!?』


 突如、運転手が素っ頓狂な声を上げて仰け反った。そのナイフを持つ腕を、更に大きい人の手ががっしりと掴んでいた。その大きな手の持ち主は、もう一方の手で運転手の髪を引っ掴んで仰け反らせていたのだ。


 唐突に拘束から解放されたティナは、咄嗟に前方に逃れてから振り返る。そしてその目が驚愕に見開かれた。


『な、な……なんだ、てめ――』



『そのお嬢さんは俺のお客さんでな。悪いがお前らに勝手に傷物にされちゃ困るんだよ』



 野太いスペイン語で運転手を後ろから絞り上げているのは……先程酒場で啖呵を切って別れてきたはずの屈強な白人男性、イサーク・デュランであった!

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