第3話 ヒカル

「ねぇ!ちょっと聞いてるの!?」


向かいの席で唇を尖らせながらそう発した女性は、一応‟彼女”と位置付けられている。

勤務先が近いこともあり、平日の昼にはこのようにお互いの中間地点付近にある喫茶店でランチをとったりしていた。

名前はヒカル。年齢は俺より5歳くらい下で、当時お目当ての彼女がいた西島の為に開催された合コンの人数合わせで俺まで強制参加させられたのだが、どういう訳かこの関係になっていた。


曖昧なのには訳がある。

あの日、俺達以外の全員が早々とカップル成立となり、残った者同士で意気投合したらしいのだ。


「初めて出逢った日もそうだった!哲ってばスマホばっかりしてて覚えてくれてないなんて失礼じゃない!?」


そうだ。丁度サンとの約束の時間だったし、その日の夜はゲーム内でも大々的なイベントが開催されていて、そこに参加しなければチームに迷惑を掛けてしまうのは明確だったのだ。


ほぼ課金はしていないものの2ヶ月ほど毎日着実に貢献はしてきたし、なんとなくコツも掴めて単独でもそこそこ勝てるようになっていた。それに、いまだ1位のチームをクビにされては困る。しかもあの日はあまり強くない癖に酒まで入っていた。

既にカップルが成立している彼らは、俺のことなど眼中にも入らない。それを良いことに相手側の残りの1人と当たり障りないような会話をしながら1時間弱の大接戦に勝利した後には、興奮から更なる美酒に酔い……、酔い…………


と、断片的には覚えているものの、そこから次に思い出せるクリアな景色はドぎついピンクで装飾されている天井と目覚まし用のコール音だった。


(やってしまった……)


一番めんどくさいヤツだ。


その朝は相手ともほぼ会話を交わすこともなく次の約束もしないまま別れることが出来たが、西島とめでたく付き合うことになった子が彼女の親友でもあったため、いよいよもっていい加減では済まされなくなっていた。


「おい!ヒカルちゃんと上手くいったんだろ?」


自分のことを棚に上げてニヤリと詰め寄ってきた西島だったが、ほぼ同時に鳴った着信音に彼女の名前が表示されると、口角の緩みを隠さないままそそくさと扉の向こうに居なくなった。



ヒカルは相変わらず膨れっ面のまま俺を上目遣いで見つめている。

まあ、そこそこ彼女はモテると思う。どちらかというと可愛い方だし、美容にも気を遣っているのは分かる。

たまにすれ違いざまに振り向く男もいるし、それは一緒に歩いていて気分が良い。

今日も新しくしたばかりだという真っ赤なネイルの装飾を1本ずつ丁寧に説明したことに対し、「ピンクとか透明の方が清楚感あるし似合うんじゃない?」と言った一言に機嫌を損ねたのか、「女心を分かってないなぁ~!ボルドーは肌が綺麗に見えるし人気なのっ!」とため息交じりに返され、延々とその説明が始まった。

少し薄い色素の瞳には、血みたいな色よりきっとそっちの方が似合う。

良かれと思って言ったつもりなのに、SNSとやらを重視する彼女とは、どうも上手く噛み合わないみたいだ。

そういう会話が度重なり、ヒカルに対する気持ちが上辺を取り繕うそこから深くなることはなかなか難しかった。


「ヒカルって何歳だっけ?」

「え!?何よまた唐突に!人の話ちゃんと聞いてないでしょ!?ってか、その質問も初めてじゃないし!」


プンプンと文句を返しながらも、本気で怒ってはいないと表情から伺える。

好意の無い相手の可愛いフリなど、正直どうでもいいものだ。


「ああ、ごめん。今度はちゃんと覚えておくから」

「ひどいーっ!わざと話そらしたでしょ!?もうっ!24だよ!!来月の誕生日が来たら25歳!4月16日が誕生日だから絶っっ対に忘れないでよねっ!!」


「分かった分かった。カレンダーに入れておくよ」

「嘘!そう言ってまた忘れるんでしょ!?」


「ああ、分かったよ。今ここでやればいいんでしょ?—Hey,Siri.—4月16日にヒカルの誕生日を登録しておいて?」


「カシコマリマシタ」という音声に続いて鳴った電子音を確認すると、しっかりと『4/16 ヒカル誕生日』と記載されていた。


「よく出来ました♪」


一緒に画面を覗き込み、「ふふん」と少々満足げな表情を浮かべた彼女は、その日に何かが起こることを既に楽しみにしているようだった。

とはいえど、正直あまり乗り気ではない。そんな時は、いつもの如く保険をかける一言を残しておけばいい。


「仕事が忙しくなければいいけどね」


意味を察したのか、案の定不機嫌な表情に戻ったヒカルを横目で確認する。


会社の人間関係にも似たような感覚がある。

自分の意見を言ってはみても、すぐに否定的な意見を押し付けられては一歩も前に進めない。

かと言って、俺の意見が通りさえすれば、絶対にヒットさせられる自信がある。きっと松下のように……上司にさえ恵まれていれば………


自分の存在意義は上司のストレスの捌け口でしかないのだろう。

そんな不運を打開する良策は結局のところ見いだせず、解決するとすれば退職願を提出した瞬間だという答え以外、どんなに悩んでも辿り着かないのだった。


(…時間が経てば、変わるのだろうか?)


歳を取れば人は丸くなるとも言うが、ハッキリ言ってそんな不確かなを待てる余裕など微塵にもない。

ヒカルに対しても、どうにかして離れたいと考える方が多かった。

いい加減愛想尽かして振ってくれれば楽なのにと思ったりもする。

いや、きっとそれが一番楽な筈だ。俺から別れを切り出せば、女子二人の間で悪者になって更には西島との仲もめんどくさいことになる―――…


「…———ねぇ…ねえ!また聞いてなかったでしょ!?」


真っ赤に尖った爪の先で「コンコン!」とテーブルを叩きながら、ヒカルはさっきよりも唇を尖らせた顔でグイッと俺を覗き込んでいた。


「あ、ごめん。ちょっと仕事のことで考え事してて――…」

「もう!また仕事仕事って……寂しい………」


何かを絞りだすようにそう発したヒカルは、口元を僅かに震わせながらスンと小さく鼻をすする。


(わ、泣かせる――?)


そうよぎった矢先、テーブルの上に置いていたスマホからリズミカルな呼び出し音が鳴りだした。

ハッと意識を持っていかれた先を確認すると、例のゲームのメッセージボックスが、赤く点滅している。


(あー!このタイミングでありがたい!)


すぐさま「急な仕事が入った」とそれっぽい嘘をつき、二人分の会計を済ませ足早に店を離れる。


「たまには哲から連絡してよね!待ってるから…」

「ああ。落ち着いたら連絡するよ」


多少の罪悪感を覚えながら出来るだけ優しく発したつもりの言葉だったが、いつの間にか俺は、意識しなくてもその端々に逃げ道を作るようになっていた。



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