第4話 敵

会社がある方角へ進みながら少し迂回した場所にあるネットカフェに入ると、個室の一番安いブースを選びパソコンを立ち上げる。

インターネットの最初の画面が表示されるまでの間、口渇を潤すだけの飲み物と毛布を手に取り、再び自室へと戻った。


隣はカップル席らしい。

若そうな男女のクスクスと笑い合う声が気になり、これからやろうとすることが集中出来そうにない。

彼ら側の壁に掛かっていた大き目のヘッドホンをわざと乱雑に剥ぎ取ると、一瞬隣の笑い声がピタリと止んだが、ヒソヒソと話し声がしたかと思うとまたすぐ元に戻っていった。


俺はで両耳を塞ぎ、普段聴かない洋楽ロックをエンドレスで流すことにした。



メッセージボックスには『ユウキ』と表示されていた。ゲーム内でのユーザーの名前になる。


彼は自称男で、仕事は自営業らしい。

年は俺より少し上のようだが、少し自己中心的なところがある。

何かと不満は多いようで、たまに俺に愚痴を吐いたり相談してきたりということがあった。

まあ、あれでは誰かの下で働くことは難しいだろう。


今回もその名前の横の見出しが十数文字だけ表示されていたのだが、「てっち!ちょっと聞いてよ!」というものから始まっていた為、長くなりそうと察し、会社へは戻らずここに来た。

無駄に座り心地の良い椅子に深く腰掛けて脚を伸ばし、一口だけコーヒーを口に含むと、早速俺はそのメッセージを開いた。



案の定ともいえる内容は、おおよそこうだった。

やたら自分をターゲットにしてくる敵ユーザーが居るらしい。

要はというものをされているようで、ちょっと仕事の為に席を外してから再度ログインすると、自分の陣地が荒されているので困っているというものだった。

しかも、毎回同じ相手だという。


と、まあネットゲームではこの手の話はよくあることだ。

ユウキはそいつに「辞めてくれ」と直にお願いし、その時は相手からも同意を得たらしいのだが、暫くしてまた同一人物から被害を受けたため激怒。怒り顕わのまま相手に送ったメッセージがきっかけとなり、個人間の問題はチーム対チームの最悪の状況となってしまっていた。

昼間の、人がまばらなゲーム内では相談できる人が居らず、かといってリーダーが現れる夜まで待っていると状況はもっと悪くなってしまうかもしれない。

そんな不安が募り、ひとまず日中でもコンタクトが取りやすそうな俺に連絡してきたようだ。


とりあえず、状況を見てみよう。

双方共にログインし、過去ログを追う。



「うわあ…最悪だな…」


そう漏らしたのは、俺の方だった。

全体のユーザーが見れるチャットの画面に残っている分の会話を見ても「あっちが悪い!」「いや、そっちが悪い」といった状況で、どちらかが全面的に謝罪するか全面戦争になるかの一触即発さである。

肝心のユウキはというと、「被害に遭った自分が謝るのは絶対におかしい!」と謝罪する気は更々ないらしく、俺もそれが正しいと思う。危害を加えておいて謝れというのは、どう考えてもおかしい話だ。

しかし、同じチームの課金が出来ない主婦メンバーは、「ユウキさんが折れてくれないと、次に痛い目を見るのはを持たない私達なんです」と口にする。当然「絶対に謝りたくない!」とユウキに返され、その繰り返しで内輪もギスギスとしていた。


ゲームの中とはいえ、自分が注ぎ込んだ大枚を無駄にしたくない。その金で自分より弱いメンバーを守ったりもしてきてやった。無課金組よりもそこはシビアになって当然だ。

「お前たちも、やられたくなければ課金すればいいだけだろ!?それが出来ないならグダグダいうなよ!!」

苛立ったユウキの言葉は、最早後戻りなど出来ないようだ。仲間同士の関係にも一瞬にして深い溝を作っていった。


言い争う時間は、あっという間に過ぎていく。

陣地荒らしだったはずの論点は、いつしか双方の粗探しが始まり、あれもこれもと火種を増やし、主婦も多いこの世界では、挙句の果てには過去に解決したはずのトラブルまで再燃させていた。


(こういうのが女のめんどくさいところなんだよな…)


お互い気にいらない事があった時、「あの時もそうだった!」とやたらと過去を持ち出してくるヒカルの顔と共に、俺はその時の嫌気をも思い出していた。


暇つぶしや気分転換で始めたはずのゲームで、また俺は人間関係の悩みの渦に嵌っている。

どの世界にも逃げ場はないのか。なんともいえない感情が、モヤモヤと喉元を乾かしていった。


何杯目になるか思い出せないコーヒーの代わりにミネラルウォーターを手にした頃には、灰色だったはずのビル壁を色とりどりの電飾が着飾っていた。

時計を見ると、そろそろ21時を示そうとしている。


(サンが来たら、驚くだろうな…)


結局何の解決も無いまま、状況は悪化の一途を辿っていた。

長い針が真上を示したと同時に、サンの名前が緑色に切り変わる。


「こんばんはー」


何も状況を知らないであろう彼は、いつもと同じ挨拶を並べた。


「あら?」


騒々しかったことを連想させるチャット履歴に気付いたのか、「何かあったみたいね。ちょっとログ遡ってくるわ」と言い静かになった。


記録が極力流れないようにと、皆も発言を自粛する。

その日初めて訪れた10分ほどの静寂はいかにも不自然に空気を張り詰めさせていて、リーダーというだけで全ての尻拭いをしなければならないであろうサンへの申し訳なさが更に募っていったのは、俺だけじゃないようだった。

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